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~ヒストリアイ~

ココ・シャネルの歴史的な業績とは何か

投稿日:2017-10-15 更新日:

● はじめに

ガブリエル・シャネル、通称「ココ・シャネル」はファッション界のみならず一般社会においても20世紀を代表する人物の一人です。

(ガブリエル・シャネル 通称「ココ」)

そんな彼女の偉業はこんな言葉と共に語られます。

「女性をコルセットから解放した」「黒をファッションに初めて用いた」「シャネルスーツを普及させた」「ジャージをファッション素材として用いた」「画期的な香水であるシャネル No.5」

こういったフレーズで業績を語られることが多く、例えば香水にしてもシャネルのナンバー5は有名ですがそれではその香水の何がどれほど画期的であったのか?などの説明が省かれて紹介されることが多いです。

また、シャネルの数ある偉業の中でも当然、重要度によって差があったりしますがその優劣がいまいちよく分かりにくいことも多々あります。そこでここではシャネルの成し遂げた偉業を3つ紹介し、これら3つの偉業がいかに大きなインパクトを社会に与え影響を及ぼしたのかを解説しようか思います。

●その1リトルブラックドレス

1926年、シャネル42歳の時に発表されたのがこのリトル・ブラック・ドレスです。アメリカのファッション誌「ヴォーグ」で紹介され途端に一躍世界中に広まりました。

(典型的なリトル・ブラック・ドレス)

このドレスには社会を動かす程の大きな革新的な点が3つあるのですが、現在このドレスの写真を街中で見せても多くの人が「女性用の普通の黒いワンピースですよね」と答えるかと思います。

なぜその様な答えになるかと言うと、このドレスが普及する以前に女性がどのような服装をしていたか知らなければいかにこのドレスが画期的な服であったかを理解することができないからです。

このドレスの革新的な3点である「コルセットをしていない」「黒一色のみ」「スカートの丈が膝丈」を一つずつ解説していくことでいかに革新的なものであったかを説明したいと思います。

◆コルセットをしていない

20世紀に入る以前、ヨーロッパの女性は上流階級であればみなコルセットをするのが常識でした。

(ドレスの下に着るコルセット 腰のくびれが凄い)

このコルセットは腰の部分を強制的にくびれさせることで腰からヒップにかけてのラインを魅力的に見せることができました。現在でも矯正下着という下着が売られていますが、これはコルセットの一種です。ボン・キュッ・ボンと見た目を美しく見せるためですね。

(ちなみに腰がくびれているのが男性にセクシーに見られるのは「腰のくびれ」が女性が「妊娠可能」であることのサインだからです(つまり幼児が寸胴なのは妊娠できないサイン、だから幼児体型は男性がそそらないんです。詳しくはこちらの投稿の最後の方に書いてあります。)

このコルセットは腰の部分を失神するぐらい尋常でなくキツくに締め付けるので1人で着用することができませんでした。その為、使用人などがお嬢様の着付けを手伝うシーンなどが、よく歴史物のハリウッド映画などでもチラホラ見ることができます。

(足で押してコルセットの紐を縛っている)

コルセットの着用によって多くのヨーロッパの貴婦人は行動の自由を制限され日常を不自由に暮らす生活を送っていました。そんな中でシャネルはコルセットが必要ないシンプルなドレスを発表します。

第一次世界大戦を通して数多くの男性が戦場に行ったため、多くの場所で労働力が不足して男性の代わりに女性が社会にでて働きました。そういった新しい時代を迎えた中で女性が社会進出する上で体の自由を奪うコルセットは彼女達にとって邪魔以外の何物でもありませんでした。

社会に働きに出た女性たちがこぞってシャネルのこのシンプルなリトル・ブラック・ドレスを新しい時代のスタイルとして絶賛し買い求めたのです。

◆黒は喪服の色

現在では全身黒のスーツやドレスなどを日常で見るのは当たり前ですが、当時、全身黒ずくめの格好をするのは葬式である喪服が基本でした。

下の写真は1879年、シャネルが生まれる3年前の写真です。イギリスのヴィクトリア女王とその家族が葬儀の為に喪服を着た写真です。

(悲しみのロイヤル・ファミリー)

白黒写真ですが、全身真っ黒のドレスやスーツを着ていることがわかります。当時はこの様に黒一色の全身黒ずくめの服を着ることは「喪服」であることか「黒の組織」のメンバーの一員であるかどちらかでした。

その様な中でシャネルはファッションとしてあくまで黒一色のドレスを発表します。そしてこのドレスの爆発的な普及により黒を喪服以外での通常のファッションカラーとして世間一般に認知させることに成功します。黒を現代と同じ感覚で使えるファッションカラーにしたのがシャネルなのです。

◆スカートの丈が膝丈

リトル・ブラック・ドレスの3つめの革新点はスカートの丈です。下は19世紀後半にシシィの愛称と共にヨーロッパ一の美女として知られ1898年に亡くなったオーストリア皇后エリザベートの姿です。

ひと目で見ればお分かりかと思いますが、フリフリでスカートが床に触れるドレスです。これは極端な例だとしても当時は裾が床に触れるほど長く、レースやフリルがついたドレスが一般的でした。シャネルはそういったデザインのドレスに簡素で筒状の「裾が膝丈まで」という非常にシンプルなデザインで新しい女性像を提案したのです。

この両者のドレスの大きな違いは動きやすさにあります。シャネルのドレスはフリルやレースの過剰な装飾を除いただけではなく、女性が歩きやすい、動きやすい、活動しやすいことを前提としたデザインされたドレスです。

このドレスを着用することによって従来のドレスに比べ遥かに女性が外に気軽に出歩きやすくなりました。なお、こうしたスカート丈を短くするという「女性らしくない」デザインは一部の人達から「男の子っぽい」「上品さに欠ける」「女らしくない」という声が出ましたがそれ以上に新しい価値観をもった女性達に圧倒的に支持をされました。

