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~ヒストリアイ~

本当は貧しきヨーロッパ ~中世ドイツの食糧事情~

投稿日:2015-04-15 更新日:

補足

このページの閲覧数が非常に多いので新たに

について補足版を書きました。具体的な生活をより知れるかと思います。よかったら参考にしてください。

ヨーロッパの貧しさについて

大航海時代をイメージするとアラブのイスラム商人に貿易利益を独占されたヨーロッパの航海士たちがスパイスの宝庫であるアジアに地中海でなくアフリカ経由で辿り着くために命がけで切り拓いた、というイメージがあるかと思います。

そんな彼らが求めた土地が「インド」です。コロンブスも新大陸の島々に「西インド諸島」原住民を「インディアン」と名付けるぐらいですからよほどインドに行きたかったのでしょう。


(コロンブスが求めた幻の大地インド)

この一連の香辛料を求めた行動が歴史的な一大ムーブメント「大航海時代」の始まりです。英語で言えばAge of Discovery「発見の時代」です。

さて、それ程までにインドの香辛料を求めたヨーロッパ諸国ですが、その原因はヨーロッパ諸国の貧しさにあります。彼らは豊かさを求めて船路に出たのです。それでは一体どれほど貧しかったのでしょうか。

そんなわけで、今回は中世ドイツの食糧事情を個別にピックアップして、そこから中世ヨーロッパの貧しさを描き出してみたいと思います。

中世ドイツの食糧事情

ドイツの一般的な料理と言えば、皆さんは何を思い浮かべますか?多くの人はビールジョッキを片手に「プロージェット!!(乾杯)」と叫びながらソーセージやジャーマンポテトをつまみに一杯やる姿を想像するのではないでしょうか?

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さて、ここにドイツ料理の典型的な写真があります。メニューは、ソーセージ・ポテト・パン・ザワークラウト。そして、飲み物のビールです。

一見なんの変哲もないメニューですが、実はこの写真からドイツ、そしてヨーロッパがいかに貧しいか、ということが見て取れるんですよね。これから、これらの食材を個々にピックアップして、ドイツとヨーロッパがいかに貧しい土地であり、厳しい気候と風土であったかを紹介していきたいと思います。

ビール

まず、ビールです。「日本では水と安全はタダ」という言葉がありますが、ヨーロッパの一部では水の値段の方がビールより高いです。

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それは何故かと言いますと、水の入手が難しいということがあげられます。ヨーロッパは元々降水量が少ない場所ですし、また泉や池などの水は汚くて飲料に適しません。例えば、中世のイギリスは沼などが多く、水が潤沢にありました。

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しかし沼地の水は毒性を含んであり、身近に水があっても飲料には適していませんでした。そして、肝心の飲み水も「硬水」であり「軟水」と比べてそれほど美味しくないです。


硬度約1468mg/Lの 超硬水 コントレックス)

また水というのは長期保存が出来ずに腐ってしまいます。ですから雨が降ったからといって水を貯めておいてもいずれ腐ってしまう。どうしても水が飲みたい場合、水源から新鮮な水を安定供給しなければ難しいのですね。そんなわけで、比較的保存が容易で腐らないアルコールが水の代わりに飲まれることが多いです。

腐らないのであれば、長期保存も出来ますし輸送することも可能になります。ですから水分の確保にしてはもってこいの飲み物になりますね。例えばヨーロッパの国々は水の代わりにビールやアルコールを飲む国が多いです。

ハンガリーなどでは職人さんは朝の寝起きに一杯。そして、仕事中も汗をかく肉体労働はビールを飲んで水分補給。もちろん、仕事が終われば晩に一杯。水代わりに飲むためにビールのアルコール度も低めです。そんなわけでビールを水代わりにグビグビ飲んでいます。(笑)

ですからヨーロッパでは子供がビールを飲む地域が珍しくありません。これは「酔っぱらう」のではなく「水分補給」の為に飲むからです。ヨーロッパでは安全な水の確保が難しいんですね。日本の様に水が簡単に飲める土地は素晴らしいですね。

