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~ヒストリアイ~

中世ヨーロッパの生活③ ~現代と比較した日常生活~

投稿日:2016-06-26 更新日:

中世ヨーロッパの日常生活

こちらの「中世ヨーロッパの日常生活」はシリーズとなっております。
①典型的な庶民の一生
②中世の食生活と農業について
④中世ヨーロッパの「性生活」
について書いた文章もありますのでよろしければ参考にしてみて下さい

中世ヨーロッパでは当たり前のことですが電気も水道もない生活を送っていました。この電気もガスも水道もない生活というのは自分達が想像しているより遥かに不便な生活です。

現代でもそうですがテレビでパリの華やかな町並みの映像をみると色鮮やかな花が咲き乱れ綺麗に町並みが整備されており見ていて思わず行きたくなるような街です。

しかし実際パリに行ったことがある方なら分かると思いますが、現実のパリはちょっとした小道に入るとびっくりするぐらい汚いですし、そして映像では分からないですが街中の臭いは本当に酷いです。そういったことを踏まえてみると当時を描いた文献や絵画だけでは分からないことも沢山あるかと思います。

そこでここでは「① 典型的な庶民の一生」「② 中世の食生活と農業について」から少し趣向を変えてみようかと思います。現代の文明的な生活と比較して当時の生活がいかに現代と違ったものであったのか見てみたいと思います。

大きく4つに分けられた世界

中世の生活は大きく4つに分類されます。

1.農民と農村の生活
2.都市と商人・職人の生活
3.王族と貴族の宮廷生活
4.教会や修道院の世界

これは講談社の「中世ヨーロッパの生活」シリーズの文庫本が「都市」「」「農村」に分けられて出版されていることからも簡単に理解していただけるかと思います。(ただしなぜ「教会と修道院の生活」について出版しないかは謎ですが・・・・)

この4つの大まかなそれぞれの世界の上に燦然と「キリスト教」が君臨しておりました。生活の隅々までキリスト教が浸透していて例えどの様な身分であってもその影響力から逃れることは不可能でありました。

このキリスト教の影響力は現在と比較しても圧倒的に人々の生活の隅々まで浸透しておりました。文化や風習・行事のみならず、道徳や倫理観などあらゆる全て場面に(例えば、夫婦間であっても子供を作る以外に快楽だけを目的とした性行為を禁止するなど)影響力を及ぼしておりました。

農村の生活

ジュヌヴィエーヴ・ドークールの中世ヨーロッパの生活によると当時の人々は自分の土地でとれた産物を使って自給自足の生活を送っていました。食事は全て自分の畑で取れた作物を食べていました。たまに近隣の産物などを近くの市場から手に入れて添えるぐらいでした。基本的に現金収入はありませんので農民がお金を手に入れるには現代と比べてとても大変なことでした。

食料だけでなく衣服などの繊維も糸紡ぎをするなどして自給自足をしておりました。(ちなみに中世のこの生活は)1860年頃まで新大陸に渡ったカナダのフランス系カナダ人の間では変わらず続けられていました。したがって中世の生活を知るうえで彼らの暮らしが貴重な資料となっております。

また現代でもアメリカの東海岸に宗教的な理由によりアーミッシュと呼ばれる昔ながらの生活をする人々がいます。現在でも馬車に乗ったりするなどの生活しておりますがそれでも彼らは文明の影響を多少は受けております。


(アーミッシュ、昔ながらの馬車で移動)

都市の生活

現代では多くの人々は文明生活や流行に憧れて都市に、とりわけ大都市で生活することを望みます。その結果として都市の人口は膨れ上がり農村などの田舎では深刻な過疎化が懸念されています。しかし中世では現在と異なり人口の都市への集中は見られませんでした。

多くの人が田舎に住み都市人口は全人口のわずか10%程度でした。例外的に中世後期の北部イタリアでは都市人口が多かったのですが、それですら都市人口の割合は25%という数値でした。割合だけでなく人口も絶対的に少なくパリ、ベネチア、フィレンツェ、ミラノですら都市の人口は10万人に満たない数でした。

※参考までに日本の平安時代(10世紀)の京都が20万人。鎌倉時代(13世紀)の鎌倉が20万人。中国の唐の長安が80万人です。

都市は防衛上の観点から城塞都市という巨大な城壁に囲まれた形をしておりました。その為都市の中は非常に密集していました。郊外は無人のガラガラの平野でしたが都市は上へ上へと伸びました。

