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歴史や文明、雑学などを綴るブログ

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環境破壊と自然との共生①(ヨーロッパ編)

   

◆自然との共生とは

中国で孔子と同じく儒教の大家である孟子はある時「人の本当の姿は見た目だけではすぐに判断できない」という教訓を弟子達に話すために、次の様な例え話をしました。

孟子は言いました。「牛山はむかし森が美しかった。それが、大都会の郊外にあったため斧で木材を伐採されてしまった。その結果あのようなハゲ山になってしまった。今の人はあのハゲ山を見て昔からあのような樹木のない山だったと誤認しかねないが、今の姿が山の本性なのではない。だから人も見た目だけで本性を判断できないのだ」

『孟子:告子章句上八』

さて、孟子が例えとして出したこの牛山の話から驚くべき事がわかります。それは紀元前5世紀に中国では既に環境破壊が始まっていたということです。

環境破壊は21世紀の現在、地球規模での重要な問題となっております。産業革命以降の汚れた地球を綺麗にするために多くの人達が知恵を振り絞って解決策を考えています。

近年では「自然との共生」という言葉もよく目に付くようになり、地球環境に優しい取り組みが政府レベルから個人まで様々に行われています。エコといった生態系を保護するための環境への配慮は人間的に素晴らしい取り組みだと思うのですが、一つ疑問に思うことがあります。それは

自然と共生する姿とはどのような環境を言うのだろうか。そもそも人類はこれまで自然と共生した生活を送ってきたのだろうか。

という疑問です。

例えば江戸時代の江戸は100万人以上の人口を抱える当時世界一の大都市であり、人々は長屋などの密集した狭い環境の中で生活しておりました。その為、少ない資源を大切に利用する為にリサイクルを行うなど街全体も非常に綺麗で衛生的でまさに「エコ都市」と言える都市でした。

しかし、そういった少数の例外を除けば人類と自然との関係は共存するのではなく自然を相手に格闘を続けていた歴史でもあり、自然を破壊する環境破壊の歴史でもありました。

これからヨーロッパと中国の2つの地域を時代ごとに分けて人類が自然とどう向き合ってきたのかを振り返りたいと思います。そしてそこから自然との共存や環境保護について考えてみたいと思います。

◆メソポタミア文明とギルガメシュ叙事詩

人類初の文明の発祥地は四大文明ですが、その中でも特にメソポタミア文明が、他の文明より一歩先駆けて発展しておりました。その根拠となるのが、記録に残る最も古い文字がメソポタミアの楔形文字であるからです。人々はこの肥沃な三角地帯(デルタ)に集まって暮らし麦の栽培を始めました。

この人類最古の記録の時代に「ギルガメシュ叙事詩」という物語が作られました。記録に残る最古の物語です。ギルガメシュ王の英雄譚がストーリーの中心ですがその中でメインの話となるのが、ギルガメシュ王が森の主「フンババ」を討伐しに行く話です。

(ギルガメシュ叙事詩が刻まれた楔形文字の石版)

この話で興味深いのは苦難の末にギルガメシュがフンババを倒した後の話です。倒した後にギルガメシュが何をしたのかというと、フンババに連れ去られた人々の解放でも、人々から奪った財宝を取り戻したりするのではありません。なんとギルガメシュは、フンババが守っていた巨木が立ち並ぶ森の木々を伐採したのです。そうです、このギルガメシュ叙事詩はギルガメシュが森の木を切りに行く話だったのです。

ギルガメシュ叙事詩の舞台となったメソポタミア地方は現在、考古学的な発掘調査が行われており、当時の地層から検出された植物の花粉の解析が進められております。その結果、環境考古学の第一人者である安田喜憲氏の「森と文明の物語―環境考古学は語る」によれば現在のティグリス・ユーフラテス川の下流である砂漠化した河口地域は当時、木々が生い茂る森に覆われていたことが判明しています。

このギルガメシュ王の英雄譚は河口付近に住んでいた人々が周辺の森の木々を伐採し過ぎた為にティグリス・ユーフラテス川の上流部に生えているレバノン杉を伐採しにいった実話を元にして神話が作られたと考えられています。