水一つとっても砂漠地帯でもないのに満足に飲むことができない土地。それがヨーロッパです。

ジャガイモ

さて、お次はジャーマンポテトこと、ジャガイモ。まあ、ジャーマンでなくフレンチフライでもいいのですが、じゃがいもはヨーロッパ料理の重要な食材です。

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さて、このジャガイモ。原産はご存知、南米アンデスです。大航海時代に香辛料を求めアメリカを発見した際、トウモロコシやタバコ、唐辛子などと一緒にヨーロッパに伝来しました。

そして、瞬く間にヨーロッパにおいて主要な農作物となったのです。それは何故でしょうか。ヒマワリの絵で有名のゴッホの初期の絵画に「ジャガイモを食べる人々」という絵があります。


(ジャガイモを食べる人々・ゴッホ美術館蔵)

この絵画ですが農民がジャガイモを食べる姿が描かれています。この絵を描く際にゴッホは「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったと」という事をイメージできるように意識した描いたそうです。

このジャガイモですが、まさに貧しい農家の食べ物で、パンを食べる代わりに農民の間で食べられた作物です。

ジャガイモは小麦やライ麦と違い、非常に痩せた土地でも栽培できることが特徴です。本来麦を植えられない場所でもジャガイモなら収穫できる為、農家にとって重宝されました。特にドイツなどの気候が厳しい国々にとっては救いの作物となりました。

原産地のアンデスでもジャガイモは山脈の斜面に作られる様な生命力の強い作物です。小麦やライ麦で生活できない様な土地で生活を可能にしたのがこのジャガイモです。

特にアイルランドではイギリスの植民地時代、収穫される小麦は宗主国であるイギリスに送られてしまうため、小麦が育てられない余った土地で多くの農民がジャガイモを育て飢えを凌いでいました。そして西暦1841年、

その時、歴史が動きました。

アイルランドのジャガイモに病気が流行し、ジャガイモの収穫が出来なくなってしまったのです。これが世に言う「ジャガイモ飢饉」です。この飢饉でなんと当時アイルランドに900万人いた国民がなんと400万にまで減少してしまいました。現在でもアイルランドの人口は560万人ほど、最盛期の900万人には遠く及びません。

死んだ農民の多くは、ジャガイモしか育てられない零細農民です。小麦は食べられる裕福な人々は被害を免れました。この事件を見ればジャガイモがいかに当時のヨーロッパの人々にとって無くてはならない作物であったのか理解できるかと思います。そして、ジャガイモという作物が小麦を食べられない貧しい人達の食べ物だということも理解してくれたかと思います。

麦100%と言えばエビスビールが有名ですが、今回はパンを作る原料である「麦」についてです。

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パンはヨーロッパの場合二つの種類の麦から作られます。1つは「小麦」もう1つは「ライ麦」です。ちなみにビールの原料は大麦です。小麦のパンはご存じの通り食パンの様な白いパン、日本で普通に食べられているパンですね。

ライ麦はライ麦パンと言われており、最近では健康志向にのって結構人気がありますが、焼くと黒色に焼き上がるパンです。小麦パンのようにふんわりせずにボソボソとした硬いパンです。


(ライ麦パン・ナポレオンは幼少期に食べる練習をした)

小麦はパンにすると白色になるため小麦パンを白パン、ライ麦パンを黒パンと呼んでおりました。


(ペーターのおばあさんが切望した白パン)

何故ライ麦パンを育てたかと言うと、ライ麦は小麦が育たない痩せた土地でも収穫が出来るからです。したがってドイツなど北方のヨーロッパでは積極的に栽培されました。まだ、食糧難の救世主たるジャガイモが新大陸からもたらされる前の時代のお話です。

アルプスの少女ハイジでペーターのおばあさんが食べていたパンが、この黒パンであり貧しさの代名詞でもありました。フランスの軍隊では将校は白パン、兵卒は黒パンを支給されたことをみれば両者の立場が一目瞭然だと思います。

