日本の江戸時代に長崎から西洋に向けて輸出する商品には様々な品物がありましたが、伊万里焼などを出荷する際に長い航海で傷がつかないように和紙などの使わなくなった紙などを今日で言う緩衝材の代わりに使用しました。今でも同じように宅配便のダンボール箱の中に丸めた新聞紙がクッション代わりに使われていますよね。
この輸出された陶磁器を現地で受け取った人々はその緩衝材代わりのクシャクシャに丸められた紙を見て衝撃を受けました。そこには見たこともないような絵が描かれていたのです。それが日本の浮世絵だったのです。
しかしなぜ浮世絵、それも緩衝材として再利用されるような浮世絵に衝撃を受けたのかというと当時の西洋画と違い全く斬新な絵であったからです。西洋の遠近法を重視した写真の様なリアルの写実絵と違い、日本の浮世絵は遠近法を無視したものであったからです。
例えばこちらの北斎の最も有名な浮世絵である神奈川沖浪裏。
波と富士山と船の3つが描かれた鮮やかな浮世絵ですが完全に遠近法を無視した技法で描かれています。当時の神奈川宿の沖合からは実際にはこの様に富士山は見えません。また、一見すればすぐに誰でもわかりますが、波が大きすぎます。しかしその誇張した波のおかげで絵の中には臨場感が溢れんばかりに表現されています。
この様に浮世絵の風景画は出来る限り写真のように忠実に再現するといった西洋の人々の概念を打ち破る作品であったと言えます。実際、この時期に西洋でも「印象派」と呼ばれるグループが登場し風景を心で感じた一瞬のイメージで捉える絵画が盛んになります。
こういった時代背景もあり浮世絵を含めた日本文化は「ジャポニズム」と呼ばれ、特にフランスで大ブームとなり当時の西洋絵画に非常に強い影響を与えることになります。この浮世絵には遠近法だけではなく西洋の絵画にない点が他にもありました。それは構図です。
(名所江戸百景「大はしあたけの夕立」歌川広重)
こちらの歌川広重の作品です。この浮世絵は画面の中央を左右に橋が横切っており画面が上下に分割されております。この様な大胆な構図は当時の西洋画においてないものでした。
(名所江戸百景「四ツ谷内藤新宿」歌川広重)
同じように馬の浮世絵は絵の右半分が馬の、それもお尻のアップだという大胆な構図です。こういった自由奔放なルールに縛られない構図に多くの西洋画家が度肝を抜かれたわけです。
その他、浮世絵では題材として当たり前であった江戸の町娘の浮世絵なども当時の西洋ではありえないことでした。というのもヨーロッパでは当時は女性のモデルと言えばヴィーナスなどの女神や王女様などの王族や貴族などの有名人に限られておりました。浮世絵のように庶民の女性がモデルとして絵の題材になることはあり得なかったからです。「普通の一般女性を絵のモデルにする」ということも浮世絵の影響であったのです。
実際に浮世絵がどれほどヨーロッパで持て囃されたかというと、既に1862年にはパリで浮世絵を専門的に売る画商がオープンしております。また、当時の印象派の画家らが浮世絵を参考にするために模写した作品が数多く残されております。
(モネ「ラ、ジャポネース」)
こちらはモネの作品です。タイトルの「ラ、ジャポネース」を翻訳すると「日本の女性」という意味になります。この絵を最初に見た時「いや、この人金髪の西洋人でしょ。完全に日本人じゃないし」と思いました。しかし、モネの日本への想いが伝わってきます。
続いて下にゴッホの絵を2つ紹介します。ゴッホは作品を模写するだけでなく絵の背景として浮世絵を描いたりするなど浮世絵関連の作品を多く残していたりもします。左が広重のオリジナル、右がゴッホの模写になります。
(ゴッホ「タンギー爺さん」背景が浮世絵だらけ)
この様に浮世絵は「ジャポニズム」という一大潮流として当時のフランスを含めたヨーロッパの絵画の世界に大きな影響を与えました。特に印象派の画家らはこぞって自分達の画力を高めるために浮世絵の良さを取り込んだのでした。
最後に西洋だけでなく日本側の話をして終わろうと思います。浮世絵が長崎の出島を経由して海外に出ていったの同じ様に、当時西洋の銅版画がオランダから長崎を経由して日本にも入ってきました。そしてこの舶来の写実的な西洋画を見て当時の人気浮世絵師達は強い衝撃を受けました。浮世絵が西洋人画家に衝撃を与えたのと同じ様に日本の画家たちにも西洋画は衝撃であったようです。
その内の一人である歌川国芳は感想として「西洋画こそ本物の絵画である」という言葉を残しております。西洋画は国芳に非常に強い衝撃を与えたようで、その後国芳は数少ない輸入品の西洋画を集めては丹念に研究をします。そしてついに遠近法を取り入れた写実的な西洋風の浮世絵を描くことに成功します。それがこちらの絵です。
この西洋の遠近法を取り入れた和洋折衷の浮世絵の評判はどうだったのでしょうか。この絵に対する庶民の反応はどうであったかというと結論から言えばこの浮世絵は失敗に終わります。実際に見てもらえばわかりますが、忠臣蔵の討ち入りのシーンを場面として選んでいますが討ち入りに入る四十七士の姿が小さいですよね。
本来の浮世絵なら遠近法を無視してもっと大きく描くはずです。特に主役の大石内蔵助などはそうです。そういったデフォルメされた絵に慣れた江戸の庶民にとっては写実的な浮世絵は何か物足りないものとなり失敗に終わったそうです。にわかには信じられない話ですね。
浮世絵は現在で例えるとポスターやブロマイド写真の様なもので、江戸の庶民でも気軽に買えるものでした。当時の値段ではだいたい20文。これは屋台のかけ蕎麦一杯が16文であることを踏まえて、現在の立ち食いそばの値段から逆算すると300~400円ぐらいになります。
実際に江戸に来た地方の人が「江戸土産」として浮世絵を気軽に買い求めたという話からも分かるように、庶民が気軽に楽しむようなものであったそうです。そういったポスターやブロマイド写真の様に気軽に浮世絵を楽しむ人々にとって写真のように忠実な西洋画の浮世絵は受け入れ難いものであったのかもしれません。
庶民相手の浮世絵ではなく将軍や大名などを相手にし、城の屏風やふすま絵などに対して遠近法を取り入れた風景画などを描けば国芳の西洋画の作品もまた違った評価を受けたのかもしれません。少し残念な話です。
補足1 モネの赤い着物の絵ですがモデルをやっているのは奥さんのカミーユです。そして彼女の本来の髪の色は金髪でなく黒です。つまりモネはあえて黒髪から金髪に変更して描いています。
補足2 歌川国芳だけでなくそれ以前の18世紀にも写実的な絵が特徴である秋田蘭画が廃れています。
補足3 ゴッホの浮世絵模写の一覧を探したらこちらにありました。