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日米軍内の階級制度 ~柔軟なアメリカと硬直化した日本~

      2017/04/08

太平洋戦争で日本がアメリカに負けた原因によく「物量に負けた」という言葉が使われます。確かにその通りで、アメリカ軍の圧倒的な生産力の前にはおそらくどのような努力も最終的には水の泡になったかと思います。日本が弓矢で戦っていた時代にアメリカ軍は鉄砲を使って攻撃してきた。そんな感じすら漂うほどの 圧倒的な戦力・物量差がありました。

それでは敗北した理由をすべて「物量」で片付けていいのでしょうか。そう考えると物量とは負けた理由を考えない思考停止のための便利な言葉に思えてきます。

敗者は敗北から多くのことを学ぶと言いますが、それではアメリカと日本、もし仮に同じ物量であったら日本が勝利していたと即座に断言できるでしょうか。

今回は物量など関係ない軍の階級制度の柔軟性をみることによって、日本とアメリカのシステムの違いから日本が敗北した原因を考えてみたいと思います。

ニミッツの太平洋艦隊司令長官就任

太平洋戦争が開始され、真珠湾が奇襲を受けました。この奇襲は色々いわくがあるのですが、間違いないことはアメリカの戦艦の多くが撃沈されたという事実です。そしてその結果、時の太平洋方面の米海軍の総責任者として真珠湾に赴任していたキンメル太平洋艦隊司令長官が責任をとり解任されることになりました。

そして、この後任の太平洋艦隊司令長官となったのがチェスター・ニミッツ提督です。

(チェスター・ニミッツ提督)

このニミッツ提督の太平洋艦隊司令長官はアメリカの人事システムが如何に機能的であったかを物語ります。この時ニミッツはまだ海軍内では将来を期待された人物であったことは事実ですが、海軍内の階級はまだ少将であり、軍の序列にして28番目の地位でした。

そこから太平洋艦隊司令長官へ一足飛びの任命は、多くの先輩を飛び越しての任官となりました。実際、太平洋艦隊司令長官はアメリカでは大将しか就任できなかったので、ニミッツは司令長官就任のために中将を経験することなく、大将に昇進しております。

なぜニミッツが多くの先輩方を差し置いて司令長官になったかというとそれはその後のニミッツをみれば一目瞭然ですが「有能」だからです。そして、なぜそれを行ったかというと戦争という緊急事態となったからです。

太平洋艦隊司令長官に就任したニミッツ提督はその後陸軍のマッカーサー元帥と共同して対日戦の指導者として水を得た魚のように日本軍を敗北へと導くことになります。

そしてミニッツ提督自身も、軍部内の組織のしがらみにとらわれない柔軟な人事を実施しております。例えばスプルーアンス提督は航空畑の経験がなかったにも関わらず、空母を中心とした機動部隊のトップにするなどの大胆な人事を実施しております。そしてそれがことごとく良い結果をもたらします。

この様に、アメリカ軍は平時にはニミッツの様な有能な提督でも、軍の組織内での秩序を維持するために少将という地位にくすぶっているのですが、いったん戦時になると勝利の為に平時の規則にとらわれない柔軟な対応を見せました。

さて、それでは日本に関してはどうであったでしょうか。日本はタダでさえ、物量においてアメリカに負けているために、戦闘において被害を防ぐには出来る限り有能な将軍を適材適所に配置しなければなりません。

それでは、真珠湾奇襲攻撃という国運を賭けた攻撃を実際に誰が行ったかと言えば、南雲忠一中将を中心とした第一航空艦隊によって行われました。そしてこの南雲中将は驚くべき事に、魚雷などの水雷を扱う水雷畑の出身であって、空母を中心とした機動部隊については殆ど専門知識を持ちあわせておりませんでした。

(水雷戦隊の専門家 南雲忠一中将)

それでは何故、南雲中将がこの真珠湾奇襲という大切な攻撃の司令官になったかというと、その理由は軍の年功序列制度であったからです。ただ、それだけです。

この第一航空艦隊というのは世界で初めて空母を集中運用するという歴史に残るような斬新な戦術を採用しており、そしてそれを開発したのが航空の専門家であった小澤治三郎中将でした。

自らが提案して作り上げた第一航空艦隊、小澤中将はその司令官に就任する有力候補でありながら、最終的に南雲中将より兵学校の卒業年次がわずか一年だけ下であったというだけの理由で司令官に就任することができませんでした。(その後、南雲中将の後任に小澤中将が就任します)

(小澤治三郎中将 アウトレンジ戦法でも有名)

機動部隊の生みの親である小澤治三郎を戦時中という緊急時においても軍隊内の「秩序」を優先として適材適所が行われない。これが日本海軍でありました。

それはそれで、軍隊内の秩序を守るためには必要な措置であったかもしれませんし、それによって軍組織が円滑にまわるかもしれません。しかし、アメリカであれば、真珠湾攻撃という一大決戦を前に恐らく南雲中将から小澤中将への配置転換が行われていたのは容易に想像できるかと思います。

とにかく、日本の太平洋戦争の敗北した理由を問うと「物量」という声がこだまとなって聞こえてきます。本来であれば、このような物理的な物でない組織や制度といったソフトウェア的な物を一生懸命やり繰りして、そういった物量差を跳ね返すべきであります。

しかし、こういった硬直化した制度の下では、仮に物量差が同じであったとしても、ソフトウェアの優劣においてアメリカのような効率的な能力主義の前では到底歯が立たなかったのは言うまでもないかと思います。

2010/08

 - 日米比較 軍隊の階級制度と戦時下での柔軟性