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歴史上「最悪」の職業 ~前編~

      2017/10/14

(歴史的な職業:鍛冶屋)

イギリスの公共法である「チャンネル4」で以前「World Job in History」という放送が放映されたことがあります。イギリスが成立する以前のローマ時代の古代から現代までの英国の存在したあらゆる職業を調べてみて、一体どんな仕事が歴史上一番最悪の職業であるかを検証した番組です。

その番組のトニー・ロビンソンが出版した本が日本語でも邦訳され『最悪の仕事の歴史』として読むことができます。今回はこの「最悪の仕事の歴史」を参考にして歴史上の最悪の仕事のみならず一風変わった職業などを紹介してみたいと思います。

今回執筆にあたってかなりの長文になったので文章を「前編」「後編」の2つに分けて、そして面白くて珍しい最悪な仕事を「番外編」として取り上げてみました。ですから前・後・番外の3部作となります。

◆現在の最悪の職業 in 日本

まず、歴史的な職業を紹介する前に、現在の日本で考えられる最悪の職業を考えてみたいと思います・・・・と思ったのですが、これは難しいですね。ロビンソンも著書の中で100年前までの仕事は紹介しているのですが、現代の最悪の仕事は紹介していません。恐らくそれは現在進行形でその仕事で働いている人達に遠慮してのことだと思います。

ですから私もサッと簡単に挙げてみると、あまり人がやりたがらない仕事として思い浮かぶのはトイレ清掃・生ゴミの回収・バキュームカーの操縦などの汚物系の仕事が思い浮かびます。

また別の視点では高層ビルの窓拭きをする人、富士山頂の気象観測員、自衛隊の不発弾処理係、原発を含む核関連の作業員など命の危険がある仕事などですね。その他、遺体の掃除や新薬の治験、事故物件の清掃人(腐敗遺体の処理を含む)などが挙げられると思います。

(アフガニスタンでの不発弾処理)

これらの仕事の中で「事故物件の清掃人」や「新薬の治験」は給料がかなり良いことでも知られています。遺体関連の仕事はやりたがらない人が多いため給料が高い傾向にありますね。

逆に自衛隊は公務員なので不発弾処理でも法律によって勤務手当は決まっていて、1回につき5200円です。命の危険性があってこの値段ですよ・・・これが民間なら間違いなく数百万円は費用がかかるかと思います。

これら仕事を分類すると大きく3つに分けることができます。それがお馴染みの「3K」と呼ばれる仕事です。「危険・汚い・キツイ」の頭文字のKですね。日本だけでなく欧米でも同じように「Dirty, Dangerous and Demeaning」から3Dと呼ばれており仕事の好みは日本と同じような価値基準なんだとわかります。

それでは現代から過去に目を向けて歴史的にはどうであったのかを見ていきたいと思います。

●古代ローマの反吐収集人

ローマ時代、貴族たちの食事には奇妙な習慣がありました。それは食べた食事を吐くという習慣です。貴族たちはワインを飲み、肉を食べ、そしてお腹が一杯になればその食事を吐いたのです。

吐けば当然胃の中は空っぽになります。そして胃をスッキリ空にした後に「さあ、また食べるぞ!」とばかり饗宴を続けました。食べては満腹になり吐き、吐いてはまた食べるというのを繰り返したのがローマ時代の貴族の宴会のマナーでした。

ちなみにローマ人はソファーみたいなカウチの上に体を横に伏せながら食事をする習慣がありました。姿勢をわかりやすく説明すれば、よくお父さんがゴロンと横に寝っ転がりながら野球中継を見るお決まりのあのポーズのことです。

(実際に食事したカウチ、床に骨や貝殻など食べかすをポイポイ捨てた)

彼ら貴族はカウチの上で横に寝ながら食事をするというよくわからない習慣がありました。そしてお腹いっぱいになると吐くんです。

通常吐くのであれば現代人ならばトイレの便座で吐くのでしょうが、ローマではカウチの側に吐くためのボールがあってそこで吐くか、または床にそのまま吐きます。床に吐けば汚いし臭うので床でなく壺か何かを部屋の隅に置いて一箇所に吐けばいいと思うのですがお構いに床にぶちまけます。

そんなわけで彼らが吐いた排泄物を掃除する反吐収集人という、まあぶっちゃけて書けば「ゲロ集め」をする人達がいたというわけです。貴族の食事中に、床にぶちまかれたゲロや食べカス(貝殻や骨などもポイポイかまわず床に捨てたため)を集めるのが仕事です。なお、彼らの仕事についてはキケロやセネカなどの著書に細かい言及があるそうです。

●写本専門の修道士

写本というと大体どんな職業か想像できると思いますが、古代~中世かけてイギリスでは写本は主に修道士達の仕事でした。印刷技術がない時代では世界中どこでも写本は唯一の印刷手段でした。