(レバノン杉 見ての通り巨木です)

おそらく「フンババ」というのは上流部に住んでいた森の民のことです。そして彼らが伐採に来たギルガメシュの兵に対して必死になって抵抗した話だと予測することができます。

このギルガメシュ叙事詩の様に大きな宮殿の柱などを建てる為の建築資材として巨木であるレバノン杉を伐採し、上流から川の流れを利用して下流まで運搬していたのでしょう。人類最古の物語が森の木を切る話であることは驚きですが、文明は始まった直後から自然破壊をしていたという事実には更に驚かされます。

余談ですが上流の木々を切りすぎた結果、雨水が保水機能を失った森に吸収されることがなくなり、大雨の後に雨水が山々から大量に大河に押し寄せました。その結果、メソポタミアの地では「大洪水」が発生して大量の死者が出ました。この大洪水の逸話もギルガメシュ叙事詩の中の物語の一つですが、旧約聖書はこの話を元に「ノアの箱舟」伝説を考えたといわれております

(実はオリジナルは聖書ではないノアの方舟)

メソポタミアの地はその後、上流から塩気の強い水がそのまま流されるようになりました。そのため塩害の被害が発生し始めます。最初は塩に強い植物が育てられたりしたのですが、徐々に塩害の被害は強くなり次第に農地として適さない土地へと変貌してしまいました。その結果文明が廃れ現在の砂漠の姿へと変わっていったと考えられます。

現在も、人々が快適に暮らすために化石燃料を燃やして電気や自動車などのエネルギーを得ています。しかしその結果、大気汚染や酸性雨、気温の上昇などの環境破壊が引き起こされ人々の生活を苦しめています。面白いことに古代でも同じように自らが招いた環境破壊によって洪水や塩害などの因果応報ともいえる被害を引き起こしています。

さて、このメソポタミアの地や他の四大文明の発祥地であったエジプトやインダス、黄河流域も現在は荒涼とした砂漠地帯か乾燥した荒地となっています。しかし、いずれの土地も文明発祥時には周辺地域が大きな森で覆われていたと言われております。

(インダスのモヘンジョダロ遺跡 現在は乾燥した大地)

人々が農耕を始めとする文明生活を開始し無計画に周囲の木々を切り倒した結果、文明発祥の地は人間が住めない不毛の大地と変貌し人々はこれらの土地を遺棄しました。まさしく各文明は土地の使い捨てであり、そのダメージは今日まで回復しておりません。

◆古代ギリシア・中世ヨーロッパ

さて、メソポタミアの地から時代が進むにつれて、オリエント地域から人々の生活圏も徐々に広がり始めました。ヨーロッパには地中海沿岸からイギリスのブリテン島まで人々が広範囲に生活するようになりました。

ヨーロッパは元来、悪魔や魔女が出るといわれるような黒く深い森に覆われておりました。ローマ時代に書かれたタキトゥスの名著「ゲルマニアには古代ドイツを描いた歴史的な資料として名高い傑作ですが、その中でゲルマン人が住んでいるゲルマニア一帯が広大な森に覆われていることを述べています。このドイツや当時ガリアと呼ばれたフランスの平原地帯には森が一面に広がっており日中でも薄暗い闇に覆われていました。

(黒い森、実は全部人工林!!)

現在、ドイツには「黒い森」と呼ばれるシュヴァルツヴァルトという広大なことで有名な森林地帯があります。しかし、この森は後に植林された人工林です。そんなシュヴァルツヴァルトが及びもつかない天然の森がドイツ中に広がっていたのです。

またカエサルの「ガリア戦記に記されている様にフランスも同じ状況だと言えます。フランスの定番の風景と言えば丘陵地に一面に広がるぶどう畑をイメージする方も多いと思いますが、あのぶどう畑などの丘陵地も元々は森林地帯でそれを開墾したのが現在の姿なのです。一見すると原風景にみえるフランスの自然の姿も実は人工的に作られたものだったのです。

(湖の畔の丘陵地。今は一面ブドウ畑に)