さて、じゃあどうしてみんな小麦を育てないかといいますと、それはヨーロッパの土地が痩せているということに尽きます。

これは「収穫倍率」というもので説明できるかと思います。

小麦の種を1粒まいて、その種からどのくらい収穫できるかというのが収穫倍率です。中世ヨーロッパでは収穫倍率は1粒あたり3倍でした。つまりバケツ1杯の小麦をまいたら秋に最大でバケツ3杯ぶんの小麦が収穫できるのですね。

ちなみに中国では40倍でした。この収穫倍率の差が人口の差に如実に表れているかと思います。畑一つで片方が3人の人を養えるとしたらもう片方が40人もの人を養えるのです。この差は決定的です。ちなみに現在の日本の米の収穫倍率は180倍です。つまりバケツ1杯で180杯分です。

これを見れば明らかなようにヨーロッパは穀物を育てるのに適しておりません。ですから小麦が育たない場所にもライ麦を植えて一生懸命生活しなければならりませんでした。

そもそも、ヨーロッパは地中海沿岸から北部に行っても辺りは小麦を育てる様な平地自体がない森に覆われていますし、せっかくの平地も栄養分が乏しく小麦が育てられない土地も多かったのです。


(ヨーロッパ北部は古代は薄暗い森に覆われており、平地は開墾しなければなかった。現在のヨーロッパの平原は実は開墾した後の姿なのである)

さて、ドイツではこのライ麦のパンをただでさえボソボソした食感にも関わらず更にカチカチに焼きます。え?どうしてわざわざ不味くなる様に焼くのか?それには理由があります。

何とパンを焼くためのかまど用の薪を節約するためです。驚きでしょう。ライ麦パンをカッチカチに焼くんです。カチカチに焼くと固いビスケットの様になって日持ちがするんですね。

人口が少なく森に覆われているドイツでどうして薪を節約しなければならないのか私には理解できないのですが、とにかく節約です。通常パンは3日に1度焼きます。ですから3日目でもパンが悪くならないように固いパンを焼くわけです。

カチカチなので、固くて食べることが出来ないですからスープや水に浸して柔らかくして食べるわけです。一体どんな味がするのでしょうね。

白人が食事を味わうのではなく栄養補給の為に取る姿を見ると(例えばイギリスの食文化)こういった歴史背景が関連しているのでしょうね。

ソーセージ(Wurst)

さて、最後にドイツを代表する料理「ソーセージ」をご紹介致しますね。動物の腸に挽肉を詰めた料理はやはりドイツが世界的に有名です。

確かソーセージの起源は「中国」と一部では言われたりしており、パスタも起源は中国の麺ではないのかと一部で言われております。それが事実であれば中国の恐ろしさを実感したりします。しかし、ここではズバリ「Wurst」ドイツ語でヴルストと呼ばれるソーセージの説明をしていきたいと思います。

このソーセージは色々な種類があってドイツでも100種類を超えるソーセージがあるわけなんですね。そしてそれがドイツの食文化の多様性さを物語っています。


(いろんな種類のソーセージ 美味しそう)

しかしそんな多様なソーセージが、いかにドイツが貧しかったかという事を逆に証明してしまうものなんですね。

さて、ジャガイモという命の作物が新大陸からもたらされていなかった中世ヨーロッパでは冬を越えるのは大変なことでした。寒さもさることながら、一面の銀世界では食料を調達できず、秋の間に越冬すべき食料を確保しなければいかなかったんですね。

そのため農家の人々は秋が訪れて9月になると文字通り「必死」になりました。農家が飼う豚を当時ヨーロッパ全土を覆っていた広大な森林に連れて行一生懸命ドングリを食べさせるのです。

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(ドングリを食べるため放牧される)

豚はドングリを食べて文字通り丸々と太ります。これが牛だと成長に時間がかかりますし、逆に鶏だと小さすぎます。まさに豚は最高の食肉用の家畜でした。そしてドングリで丸々太った豚は冬が訪れる前に農家によって食用に処理されます。


(豚の解体・余すことなく一頭丸ごと使う)

