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ドイツ語が公用語に?大量ドイツ移民の恐怖

      2016/12/18

今回のお話はあまり知られていないけれども非常にインパクトの強い、短めのお話です。

アメリカでは、まことしやかに言われている逸話があります。それは「アメリカの公用語をどの言葉にするか投票がむかし行われ、英語がわずか一票差でドイツ語に競り勝った」という逸話です。

この逸話は実は創作です。そもそもアメリカでは英語が事実上の公用語ですが、国としての公用語を法的に制定していません。つまり公用語の投票自体が行われていないんですね。ですからドイツ語との投票の話は創作になるのですが、実はこの逸話からわかることが一つあります。

それは「ドイツ語が公用語の候補になってもおかしくないぐらい話されていた」ということです。この話が他の言語、例えば日本語だとしたら「日本語が英語と比べて一票差?ありえないな」と信ぴょう性にかけて一蹴されてしまうわけです。

アメリカは旧イギリスの植民地を中心として独立した為に当然英語が話されていたわけですが、広大な国土に移り住んでくる全ての移民が英語を母国語としていた人達ではありません。いやむしろ話せない人も大勢いました。

第一次世界大戦前までアメリカで最大の移民グループはドイツ系の白人でした。特に1849年のドイツでの革命の失敗は多くのドイツ人がアメリカへ移住してくる契機となりました。

(ハンブルグからアメリカに移民する人々)

彼らドイツ系の移民は他の移民と異なっている部分がありました。それは彼らが貧しくなかったということです。同時期のアイルランド移民は本国のジャガイモ飢饉で食べるものすらなく、着の身着のままでアメリカに辿り着いたの対して、ドイツ系は革命に失敗したぐらいですから教育水準も高く財産も相当持っている人が多かったのが特徴です。

ドイツ系移民は東海岸の沿岸部に留まることをせず、セントルイスを中心とした内陸の中西部に移住し、豊かな生活を送り始めました。移民として全土に散らばらずに集団で中西部に移住したために、移住先で住民の半数や時に人口の90%がドイツ系移民ということも珍しくない状況だったそうです。

(1872年におけるドイツ系住民の割合。シカゴを含む中西部に集中している)

したがって通常会話する際にドイツ語を公用語のように使用していた地域も珍しくなく、そういったことから最初の公用語の投票の逸話が作られたのだと思います。これらの地域では現在でもアメリカドイツ語(American German)と呼ばれる英語訛りのドイツ語が話されています。

ドイツ系移民の影響はドイツ語だけではありません。ドイツの文化や風習をアメリカ社会にもたらしました。ドイツと言えばビールをイメージする人も多いと思いますが、ウィスコンシン州のミルウォーキーは彼らドイツ移民が作った町であり、そこで彼らが作ったビールが現在のアメリカを代表するバドワイザーやミラーです。

また、カール・シュルツ婦人はドイツで経営していた幼稚園を移住先のアメリカでも開園しました。これがアメリカの最初の幼稚園であり、幼稚園を意味する英語のキンダーガーデン(kindergarden)はその影響でドイツ語をそのまま流用しています。

(ドイツ移民が作ったバドワイザー アメリカを代表するビール銘柄)

人間で言えば思春期にあたる、アメリカにとって大切な時期である19世紀にハードランド(Heartland)と呼ばれる中西部に大量のドイツ人が移住し、彼らの持ち前の勤勉さや堅実さで土地を開拓し、多くの町を作りだしたことは、その後のアメリカの社会や文化にとって目に見える形だけでなく、深層的にも非常に強い影響を与えることになりました。

現在、ドイツ系アメリカ人の割合は全米で17%を占めており出身別の割合では一位を獲得しております。ちなみにミルウォーキーの現在のドイツ系の割合は43%となっております。ヒスパニックの流入が激増している中でこの数値なので第2次世界大戦以前はもっと高かったことでしょう。

現在、ドイツ語を話せるドイツ系アメリカ人は時代を経るごとに減少しております。そんな同質化が進む中で、ドイツ語は話せなくてもドイツの文化や風習、そして何より大切である彼らの価値観などはアメリカ社会に深く根付かせるのに成功したのではないかと思います。彼ら移民の痕跡がなくなろうともアメリカ社会の深奥部に彼らの痕跡を見つけることができるでしょう。

 - ドイツ語が公用語に?押し寄せたドイツ移民