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~ヒストリアイ~

中世ヨーロッパの生活① ~典型的な庶民の一生~

投稿日:2016-06-26 更新日:

生と死が隣り合う世界

中世ヨーロッパでは現代と比べて医療や公衆衛生が未発達でしたので驚くほど寿命は短いものでした。また避妊の手段がなかったので現代と比較して驚くほど多産な世界でした。したがって現代と比較して中世ヨーロッパを生きた人達にとって「生」と「死」は常に身近な存在でした。

女性は一般的に死ぬまでに平均して5~6人の赤ちゃんを出産しました。そして妊娠が可能になる年齢から亡くなるまで生涯のかなりの時間を妊娠して過ごしました。

出産には常に危険がつきまといました。出産で女性が亡くなることは決して珍しいことではありませんでした。一例を挙げれば戦争で戦死する男性より出産で亡くなる女性の方が圧倒的に数が多かったのです。

スイスのチューリヒにある中世時代の墓地の発掘調査によると女性の恥骨の計測結果から女性一人につき平均で4.2人の赤ちゃんを産んでいたことが判明しました。また埋葬者の50%以上が7歳以下の子供であった墓地がいくつも発見されたそうです。

現在と比べると多産多死の時代でした。そしてこの時代に産まれたばかりの赤ちゃんにとって最大の難関は大人になるまで無事に生きのびることでした。

仮に100人の赤ちゃんが誕生したと仮定します。中世では2歳を迎える前までにその子供の中から19人が亡くなります。18歳になるまでに更に27人が亡くなります。無事に20歳まで生き延びて成人することができたのは100人中なんと54人という驚くべき人数です。

これは決してヨーロッパだけのことではなく世界中どこでも同じことでした。例えば日本の「七五三」の習慣は子供が3歳・5歳・7歳まで無事に生き延びられたことをお祝いする文化です。

一般的な家庭では母親が5~6人の子供を出産してそのうち子供が無事に生き残るのが半分の2~3人。夫婦2人に子供が2~3人の合計4~5人の家族が一般的であったようです。

また全人口に占める子供の割合が驚くほど多い社会でした。人口分布図は典型的なピラミッド型で下に行けば行くほど人口が多く人口の半分が14歳以下の子供でした。つまり15歳以上の大人は全人口の半分しかいません。無事に成人まで辿り着けるのは一握りの幸運な者だけでした。

(※参考までに2016年の日本の人口のちょうど半分の年齢は46歳です。また14歳以下の人口の割合はわずか13%に満たない数です。そして20歳以下の人口が18%になります。つまり未成年が5人に1人という僅かな数しかいない超高齢化社会です)

また中世では子供は子供ではなく「小さな成人」として扱われました。現在と違い義務教育もなく学校に行く必要もないので農民の子供は小さい頃から親たちと一緒に農作業をして働くように仕込まれていました。

また子供として扱われる年齢もだいたい15歳ぐらいまででした。貴重な労働力として大人への階段は早かったのです。当然子供の人権などもない時代でした。大人も子供もみんな生きるために必死だったのです。

結婚について

現在の自由恋愛と違い婚姻は基本的に本人の意思に関係なく両親など家族間の合意で勝手に決められていました。結婚とは個人同士のものではなく家と家同士の結婚でした。そのため子供の頃にはすでに将来の結婚相手である「許嫁」が決まっていることも珍しくありませんでした。

中世から時代が徐々に経つにつれてこの親同士の勝手な婚約に対して教会が介入するようになってきます。たとえ親同士が決めた結婚であっても最後には必ず花嫁の同意が求められるように教会法の規定が定められました。

そして時代が進むと更に本人達の意思が尊重される様になります。現在と同じ様に本人同士である花婿と花嫁の自由意思による恋愛結婚の例も見られるようになります。しかしそれはごく一部の例外でした。現実にはその後も殆どの場合は両親同士が勝手に結婚相手を決めていたようです。

結婚する花婿と花嫁の平均年齢は男性が20~24歳、そして女性が14~16歳でした。ちなみに教会法で定められた結婚の最低年齢が男子が14歳、女子が12歳です。

寿命について

中世と言っても地域や年代によって差がある為に資料によって多少のバラツキがあるのですが、大雑把に言えば中世ヨーロッパの平均寿命はごく幸運な場所と時代なら30歳であり、不運な時代と場所なら驚くべきことに20歳であったようです。

いくつかの文献を参考例として挙げれば知のビジュアル百科・中世ヨーロッパ入門によると1300年頃の農民は25歳までしか生きられなかったようです。

非常に短いと驚かれるかもしれませんが当時の農民は貧しい食生活をしており、とりわけビタミンやミネラルが不足する偏った食事をしておりました。

また現代と違いの夏の酷暑や冬の寒さといった厳しい気候の中で満足な防寒具がない中で過酷な農作業など力仕事に従事しました。そうした貧しい食生活の中での肉体の酷使が短い寿命へ繋がったと考えられております。