まず、当面の間食べる分は「生肉」として扱われます。しかしこれではすぐに腐っていまいますので、何とか保存しなければいけません。皆さんは肉の保存方法と言ったら何を思い浮かべますか?現在ならラップに包んで冷凍保存することかと思います。

冷蔵庫がなかった当時、一番用いられたのが塩漬けです。お肉の赤身の部分は塩漬けにして保存され大切に食べられました。また、ベーコンなど、薫製することによって塩漬け以外の保存方法もありました。ヨーロッパの北部では燻製、南部では塩漬けが主に保存に用いられました。

そして、それ以外に余った豚肉の部位があります。例えば、カットされた余った部分の赤身、また使われない内臓などですね。これを何とか利用できないか?そこで考えられたのがソーセージです。

ソーセージは余った部位の肉をミンチにして使用します。挽肉にするによって、どんな形の赤身でも使えます。また、余った腸は肉を詰める袋として利用できます。

さて、ここで注目すべきなのは解体した豚を一片たりとも無駄にせずソーセージを作る農家の執念です。なぜそこまで必死になるのかと言うと農家にとって越冬するのは本当にギリギリであったからです。

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(肉の種類が豊富なドイツの肉屋)

彼らの住む土地は食料が豊富にあるわけではなく、冬を越すだけの十分な麦も収穫できるわけでもない。その為、生き延びるために豚肉のどんな部分も無駄にしない。そういった農家のギリギリの生活がソーセージのような料理を生み出したのです。

ドイツの農家はソーセージに豚のあらゆる部分を使用します。豚の膀胱に内臓を詰める料理やまた豚の血液を使ったソーセージもあります。


(左・血を使ったソーセージ。一見するとサラミに見える)

グルメなドイツ人が豚の血液を美味としてソーセージに用いたわけではありません。「豚の血液さえ無駄に出来ない」という厳しい食糧事情が伝統文化としてのソーセージを生み出したのです。

もし、地中海岸の様な穀倉地帯ならこんな思いで豚を育て保存せずとも冬を越える為の十分な小麦を収穫できたことでしょう。例えばイタリアではルネサンス期に入ると都市部では飢饉になっても餓死しない程度の小麦を備蓄をしており、不作となると格安でその小麦を解放したそうです。

この様に地中海沿岸と比較してみると、ドイツのソーセージはこの土地がいかに厳しく痩せた土地で豚を食べる以外に生き延びる方法がなかったという証拠でもあったんですね。

もしドイツ人が100種類以上のソーセージがあるとその多様性を誇ってきたのなら、逆にそこまでたくさんの部位のソーセージを作らざるを得なかったというドイツの貧しさを是非、指摘してあげて下さいね。

香辛料

さて、先ほど「塩漬け肉」のお話をしましたが、最後に塩漬け肉に関連した香辛料のお話をしたいと思いますね。


(香辛料豊かなアジアのバザー)

冷蔵技術がなかった当時、肉を長期保存する方法は「塩漬け」や「燻製」といった方法が用いられました。いずれにせよ細菌の活動を抑制することによって腐敗することを防いでいたんですね。

いくら腐敗を防ぐ為に塩漬けしていてもさすがに100%腐敗を防ぐことができません。少しずつではありますが、徐々に腐敗していきます。冬の初めの方はいいですが、雪解けの時期を迎えると肉は臭くなりとてもじゃないですが食べられたものではありませんでした。

そうした中で、腐敗した肉の匂いを消しとして重宝されたのが「胡椒」であったのです。


(黒胡椒・古代ヨーロッパでは同量の銀と対価であった。)

現在、日本では胡椒や香辛料は「味付け」として用いられております。塩にしても長期保存する為の保存料として使用されてるのはごくわずかで基本的に味付けとして調味料の一つです。

ですが、この時代のヨーロッパで胡椒などのスパイスが求められたのは「より美味しい肉が食べたい」という調味料としての役割ではなく、腐敗した肉を如何にして食べるかという必要性からでした。