これはドイツやフランスに限ったことだけではなく当然、地中海沿岸のイタリア半島・イベリア半島なども豊かな樹木に恵まれておりました。現在、地中海沿岸というとイメージするのは乾燥した気候と共に植物といえば、「オリーブ・コルクガシ・オレンジ」などの乾燥に強い樹木を思い浮かべるかと思います。

確かにスペインのアンダルシア地方は真夏に気温が40度を超える地中海性気候特有の乾燥地帯です。そしてスペインの内陸部を見ると樹木が無い禿山が多いですが、これは決して乾燥地帯だからもともと森林がないわけではありませんでした。人々が木材として山々の木々を伐採した結果として禿山となってしまったわけです。

アルマダこと無敵艦隊がイギリスに敗北し二度と再建されなかったように、厳しい乾燥地帯のスペインでは一度完全に破壊された森林資源を二度と取り戻すことがなかったのです。

(スペインの褐色の大地 緑があっても低木しかない)

森林の消滅はこうしたハゲ山だらけの景観だけでなく、他の方面にも色々な影響を与えています。地中海では本来、森から湧き出る栄養分豊かな水が河川から海へと流れてきました。しかし森がなくなった結果、地中海は魚などの海洋生物が非常に乏しい海となってしまいました。

大河の河口部はそれでも多少は滋養分が流れてきていますが、栄養が十分に地中海全体に行き渡っているとは言い難い状況です。これも森林を破壊した結果引き起こされた現象です。

◆かつては象が住んでいた北アフリカ

ヨーロッパと地中海を挟んで反対側の北アフリカの地中海沿岸地域も同じです。現在のチュニジアには、かつて「地中海の女王」と呼ばれ繁栄を極めた古代の都市国家「カルタゴ」が存在していました。

このカルタゴとローマ帝国との地中海の覇権争いの戦いがポエニ戦争で、その中で名将ハンニバルが象を伴ってアルプス越えをしてイタリアになだれ込み、イタリア中を大混乱に陥れたのは有名な逸話です。

(ハンニバル軍とアルプスを歩く象)

この逸話の中でハンニバルはその戦象をどこから入手したのかは歴史家の間で長年の謎でありました。とりわけ社会学者のコントは象の入手先がどこであったのかを突き止めることを終生のライフワークとしていたぐらいでした。

砂漠地帯であるチュニジアでは象は入手できないため、ハンニバルがどうやってアフリカ象またはインド象を手に入れたのか全く手がかりがありませんでした。しかし、この問題は大きな間違いがあったのです。それは、チュニジアは現在の砂漠と違い当時は木々が生い茂る地域であり、象が生息できるような環境であったのです。

ハンニバルはチュニジア近郊に住んでいた象を飼育してアルプス越えを行ったのです。(その後チュニジアで象の墓場が見つかったことで古代チュニジアに象が生息していたことが立証されました)

この様に地中海沿岸地域は元来は緑の木々に覆われた森が広がっていましたが、森林の伐採と乾燥気候によって次々とハゲ山や荒れ地へと変貌していったのです。

◆伐採した木材の利用先は

それでは伐採した木材を何に使用したかといいますと、それは金属を作り出すためです。石器から青銅、そして鉄器へと石器に変わり金属の使用が開始される様になると金属を精錬・加工するために莫大な量の木材とそれを原料とした木炭が使われるようになりました。

古代ギリシア時代を記述したヘロドトスの名著「歴史」の中に既に「タソス島はフェニキア人の金鉱探しの為に大山がすっかり掘り起こされて崩されている(中巻6-47)」と書いてある様にオリエント地域では古代からこの様な破壊が繰り返し行われていたようです。

また、時代が下って新大陸が発見されて大航海時代を迎えると今度は新たに造船に必要な木材の需要も大幅に増加しました。海洋国家であったヴェネツィア共和国では大航海時代前にも関わらず、造船の需要を満たす木材を確保できないために森林保護と木材確保を目的とした法律が制定されるほど森林資源が枯渇してきておりました。

(木造の帆船。マストに使う木でも相当な巨木を伐採しないといけない)

また、7つの海を征したイギリスでは造船用の樫の木を国内で調達できない事態に陥り、16世紀にはエリザベス女王が樫やブナ、トネリコなどの木材の伐採を禁止した法律(1558年)を出して森林資源の保護に乗り出しています。しかし、木材の減少に歯止めが効かず最終的に造船用の木材はノルウェーなどの北欧諸国からの輸入に頼ることになります。