冗談のような話ですがあれほど近隣に広大な土地があるにも関わらず、人々は都市の中でウサギ小屋の様な狭い部屋で生活しておりました。広場や教会周辺の墓地以外はびっしりと建物が立っており橋の上にも建物がありました。


(フィレンツェにあるヴェッキオ

当時大都市であったパリでは橋の両側にも家が並んでいる様な状態でした。むしろそういった家は水の入手と汚物の処理が簡単であった為に便利で人気がありました。

中世の都市の道路は清掃制度がなく大変汚い状態でした。パリの街中のあまりの悪臭にフィリップ尊厳王は気を失ったという記録が残っております。当時は馬が移動手段でしたので馬車用の馬から出る馬糞で道は埋め尽くされました。

また道路に犬・豚が放し飼いにされており、家の前に捨てられた野菜くずなどを漁っていました。肉屋や魚屋、皮なめしなどのお店では解体処理した死骸から出る腐臭のせいで耐え難い臭いを放っていました。

ローマ時代と違い都市には水洗トイレがない為にオマルの中身を窓から外に投げ捨てました。2階以上から投げる場合は日中は通行人に当たらない様に捨てる際の合言葉がありました。それが「ガルディ・ルー Gardy loo!」です。

(※絵で描かれたのではなく実物のオマルの写真はこれしか見つけることが出来ませんでした。出典は「知のビジュアル百科・中世ヨーロッパ入門」です。)

また一部の人々は万が一、空から降ってくる汚物で汚れることを避けるためにマントを羽織りました。雨が降ると道はそういった汚物でぬかるみます。臭いも含めて大変な惨事となりました。

※コラム ハイヒールと日傘の発祥について

一般によく言われている有名な話ですが「汚物で足が汚れないように靴底の高い靴が考えられ、これが現在のハイヒールの原型となった」という話と「汚物が上から落ちてきても汚れないように晴天でも汚物対策で差した傘が日傘の発祥となった」という話をよく目にします。

しかし、その話の原典を文献で見つけることができませんでした。もし出典を知っている方がいたらコメント欄にでも教えて下さい。ただし、マントを羽織って空からの排泄物の神回避に利用したことは中世ヨーロッパの生活に記述があります。

汚物に関して付け加えるとベルサイユ宮殿などでは敷地内にトイレがないことから庭の茂みでこっそりとトイレを済ませました。ですから当時は女性も立ちションです。と言ってもスカートの丈が床まで届くほどなので違和感はあまりありません。ですから茂みの中には排泄物がゴロゴロところがっていました。

当然臭いも酷いので臭い体臭を隠す為に香水が用いられました。現在と違い当時は化学香料が使われていない天然の香料だけの香水なのでとにかく臭いに持続性がありませんでした。そのため信じられないぐらい大量の香水を使い少しでも香りを長持ちさせようと試みました。(世界初の人工香料の香水を販売したのがシャネルのNO.5です)

また当時の人々は階級社会の中で生活していたために外見は衣服により特徴づけられました。その人の衣服を見ればすぐにその人物の階級や地位を簡単に知ることができました。

灯り

電気がないために太陽が沈むと照明はろうそくしか存在しませんでした。しかも当時のろうそくは非常に暗く、本を読むことすら困難でありました。(そもそも本自体が貴重品であり識字率も低かったので無理に夜に本を読む必要もありませんでした)

ろうそくの明かりは現在の冷蔵庫の灯りよりも暗い明るさでした。そのため人々は必然的に夜には活動を制限されていました。夜でも明るいろうそくであるマッコウクジラの鯨油が発見されるのは近世以降になります。


(鯨油の精製・ペリーが来航した理由の一つに鯨油船への補給目的があった)

ろうそくにはいくつかの種類があり人々は普段は豚や牛などの油脂を使ったろうそくを使用して節約をしておりました。動物の油脂を使ったろうそくは刺激臭がするのと煙がよく出ることが難点でした。

