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ココ・シャネルと20世紀のファッション

      2017/04/08

20世紀最高のデザイナーとは誰なのか?ということをつらつらと書いてみたい。

まず、20世紀最高のデザイナーは断言できる。ガブリエル・シャネル、通称ココ・シャネルである。あのシャネルの創始者だ。これは誰もが異論がない。彼女は女性をより開放的にした。直接的な女性解放者ではないが、間接的に与えた影響から見ても20世紀の女性の最大の解放者としてともよいだろう。

服を開放的にすることによって心まで開放的にし、女性の社会的地位の向上へ多大な影響を与えることになったのである。では彼女の具体的にどこが素晴しいかと思うかであるが、皆が納得する形として具体例を挙げれば

● 女性がスカートから「パンツ(つまりズボン)」を履くことを広めた。
● 黒は喪服というイメージを覆しはじめてファッションで使った。

つまり、黒いパンツを履いた女性がいたら、それは彼女のお陰である。その他にジャージーを用いたのも彼女が最初であるし、シャネル全体で言えば有名な「シャネルスーツ」というものも生み出した。シャネルというブランドは間違いなく20世紀のベストブランドである。

ココ・シャネルは1971年に没しており、その後ブランドはカール・ラガーフィールドが後を継いでいる。が、今なお世界のトップブランドとしての地位を維持し続けている。

では、黒とスカートがどういうものであったかを19世紀までのファッションと照らし合わせて考えてみたい。

人々がファッションを意識するのは当然のごとく「喰うに困らない状況」であるのが当然であり19世紀まではファッションとは貴族や金持ち階級のものであっ た。これは現在でも変わらず、日本はよほど特殊な国(注・後日、他で簡単に説明します)なのか中流階級(お医者さんや銀行員のような給料ぐらい。まあ最低年収1千万は必要)の人々や果ては下層階級(私を含めた世間一般の人々のこと)がブランド品をもっているが、欧米では金持ちマダムか独身のキャリアウーマ ンのような人々しかブランド品をもたない。

そういう上流社会の人々がどういう服装をしていたかというと、舞踏会をみてもらえばわかるように、ひらひらの「ドレス」などを着用していた。主にドレススカートの下に窮屈なコルセット(体験したわけではないがかなり苦しいらしいですね。)を着用しており、鮮やかなピンクやブルーの女の子らしい色の服を着用していたわけだ。

「シャネルは女性をコルセットから解放した」とシャネルを評する人もいるぐらいだ。

黒の服というのは、いつ見ることができるかというと葬式の際に着用するのであるが、みなさんは映画なんかで教会で黒の喪服を見たこともあるかと思います。喪服の黒といったものは、当時は「葬式にしか黒は用 いない」といった言わば固定観念だったのである。

そういった人々にパンツ(ズボンのことアンダーウェアではない)を履くことを提案し、実践させたのがこのシャネルなのである。「色を多く使うほど醜い」という思想のもとで、シックで心地のよいファッションを提案し、そしてシンプルかつエレガンスを追及した彼女のファッションは世の多くの女性に支持をされそして、そして社会に出て行く女性たちにより活動的な服として爆発的に普及をしていった。

日本ではドレスがないからわかりにくいかと思いますが、これを着物としてみたらみなさんにわかりやすいと思います。女性が社会に進出していくとき着物を着ていたらどうですか?そう、シャネルが作った服は産業革命以降の「時代」が求めていたといっても過言ではないのである。

そういった意味でシャネルは世紀を超えた他の追随を許さないデザイナーなのである。当たり前すぎて気付かないが、彼女は言わば絵画史のピカソや音楽史におけるモーツアルトの様にファッション史という時代に偉大な足跡を残した人物なのである。

さて、シャネル活躍した20世紀初頭から中期にかけてだが20世紀は100年間ある。シャネルの引退後の20世紀の後半はではどのようになっていったのであろうか?