日本でも源氏物語なり更級日記なりが写本された結果、多くの人の目に触れることになったのは言うまでもないことです。日本では藤原定家が行った写本が有名です。

(定家直筆の更級日記の写本)

定家の仕事の一例を上げれば「更級日記」は定家が写本しなければ、現存していなかったと言われています。現在残っているのは定家を底本とした写本です。ですから定家は文化的に非常に重要な仕事をしたと言えます。

実際に更級日記の中で主人公の女性が都に行ったら読んでみたい物語の名前を幾つかあげているのですが(有名な例としては源氏物語)その物語のいくつかの作品は現存していない作品で、タイトルだけは確認することができます。

さて、そんな写本ですがイギリスの写本が最悪の職業と紹介されているのにはわけがあります。まず、ヨーロッパの修道士達が使う紙は中国で発明された紙や和紙などではなく、中世までは羊皮紙といった動物の皮が紙の代わりになっております。

(これを適正サイズにカットして紙の代わりに使用)

その為、紙に墨を使って毛筆で簡単に書くようには出来ていないのです。書き込むためには動物の皮に刻みつける様に、つまり人間が皮膚に入れ墨をするようにインクを羊皮紙に刻みつけて書かなければいけない手間があったそうです。

もちろん写本自体が退屈な作業ですが、さらに写本するためには一定の明るさが必要す。古代においてはガラス製の窓などなかった為に木の窓を空けて採光する必要がありました。その結果、極寒の真冬のイギリスでも窓を空けて作業をしなければならない必要性があったそうです。

(写本をする修道士 寒かったんでしょう)

写本作業はキツく、同じ姿勢でずっと朝から晩まで書き続けないといけませんでした。その為、筋肉が硬直し、非常に苦痛であったそうです。写本の余白には作業を行った修道士の落書きがあり「神様、寒すぎます」といった落書きがあるなどキツイ労働環境であったことを愚痴っています。修道士のナマの声が垣間見える瞬間です。

●武具甲冑従事者

西洋の騎士であるナイトを補佐する付き人。それが武具甲冑従事者です。日本でも馬に乗った騎馬武者の側に徒歩で付き従う下人などがいますが、同じ様な立場のものです。

この武具甲冑従事者は主に主人である騎士の西洋鎧を管理するのが仕事です。決して騎士に従って戦場を駆け回るわけではありません。戦場まで騎士に付き従って、主人に鎧兜を着せた後は出陣する騎士を朝方に見送って、戦いが終わって引き上げてくるまではその場で待機しております。

では、なぜ厳しいのか。それは鎧の管理にあります。騎士の戦いは一瞬で終わるわけでなくにらみ合いも含めて丸一日も費やすのも珍しくありません。騎士はその間、甲冑を脱ぐことはありませんからもう、鎧の下のほうが汚物まみれになっているわけです。

(プレートアーマー 登場は中世より後の時代で実際はここまで重装備ではない)

そして、戦場において水は貴重品であったために研磨剤や砂を使って汚れを落とさなければならなかったからです。一日で戦闘が終わらずに数日に渡って行われる攻城戦などの場合は毎日そのメンテナンスをしなければならないので大変です。汚物まみれの鎧を水なしで毎日整備するとか、どんだけ大変なのだろうかと思います。

もう一つ、大変なことは突然の敵の襲撃などに備えて、合戦の最中はいつでも主人が鎧を着用できるように主人の側を片時も離れてはいけなかったことです。

いつでも準備ができるように待機しなければならないという、神経をすり減らす用な精神的な負担もありました。たとえ睡眠中でもいつでも目を醒まさないといけないので、肉体的にも精神的にも合戦の最中は休まる暇がなかったでしょう。

●死刑執行人

死刑執行人はそのままです。処刑、つまり人を殺すのが仕事です。日本では聖徳太子の「和を以て貴しとなす」ではないですが、死刑というか「人を殺す」という行為は歴史的に長いあいだ忌避されてきたと思います。

例えば歴代の天皇や貴族で死刑になった人はまずいません。天皇は本来なら死刑に相当する罪をしても流罪(隠岐、佐渡などに配流)でしたし、処刑という方法は長い間あまり好まれてきませんでした。菅原道真にしても太宰府への左遷という名の流罪ですし、血を見ることを非常に嫌いました。

(後鳥羽上皇 承久の乱の首謀者だが流罪。なお上皇自ら戦いに参加したら北条氏は降伏する予定だった)

これが大きく変わったのは武家政権、とりわけ戦国時代からだと思います。江戸時代に入ると逆にあれほど嫌った殺生は今までの遅れを取り戻せとむしろ簡単に行われるようになりました。例えば「農民がお上に直訴すれば例えその直訴が正当なものでも直訴した人は死罪になる」などですね。