蜜蝋などの高級品を使うのは儀式を含めた大切な時のみに限られました。ただし教会では普段から蜜蝋を使ったろうそくを使用しておりました。

睡眠

夜は闇に包まれるので人々は比較的早い時間に寝ました。照明ができる以前、人間の睡眠サイクルは現代と異なっていて2段階に分けた睡眠をしていました。これは第1睡眠と第2睡眠と呼ばれていて一度ぐっすりと寝た後に真夜中近くにもう一度起きました。そしてそれから1~2時間活動してまた寝るという2段階睡眠の生活をしていました。

一度起きて何をしていたのかと言うと真夜中の活動は神にお祈りを捧げたり、性交をしたりと様々であったようです。ただし記録を見る限りではあまり活発な活動はしなかったようです。

その後夜でも活動が可能になる照明の発明により2段階睡眠がなくなり人々は一度に睡眠をまとめて取るようになりました。この一度にまとめて睡眠を取るシステムは昔からある当たり前の習慣に思えますが人類の歴史として比較的新しい生活習慣です。

暖炉と煙突

暖炉や煙突がない家の場合は家中に煙が充満する煙たい生活を送っていました。壁際は火事になる危険性があるため、部屋の真ん中で火を焚いていました。日本でも古い民家には部屋の真ん中に囲炉裏があるので同じだと言えます。

暖炉と煙突の発明や設置は家のデザインにおいて革新的な発明です。煙突の登場によって家中が煙と火事の危険性から解放されました。煙突がない家であれば炊事をすれば壁や床の隙間から家中の全ての部屋に煙が充満することになりますが、煙突の登場により煙臭さから解放されました。

また各部屋ごとに暖炉を設置して排煙装置である煙突に暖炉を繋げれば暖かい暖を取ることが可能になりました。もし暖炉がなければ冬場は個室は寒過ぎて長居することは困難でした。この暖炉と煙突の登場によって2階建て以上の住宅と個室が容易に建設することができました。特に寒冷地域においては重要な出来事でした。

薪は食事用の炊事の他に冬の寒さが厳しい地域では暖房の為に使われました。木材は豊富にあり入手にはあまり困りませんでした。しかし冬を越すのに必要な薪が尋常ではない量が必要でした。

その必要な薪の量は一つの家族でバス一台の中に薪をぎゅうぎゅうに詰め込むほどの量が必要でした。(もし気になるであればご自分で「薪ストーブ 木材」でどのくらいが必要になるのか調べてみることをお勧めします)

この薪を確保するための木材の伐採と木材の薪サイズへの加工に膨大な時間を費やしました。薪の確保は人々の生活にとって大変な重労働と苦痛でありましたが冬を越すための大切な作業でした。

風呂と入浴

古代ローマでは人々には入浴する習慣があり公衆浴場は人気の場所でありました。その入浴を題材にした漫画や映画もあるぐらいポピュラーなものでした。


(テルマエ・ロマエ 阿部寛主演で映画化もされました)

しかし、風呂や公衆浴場は大抵混浴であり、中世になるといかがわしいことが行われる場所として教会は問題視し始めました。また水道橋を利用して水が豊富にあったローマ時代と違い中世では水が潤沢でない為に同じ水を使い続ける様な浴場も出てきます。

そういった不衛生な浴場では悪質な病原菌の発生場所の温床となったため教会による入浴の禁止の指導が行われました。その結果入浴しない習慣ができた地域もあったようです。

また現代では人々は身体を清潔にする為に入浴しますが中世では地域によっては風呂に入ることによって逆に不浄になると考えられていました。

例えばイギリスのエリザベス1世は顔や体を一切洗いませんでした。その為、彼女が死んだ際に顔に数センチの化粧がこびりついおりその化粧を剥がすのが大変であったそうです。

ただし公衆浴場と入浴に関してはローマ時代からの変遷を含めて中世ヨーロッパ全体で一言でくくりつけるのは非常に難しです。それはキリスト教文化との兼ね合いもありますが特に地域による差が大きかったからです。

豊富な湯が湧き出るような保養地や温泉地では入浴の習慣はごく当たり前に行われておりました。また水が少ない地域では水の節約のために入浴しないような習慣に変わっていったと考えられます。そういった地域では「入浴する=不浄になる」と言う風にいつの間にか入浴の価値観が変化していきます。