また、胡椒がもつ殺菌作用も肉の中のばい菌を殺し、食中毒の防止にも効果がありました。つまり現在の味付けという感覚で胡椒が用いられたのではないのですね。

特に西ヨーロッパの隅の方になれば胡椒を含めた香辛料の値段が跳ね上がり胡椒と金や銀が等価費で交換されたりもしました。それほど迄に香辛料は重宝されたのですね。

もちろん香辛料(スパイス)だけでなく、パセリやタイムローズマリーなどの香草(ハーブ)も匂い消しのために用いられました。多彩な香りで単調な味付けを避ける必要性もあったのでしょうね。


(ハーブ・後にブーケガルニなど香草技術が発達)

もし仮に胡椒が寒冷地でも栽培することができたのならば、歴史は少し変わっていたのかもしれません。いずれにせよ中世インドの香辛料、近世中国のお茶にしろ、ヨーロッパは常にアジアの食材を入手するために莫大な銀を消費をしておりますね。ヨーロッパにとってアジアは常にいつの時代も豊饒で魅力的な土地であり続けたのですね。

キリスト教の年中行事の一つに「謝肉祭」英語で言う「カーニバル」という行事があります。リオのカーニバルで有名なこのお祭りですが、毎年2月から3月の間に行われます。どうして謝肉祭かというと、現在ではパレードなどが行われそのイメージとかけ離れたものになっていますが、その起源は春を迎えて腐りかけた肉を食べて処理をしてしまうことが目的です。

春になり暖かくなるとただでさえ傷んできた肉の腐敗がいっそう進みます。けれど、多少腐敗していても食料がない中で我慢して「まだ大丈夫」と手を出して結果的に食中毒になり死んでしまうといったケースが多々ありました。

そんなわけで、謝肉祭以降は保存した肉を食べないということを目的として、今まで保存してあったお肉を全部出して食べ尽くしてしまおう、という「どんちゃん騒ぎ」が謝肉祭のはじまりであったわけです。こういった行事にも食肉とその保存の文化の一端が垣間見えたりするわけなんですね。

むすび

ドイツの伝統的な料理を見ていくと人類が生活していく上でいかにヨーロッパの気候と風土が厳しい物であったのかをご理解いただけたかと思います。特にヨーロッパの内陸部は深い森に囲まれておりその歴史は開墾の歴史でもありました。

逆に言えばヨーロッパに住む人々に過酷な経験を与えたその厳しい大地が彼らに対して類まれなるハングリー精神を養い、世界を席巻するような文明を造り上げたといえるかと思います。

余談

(1)硬水と競馬

ヨーロッパの水は、飲料に適さない理由に硬水であることがあげられます。この硬水がお茶やコーヒーを飲もうとしてもそのミネラル分が美味しいお茶の抽出を阻み、絶望的にマズイ味になるのですね。

その代わり、そのミネラル分が競走馬にとっては強靱な肉体を造り上げるのに一役買っているのですね。硬水で育った栄養豊かな牧草を食べた馬は、力強いパワーを発揮します。そんなわけで馬にとっては最高の環境になります。

(2)グリム童話

ドイツでの民衆の生活をグリム童話を通じて垣間見ることができます。例えば童話の「ヘンゼルとグレーテル」このお話は子供を育てられない両親が、口減らしの為に森に子供を捨ててくるお話です。当時の厳しい食糧事情を表すお話ですね。

参考文献

中世ヨーロッパの食文化の参考文献としては中世ヨーロッパ 食の生活史」「ヨーロッパの食文化」「世界の食文化 (15) イタリアの3冊がお勧めです。ただし絶版になっているために図書館でないと閲覧できないものが多いです。

食文化以外の「中世ヨーロッパ」について知りたいのであれば「中世ヨーロッパを生きる」という本の各章末にあるテーマ別の参考文献リストを参考にすると良書が得られると思います。

ちなみに↑の3冊の食文化の本は中世ヨーロッパを生きるの「テーマ・食文化」の章末にあるオススメ本に3冊とも指定されています。

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