江戸時代の死刑の方法は「磔」「斬首」「火あぶり」など様々な方法があったのですが、一番有名なのは「切腹」ですね。切腹は残酷な刑の様にみえて実は武士にとって一番重要である「名誉」を守られます。

この自らの「名誉」を守るため江戸時代に入るとそれこそ昔なら流罪に該当する場合でも「とりあえず切腹」「サクッと切腹」「のりで連座で切腹」みたいに個人的には死刑のバーゲンセールが行われるようになったと思いますね。

さて、話を西洋に戻して、イギリスの死刑執行人の話です。この仕事は当然ながら公的に処刑することを許されているとは言え仕事の内容は「人殺し」であることはかわりありません。ですから当然やりたがる人がいません。その為、犯罪者が死刑を執行されるかわりに取引として死刑執行人の仕事を引き受けるといったことも多々あったようです。

彼らは処刑される人の身内から憎悪の対象となり、復讐される危険性があった為に顔などを布で隠して身元が誰なのかわからないようにしていたのですが、処刑人が誰であったのかは実際はバレバレであったようです。まあ、そうですよね。

処刑人は代々世襲であることも多かったようです。というのも、処刑人の子供が他の仕事に就こうとしても断られることが多く、彼らが働ける仕事は結局処刑人しかないからです。

また、結婚にしても処刑人との結婚を望むような女性は見つけるのが難しいですし、娘が処刑人と結婚するのを許す両親はいないでしょう。ですから結果的に彼らが結婚する相手は同じ様に処刑人の家族同士か社会的に抹殺されるような身分(例えば犯罪者、娼婦など)の人達同士です。

イギリスでは死刑に関して2種類の方法がありました。刃物で首を切断する「斬首刑」と縄で縛り首にして吊るす「絞首刑」です。この内、刃物を使う斬首刑は一瞬で死ねるので身分の高い貴族だけの特権で一部の人にのみ許されており、大抵の庶民は縄で縛り首にされたそうです。

(処刑用の斧と台 一般的には剣が使用されるがイギリスでは斧が使用された)

絞首刑は現在の日本でも刑務所で行われていますが、執行後直後にすぐ意識を失う為に死刑囚はそれほど苦しまないと言われています。(wikiによると5秒ほどで意識を失うそうです)しかし、当時はそれとは逆に30分ぐらいかけて徐々に窒息死するよう、あえて苦しめる処刑方法が行われていました(つまり死刑には「死」だけでなく「苦しませる」ことが含まれていました)

そのため、死刑囚の身内などがなるべく苦しまずに死ねるように死刑囚の体にぶら下がり、早く死ぬことを助けたそうです。

もう一つの処刑法の斬首刑ですが、斬首は斧や剣で首を切り落とすだけの一見すると簡単な方法に思えますが、実は非常にテクニックが必要な処刑法でした。刃物により一息で苦しまずに殺せるという死刑囚にとって苦痛が少ない処刑法でしたが、実際は処刑相手が苦しまないで一刀両断で首を切り落とすのは難しかったようです。

一度で首を切断できず、中途半端に苦しいままのたうち回り、何度か切断を試みてようやく絶命するといった場合も珍しくなかったようです。処刑法として残酷になるように意図していたわけではないですが、腕が悪い執行人にあたると結果的には悲惨な場合もあったそうです。その為、腕の良い処刑人は人気があり高額の料金が必要でした。

ちなみに、この困難な課題を克服した画期的な処刑方法があのギロチンです。この人道的?な処刑器具の発明によってどの死刑囚も苦しむことなく一瞬であの世に逝くことが可能になりました。

(ギロチン 発案者のギロチン家は後に改名した)

仕事として許されているとしても処刑人にもやはり人を殺すという「良心の呵責」というものがあったようで、一例を挙げればエリザベス一世のライバルであったスコットランド女王のメアリー・スチュアートの処刑の際に執行人はメアリーに「あなたを処刑することを許す」ように懇願します。

メアリーは処刑前に執行人らに対して「あなたがたを心から許します。今はただ、この私の困難な状況を決着してくれることを望みます」と言います。メアリーにしても、とにかくどうでもいいから「殺すなら早く殺してくれ」という心境だったのではないのでしょうか。

(メアリー・スチュアートの処刑 処刑人は英国随一の腕を持つ処刑人であったことだろう 右隅にいる女性はエリザベス女王だろうか・・・)

この様に処刑相手に許しを得て処刑をするなど、執行人としても罪の意識をなるべく少なく感じるような努力をしていたそうです。

◆後編へ

以上が前編の仕事です。だいたい中世までの職業を紹介しました。後編では歴史上ナンバー1の最悪の仕事や各年代別のワーストの仕事などを紹介します。

最悪の職業の歴史~後編~  → こちら
最悪の職業の歴史~番外編~ → こちら

「参考文献」

 - 歴史上「最悪」の職業決定戦