彼女は20世紀というよりファッション界で一番のデザイナーであるために、もう少し視線を下げて、20世紀のトップ3を見ていきたいと思う。つまり20世紀の3本の指に入るデザイナーである。

この偉大な3名を決める際には当然大きく揉めることになると思う。ただし、3人に誰を選ぶかではない。最後の一人を誰にするかということにである。意外なことだが、3人のうち2人は誰も異論を挟まないだろう。一人は「シャネル」これは先ほど述べた通りである。

もう一人は意外かもしれない。西洋の服飾であるファッション界にとって私達と同じ日本人「川久保玲」その人だからである。

川久保玲(レイ・カワクボ)とそのブランド「COMME des GARCONS」は、今なおトップブランドとしての地位を確立し続けている。通称「ギャルソン」フランス語で男の子・少年を意味する(英語のboy)この言葉を用いて「少年のように(英語でlike boys)」というブランドネーム「コム・デ・ギャルソン」を引っさげて日本から来たこの女性は世界のファッションシーンを席捲させた。

シャネルがパンツや黒を用いてファッション界に革命を起こしたと具体的に説明したのに対して、川久保玲が何故他のデザイナーより一歩上を行っているかということが断言できるか説明してみよう。それは彼女の異名の多さにあると思われる。

世間的には「服飾の既成概念崩した非構築的で斬新な表現手法」などと難しく評されたりしているが、私の個人的なギャルソンに対する意見を言わせてもらいたい。

それは簡単に言ってしまえば、服を「着こなす」というファッション業界にとって服を「着崩す」といった着こなしを最初に提案したのが彼女であると思う。

ギャルソンは、パリのコレクションにおいて1981年にデビューした。史上かつてデビューした際のコレクションにおいて、また現在までに行われたすべてのコレクションにおいて彼女以上に話題になったデザイナーはいないであろう。

彼女はそれほどセンセーショナルに才能を示し、そして多くの異名を獲得していったのである。「黒の衝撃」「ジャパネスク・カジュアル」「こじきルック」「からす族」などその才能に比例した多くの異名を得てきている。

シャネルは史上初めて黒を用いたといったのであるが、川久保玲も同じように黒(最もこちらはメインとして黒を多様に使用)を用いておりこちらは「黒い服」の代名詞になったほどである。

彼女は多くのデザイナーに(特に現在の若手)大きな影響を与えており、ドリス・バン・ノッテンやアレクサンダー・マックイーンなどは川久保玲から一番の影響を受けたといって尊敬の念を抱いてやまない。

また、彼女が多くのデザイナーから尊敬を集めることの一つに「経営の才能」が挙げることができるだろう。シャネルの時代のようにただオシャレであれば良い。というだけでなく、現代はファッションが「服飾産業」へとおしゃれ以外のビジネスの世界にも変化してきている。

したがってデザイナーはデザイン・センスのみならず、経営センスも必要な時代となってきている。この二つの際は「アート」と「ビジネス」という違った分野に属しており、現代においてはアートの才能があるだけではトップブランドになることが非常に困難になってきている。

これは例えばジル・サンダーといった人気ブランドにおいても、資本面で不安があるためにプラダ社と提携したところ、結局プラダの経営陣とのそりがあわずにデザイナーを退任してしまった。

また、イブ・サンローランは経営に関しては完全にパートナーのピエール・ベルジェに任せきりとなっており、自身はデザインに完全に専念したからこそ逆にブランドとして成功したと言える。これは稀有な例であって多くの場合、アクの強い個性をもつ人物が多いデザイナーは経営のプロに対して口を挟んでビジネスとして失敗してしまうケースが多い。

つまり、現代においてデザイナーは芸術的才能だけあればいいのではないのだ。

これは多くのデザイナーにとっては大いなる悩みの種であり、両者を両立しているデザイナーは殆ど皆無とっていいだろう。そういった中で唯一といっても過言でない非凡な経営センスをも持っている彼女には多くの人々が感嘆をするだけである。

つまり、恐ろしいことだがファッション界においてアートとビジネスの両方の世界においてトップの才能を示しているのだ。

なお青山が現在モードの街となっているのは、オシャレな若者が集う原宿の外れに位置した青山にまだ無名であったギャルソンがオープンしたことが始まりである。その後のギャルソンのブランドとしての成長と共にギャルソンの周辺に同じようなファッションブランドが出店し始めて、最終的に現在の様なファッションの街、青山へと変貌したのである。つまり彼女が青山をファッションの街にしたと言っても過言ではないであろう。

また彼女のブランドでデザイナーとして活躍している田中啓一氏はあの人気お笑いコンビ「爆笑問題」の田中の兄である。

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