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海軍航空隊パイロットの分類

      2018/01/22

海軍航空隊のゼロ戦パイロットや撃墜王の話になるとパイロットの名前の後に( )が付いていることが多い。例えば、坂井三郎(操練38期)とか角田和男(乙飛5期)という具合である。何気なく見過ごしてしまっているこれらパイロットの分類について簡単に説明したいと思う。

◆海軍パイロットの養成コース

当時、海軍でパイロットになるには階級別に分かれていくつかの養成コースがあった。パイロットになるには自分の階級にあったいずれかのコースを必ず卒業しなければ飛行機を操縦する資格を得ることができなかった。

これらコースの違いを大雑把に説明すれば、兵隊の種類が階級別に上から「士官・下士官・兵卒」と分かれている様にパイロットも階級別にそれぞれコースが分かれていた。おおざっぱな分類が

士官コース 飛行学生(海軍兵学校出身)
下士官コース 乙飛・予学・甲飛
兵卒コース 操練→その後→丙飛

という役割をそれぞれが期待されて募集されたと考えるとわかりやすい。ちなみに兵卒コースと書いた一番下の操練は応募資格が海軍勤務の下士官でなければならなかった。つまりパイロットは一番低い階級が下士官であり下士官以上のエリートの集まりであった。

◆飛行学生(海軍兵学校)

海軍のエリートである海軍兵学校の出身。高級士官として航空部隊の現場で指揮をする者を養成するために作られた。初めからパイロットとして採用されているわけでなく高級士官学校である海軍兵学校の中から当時としては珍しいパイロット志望の者を育成した。彼らより偉いパイロットはいない。

◆乙種飛行予科練習生(乙飛)

昭和5年(1930)に発足。士官である飛行学生と下士官である操練・丙飛(パイロットとしては一番下の階級)の中間である中級幹部として現場での飛行隊の指揮をとる役割を担った。

海軍はそれまで艦隊勤務の優秀な者の中から希望者を募ってパイロットとして育成したが、この制度では艦隊勤務を経ずに最初からパイロット候補生として募集した。その為、採用されたらいきなりパイロットとしての養成された。

◆操縦練習生(操練)→丙種飛行予科練習生(丙飛)

操練についてはこちらでも説明をしております。

海軍内で優秀な兵隊をパイロット候補生として募集する制度。兵隊といっても下士官のみが対象でかつ選抜試験に合格しなければならなかった。その結果、優秀な兵隊が数多く集まった。後に昭和15年(1940)に操練制度を一新して新たに丙種飛行予科練習生に名称を変更した。

パイロットになるためには一度、海軍に入隊して仕事を一通り覚える必要があった。一定期間の海軍勤務を経ると受験資格を得ることができ、海軍内の飛行科試験に合格して晴れてパイロット候補生になることができた。撃墜王で有名な坂井三郎氏も入隊後に操練に入るまで戦艦霧島での勤務体験などを手記に記している。

なお、撃墜王を軒並み排出し、最強ゼロ戦神話を生み出したのはこの「そうれん」のパイロット達である。

◆飛行予備学生(予学)・甲種飛行予科練習生(甲飛)

飛行機の数が飛躍的に増えこれまでの上記の制度ではパイロットの不足が深刻化したために新たに幹部パイロットを養成する目的で設立された制度。主に高学歴の学生が受験した。

甲飛は受験資格が海兵と同じであり説明が紛らわしかった為に海兵と同等だと勘違いし陸士や海兵に合格したにも関わらずこちらを選択した人もいたようだ。

ちなみに、海兵(士官)の方が甲飛(下士官)に比べて圧倒的にエリートで偉い。したがって両方合格していたなら兵学校に進学後にパイロット畑を選ぶほうが当然賢い選択であった。甲飛を間違って選択し後悔することが多かったようだ。

飛行予備学生は当時としては珍しい大卒や大学予科卒などのエリートなどを対象にした制度。当然中級幹部としての役割を期待され卒業後に少尉に任官して前線に赴いた。

なお飛行予備学生の中から戦局が悪化した後に多くの特攻隊のパイロットが出た。学徒パイロットというのは多くはこの飛行予備学生のことである。初心者マークを付けた状態で多くの若者が特攻に駆り出された。

※参考文献 : 蒼空の航跡  久山 忍 (著)

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