◆近代 産業革命と木炭の枯渇とコークスの発明

さて、この様に森林を伐採し木炭や木材として使用し続けると当然のことながら森林資源が枯渇する時期が訪れるのは当然予測できることでした。

イギリスでは産業革命前において既に造船や製鉄によって膨大な量の木材を消費したために木の伐採を制限する法律まで出したのは既に述べた通りです。この様な危機的な状況を打開するために、考えられたのが木炭の代用としての石炭の使用でした。

石炭は元々「燃える水」の石油と同じく「燃える石」として一般に知られた存在でした。特にイギリスでは地面を掘ればどこでも露天堀りで石炭が取れるほど石炭資源に恵まれており、本来であればとっくに石炭が木炭に変わる燃料として使用されていてもおかしくない状況でした。

(炭鉱の石炭・別名黒いダイヤ)

それでは、なぜ石炭が使用されなかったというとそれは有害性にありました。現在も石炭を使った火力発電所の排煙が大気汚染や酸性雨を引き起こすように、石炭は燃やすと有害な物資を排出するからです。

石炭の煙には硫黄やリンを含んでおり、ローマ時代には煙が身体に毒であるとして石炭の使用を禁止した言い伝えも残っています。また、13世紀のイギリスのエドワード一世の時代にも石炭の使用が禁止された逸話があり、驚いたことに「石炭を燃やした者は死刑に処された」という記録が残っています。

石炭は人体に有害なだけではありません。石炭を燃焼させる時に出る水蒸気や硫黄分などの有毒ガスは鉄を精錬する際に良質の鉄を作り出すのを妨げるので、製鉄の燃料に使用されるのも敬遠されておりました。

燃料として豊富にあるために魅力的でありましたが、その有害性の為に人々から忌み嫌われていたそんな石炭に転機が訪れます。1713年にイギリスのダービー卿が石炭から「コークス」を作り出すことに成功したのです。

(コークス、石炭と見た目は大して変わらない)

コークスとは石炭を密閉した低酸素の炉で焼いたもので、前述した硫黄分や水蒸気・タールなどの有害な不純物が除去されており、これにより人々は健康を害することをなく(それでも完全に無害となったわけではありませんが)石炭を燃料として使用することが可能となったのです。

コークスは石炭よりも更に高温の熱を生み出すこともでき、それによってイギリスではコークスを利用した製鉄法により鉄の生産量が飛躍的に上昇しました。この勢いは凄まじくバーミンガムは石炭の産地であったことから豊富な石炭資源を背景に鉄の町として英国有数の工業都市へと生まれ変わったぐらいです。

(バーミンガムの急増する人口)

この石炭からコークスへの転換の成功によってイギリスは製鉄や蒸気機関などの産業革命を成功させ世界の工場として大発展を遂げることになるのはご存知の通りです。

その一方で、前述のバーミンガムなどの新興都市は排煙による煤が街中を四六時中覆い尽くし「ブラック・カントリー」と呼ばれるほどの劣悪な環境汚染に侵されるようになりました。現在にもつながる公害の発生です。

産業革命の発生によって世界中で石炭や鉄鉱石の需要が大幅に増加します。そして石炭や鉄鉱石の採掘の為に山々はひっくり返されます。河川には汚染された工業排水が流れ、燃やされた石炭の有害物質が空気中に撒き散らされ、大気汚染といった環境破壊が深刻化し始めるのです。

(工場から出る黒煙)

必要は発明の母ではありませんが、皮肉なことに木炭燃料の枯渇により深刻な燃料不足が懸念され、その解決のために生み出された代替品としての石炭と蒸気機関の利用がその後の人類の文明レベルを飛躍的に高める役割を果たします。その結果、人類は地球規模での環境破壊を引き起こすことになったのです。

以上が西洋的、特にヨーロッパにおける人類と環境破壊との歴史的な関わり合いの関係です。それでは今度は地球の反対側の東洋、特に中国がどの様に自然と向き合ってきたのかを見ていきたいと思います。

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