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ドッグファイト 実際の空中戦の姿とは?

      2017/08/22

太平洋戦争中の最中に戦闘機での空中戦が実際にどのように行われていたのであったのだろうか。例えば坂井三郎氏の著書に「二番機の太田が!」という様な内容があるが、実際にそれがどのようなものであったかを述べてみたいと思う。

戦闘機は空中戦を四機編成で行う。これは世界共通でどの国でもおなじであった。恐らく空中戦を試行錯誤して行う間に自然発生的に一番良い形に最適化されたのだと思う。それが四機編成という形となった。

通常は「へ」の字の様な形で編隊を組み前方に隊長、左後方に二番機、右後方に三番機、さらに右に四番機となる。ちなみに技量の上手い順に1→2→3→4となる。


二番機が左側なのは飛行機は編隊飛行中に→に→にと右にズレてしまうからである。四番機は→にずれても問題ないが二番機は右側に流れてしまうと三番機や四番期と衝突する危険性が合った。したがって、技量が上手い二番機が必然的に左側にくることになった。

また、戦闘が始まると真っすぐの一列に編隊を並び直す。


となる。この隊列だと二番機より後ろは戦闘中に銃撃すると前の一番機に命中する可能性があるために敵に向かって射撃することはできない。したがって、二番機以降の仕事は一番機の護衛となる。

列機は一列に並ぶため一番後ろの四番機ほど危険が高くなる。四番機は三番機の、三番機は二番機の壁役となるのである。一番危険な四番機を「カモ番機になる」と言った。まさに敵のカモとして絶好の標的にされるのである。

空中戦になると一番後ろの四番機は操縦技術の差もあって遅れがちになる。単騎になってぽつんと孤立した四番機は囮となって敵機に狙われる。一番機はその間に敵機の攻撃を逃れ、同じようなカモになったはぐれた敵機を狙う。

自分の味方機が盾になることによってエースは撃墜数を稼いでいる。僚機の犠牲の上で成り立っている。その為声高に撃墜数を自慢する人もいたが撃墜数を言わない人は言わなかった。

これはパイロットに限らず、陸海空すべてに共通して言えることで戦功を誇る人もいれば、大戦果を出してもその活躍の下で多くの部下を殺してしまったと決して自分から功を誇らない軍人も多かった。

また、戦後は敗戦の責任を感じ多くの部下の命を守りきれなかったとして、一切公の場所で発言をしなかったり、また自宅に謹慎して外に出なかった軍人も多かった。

伊藤忠商事の会長として世間で脚光を浴びた元参謀本部の作戦参謀であった瀬島龍三や撃墜王として有名な坂井三郎より多くの撃墜数を数えた隠れたエースが過去の栄光を胸に秘め、死ぬまで責任を感じて世間から離れていたのである。

(参考文献:「蒼空の航跡」 久山 忍 著)

 - ドッグファイト、実際の空中戦と編隊飛行