これはかなり強い生活習慣として長い間引き継がれておりました。例えば新大陸のボストンといった英領植民地では洗濯をすることは汚いことであるとして滅多に洗濯をせず同じ下着を1ヶ月連続で洗濯せずに履き続けました。(州法によって頻繁に洗濯をするのを禁止した地域などもあったほどです。)

飲料水

現代の整備された上水道の蛇口から出る水と違い中世の水は山などで濾過されて地表に湧き出る「湧き水」を除けば基本的には全て汚染される危険性のあるものでした。

例えば名水と有名である清流であってもその上流の水源で野生動物が亡くなって腐敗していれば細菌で汚染された危険な水になります。(そんなことは滅多にありませんが・・・)

こういった飲料用の水を安全に飲むためには消毒の為に水を一度沸騰させるかまたは塩素などの薬品で殺菌する必要があります。中世では人々に公衆衛生の知識がなく、そのうえ水は殺菌消毒されていないため時に危険な飲み物に変わる場合もありました。

ビールの醸造が盛んで水があまり綺麗でない地域ではビールは(アルコールによる害を除けば)安全な飲み物でした。ですから水の代わりとして飲まれていたぐらいでした。イギリスなど淀んだ沼沢が多く綺麗な水が得られない地域では特に顕著でした。

街中の井戸水は都市で生活する人々にとってポピュラーな水源でありましたが、下水道の不備などによって井戸水が汚染されるとコレラや腸チフスなどの感染症の感染源となり多くの人々が亡くなりました。人々に公衆衛生の知識がないので井戸のすぐ近くに便所などが設置されその結果、水源がチフスやコレラ菌に汚染されるなどの出来事は当たり前でした。

特にチフスなどにより抵抗力のない乳児や幼児が頻繁に亡くなりました。水道水の塩素消毒が歴史上初めてアメリカで行われた際に塩素の健康への被害を心配して反対する人も多かったのですが、導入後になんと乳幼児のチフスによる死者が半減するという結果が出ました。この成果によって反対派は勢いを失い黙殺されることになりました。

ガラスと鏡

中世では現代と違いガラス戸がない為に木製の戸を窓につけました。また一部の教会などではステンドグラスが使用されるようになります。

ガラスを利用した発明品も登場するようになります。まず最初に眼鏡が発明されました。また同じ様に凹凸のレンズを使用した望遠鏡も発明されました。ガリレオは自分で発明した望遠鏡を使い木星の衛星などを観察しておりました。彼が木製を観察した当時の記録がそのまま現存しております。

14世紀のベネチアではガラスに水銀をコーディングすることによって現代と同じ品質レベルの鏡を発明しました。それ以前の鏡は銅や錫のメッキなど金属の板をピカピカに磨きその反射を利用した鏡を使用しておりました。

食料の保存

冷蔵庫がない為に食品の保存は燻製や塩漬け、酢漬けなどの方法で保存されました。基本的に野菜など生鮮食品はその土地または近郊の地域内のみで消費されました。当たり前ですが保存ができない為に輸送が不可能であったからです。

従って大都市近郊の土地は都市への生鮮食品を供給するための野菜畑となりました。そして人々の主要な食料源は腐りにくいという保存面からみても麦や米などの穀物でした。

生鮮食品の長距離輸送は鉄道と氷が大々的に使われるようになる19世紀のアメリカまで待たねばなりませんでした。電気を利用した冷蔵保存設備はつい最近のことです。

むすび

ソファーが登場するのは17世紀のことです。そして現代の住居では当たり前である快適なクッションを使ったソファーは1950年代のポリウレタンの登場まで待たなければなりませんでした。現在の私達が座っている椅子やソファーは昔の王様が使用していた椅子より快適なものです。

暑い夏場にエアコンの付いた部屋で冷蔵庫から氷を取り出してガラスのコップにキンキンに冷えた甘いコーラを入れます。そしてソファーにゴロンと寝っ転がりながら飲むことは中世ヨーロッパでは王様を含めどんな権力者でも味わえなかった最高の贅沢です。

同じく真冬に暖房がガンガンについた暖かい部屋で風呂上がりに冷蔵庫からアイスを取り出して食べるのはどんな権力者もできなかった贅沢です。

現在の我々の生活は中世ヨーロッパの王様を上回る贅沢な暮らしをしているのです。

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