他の文献では例えば中世の日常生活では平均寿命はわずか25~30歳であったそうです。その最大の原因は乳児死亡率で地域によっては40%という驚くべき高さでした。

平均寿命から乳幼児の死亡率を除いて見てみると、成人まで無事に生き延びた人たちの20歳からの余命を調べてみると男性なら平均して47歳、女性なら44歳まで生きられたそうです。

中世でも文献によって時代や地域が違うので一概には言えませんが、中世ヨーロッパでは大まかにこのような寿命であったようです。現代と違い死というものが人々の日常に当たり前の様に存在しておりました。

100世帯ほどの大きな村では平均して18日に1件の割合で葬式が行われました。そして同じ割合で子供が産まれていました。村では年間20回ほどの葬式と同じく20回近い出産がありました。

多産多死の時代でしたがそこに生きる人々は開墾などを行うことによって生活圏を徐々に拡げていきました。そして緩やかではありますが人口は13世紀まで着実に増加していきました。

病と疫病

中世のヨーロッパにおける最大の歴史的な出来事は1347~1350年のペストの大流行です。別名「黒死病」とも呼ばれたこの伝染病によって全人口の30%~50%が死亡したと言われております。

統計にもよりますが少なくとも人口の3分の1、多ければ人口の半分近くがペストによって死亡したのは疑いのない事実です。西暦1500年のヨーロッパの全人口はペストの被害によって200年前の1300年より大幅に減少しました。

ペストによって多くの死者が出たことは社会の隅々にまで影響を及ぼしました。バタバタと人が死んでいく姿を見て「明日は我が身」と好きなことして遊ぶ退廃的なモラルが発生しました。ボッカッチョの「デカメロン」はその価値観や雰囲気のもとで描かれた作品で当時の人々の生活を垣間見ることができます。

(デカメロン ペストから避難した男女10人が邸宅で語り合うという物語)

また農民の人口がペストによって半数に激減したことから農村の価値観に変化が生じました。多くの農民が亡くなったため領主が領内の農民を確保するのに苦労する様になるのです。

極端な農地あまりによって地主より農民が有利な状態が出現するようになります。また人口が半分近く減少したことで個人への富の配分量が増えて(単純計算で2倍)豊かになった者も出現しました。

ペストによる人口の大幅な減少とそれによる社会情勢の変化はその後のルネサンスの登場に多大な影響を与えました。

女性の地位について

現在の男女平等が叫ばれる社会と違い当時の男女の関係はどうであったのでしょうか。

中世における女性は男性にとっての母親・妻・娘として存在しており家庭では奴隷も同然でありました。その一方で聖母マリアなどキリスト教の崇拝の対象にもなりました。同じように戯曲「ロミオとジュリエット」のジュリエットの様に上流階級である貴族の男性に命懸けで恋い焦がれる存在ともなっております。

この様に文献だけで女性のありのままの当時の地位や姿を知ることは非常に難しいと言えます。

また娼婦は身分制度が厳しい中世でありながら時代によっては現代の公務員と同じ様に社会的に保障された地位であったりしました。例えば市の中でも一部の者しか参加できない公的なお祭りに娼婦は参加できたりするなど現代のアンダーグラウンドな雰囲気とは違ったイメージであったようです。

これは中世世界に圧倒的な影響力を持っていたキリスト教の中で「マグダラのマリア」が元娼婦でありながら聖書の中でも最重要な「イエスの復活」の発見者であったことと関係があるからでした。

彼女がイエスから直接「娼婦であっても救済される」と言われたことで娼婦という職業がキリスト教社会では独特の地位を占めることになりました。

ちなみに中世の墓地の発掘調査では男女の性別の比率が144:100と明らかに男性が多い結果がでております。通常は1:1になりますからこれは明らかに間引きが行われたと考えられます。

他の場所での調査結果でも男女比が1:1.14~1.18ぐらいで男性が優勢であったので間引きは全ヨーロッパで行われたと考えられます。

なぜ間引きをしたのかと言えば女性は畑を耕す労働力として求められていなかったからです。これは日本の農村でも江戸時代を含めてごく当たり前に見られた光景です。

むすび

以上が簡単になりますが誕生から亡くなるまでの庶民の一生になります。現代と比べて死というものが非常に身近なものでした。逆に言えば現代は命の価値が非常に高い社会だということができます。

兄弟の半数近くが成人するまでに亡くなるという家庭環境の中、小さい頃から親の農作業を手伝わされ結婚相手も自由に選べない。そして自分自身もいつ亡くなってもおかしくない状態の中で日々を過ごしていく。中世の庶民の生活はとても過酷なものでした。

個人の権利や人権といった意識すら存在しない、それが中世ヨーロッパの世界です。キリスト教がヨーロッパ社会で受け入れられていた理由も分かる気がします。

続き → 中世ヨーロッパの生活② ~食生活と農業について~

 

参考文献

基本的に 図解 ヨーロッパ中世文化誌百科 (下)を参考にしております。

その他の引用は 中世の日常生活 ハンス・ヴェルナー・ゲッツ(著)や 西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で 阿部 謹也(著) などです。

文中でも紹介しましたが 中世ヨーロッパ入門 (知のビジュアル百科)も平均寿命の参考例に使用しました。

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