(女性が男性によって「女らしさ」を求められていた時代のドレス)

産業革命以降の欧米では科学技術の進歩により生活習慣が大きく変わり、それにより女性の価値観や求められる役割が大きく変わり始めていました。特に1914年から始まった第一次世界大戦により多くの男性が戦場に行き、男性が普段行っていた仕事などを女性が変わりにすることなど女性の社会進出が大いに進みました。

そういった中で、従来の価値観に捕らわれた女性らしい服装は新しい時代、新しい世界に進出した女性達には不自由さを感じさせるものでした。そんな中で彼女達に新しい社会、価値観にあったデザインを提示したのがシャネルなのです。

このシンプルでエレガントな服を着た女性が、活動的な動きやすい服を得たことで更に社会に進出していくことで社会は大きく変わります。そういった社会変革の動きの役割の一部をシャネルとこのリトル・ブラック・ドレスは果たしたのです。

●その2 シャネルスーツ

シャネルスーツは1926年に発表された前述のドレスから更に30年が経過した1956年に発表されました。驚嘆すべきことはこの作品を発表した当時のシャネルの年齢です。シャネル73歳の作品がこのシャネルスーツです。

(シャネルスーツ ドレスと違い名前にブランド名が入っている)

シャネルは第二次世界大戦を契機にデザイナーを引退してスイスで半ば隠遁生活を送っていたのですがこのドレスを発表する2年前にシャネルは70歳にしてデザイナーとしてカムバックします。

70歳を過ぎたシャネルがなぜ、老体に鞭を打ってまでカムバックしたかというと当時ディオールによって大流行していた「ニュールック」にあります。腰を締め付けるコルセットや床まで伸びるヒラヒラしたフリルのスカートなど「女性らしさ」を強調するデザイン、シャネルが過去のモノにしたデザインが復活してきたことがカムバックを決意させた最大の理由だと言われています。

カムバックした最初のコレクションでは「終わった人」という烙印をメディアによって押されるほどの酷評ぶりでした。

しかし、そんなシャネルの作品を熱狂的に受け入れた人達が現れます。それは海の向こうのアメリカの人達でした。第2次大戦を経て誕生した新しい姿のアメリカ人女性達によってシャネルの動きやすい服装は圧倒的に支持を得たのです。

そんなシャネルのスーツを愛用したのがモナコ公妃となったハリウッド女優のグレース・ケリーやケネディ大統領のファーストレディのジャクリーン夫人です。いずれもアメリカ人ですね。特にケネディ大統領が暗殺された際に着用していたジャクリーン夫人の血染めのピンクのスーツがシャネルスーツであったことは非常に有名な逸話でシャネル伝説の一つとなっております。

(この数時間後、ケネディ大統領は凶弾に倒れる)

それではこのシャネルスーツの何が特徴的であったかを説明します。シャネルスーツに関してはその画期的な説明をネットで探してもなかなか見つけられないかと思います。

特に「これがシャネルスーツの条件」という様な色の指定やパターンが決まっているわけではないですが、最低限の特徴を挙げればまずジャケットとスカートの2ピースで構成されています。素材はツイードなどが使われており、スタイリッシュな感じは一切ありませんが、その代わりに上品さやエレガントさに溢れております。

シルエットは全体的に直線的なシルエットです。ディオールの様に男性に媚びる為の「くびれ」は必要ありません。そしてスカートの丈は膝丈です。これはリトル・ブラック・ドレスと同じくシャネルの「女の膝は最も醜い部位だから見せてはいけない」という哲学に由来します。

ジャケットはラウンドネック(丸首)が特徴です。また細部のデザインとしてブレードという紐で縁取りされているのも特徴です。

(シャネルスーツ その2 首が丸いラウンドネック)

シャネルスーツは現在、街中でインタビューすれば「この服はヨーロッパのロイヤルファミリーや大統領夫人といった女性が公式の場所で着ているのを写真やテレビでよく見ます」といった返事が出てきそうな服です。よくある平凡なありふれたデザインに現在では感じるのはシャネル・スーツがファッションの定番のアイテムの一つに進化したからです。

このシャネルスーツは当時、爆発的な人気が出たために多くの同業者にデザインをパクられたのですが、シャネルはマネされることを大歓迎したそうです。何故かと言うと真似されるということはそれだけ自分の服が人気があるという証拠でもありますし、そして何より「偽物は本物に勝てない」という絶対的な自負心があったことも偽物歓迎の大きな理由の一つでした。

それも当然で、見た目のデザインだけでなくシャネルスーツのオリジナルには細部に目に見えない工夫が施されています。例えば肩の部分には生地の内側に細い鎖が隠されており、体を動かしても鎖が重りとなってで服のシルエットを整えるため、型くずれせずに綺麗なシルエットを保つことができました。

また、ジャケットの下には袖なしのブラウスを合わせるようになっており、女性達が室内でも快適に過ごせるように工夫が凝らしてありました。袖口には取り外しができるカフスがついていたので、ブラウスが袖なしだと気が付かれない配慮もしてありました。

こういった細かな仕事がオリジナルが絶対にコピーには負けないというシャネルの強い自負心を支えていたのです。そしてあまりにコピーがされた故に「シャネルスーツ」という固有名詞がそのままスーツの定番デザインの一つにまでなりました。

●その3 香水「シャネル No5」

ドレス、スーツと続いてシャネルの偉業の一つが「香水」です。この香水は当時の他の香水に比べて4つの時代を超える革新的な点がありました。1つだけならまだしも4つもです。

何が発売された当時としては画期的であったのか、それ以前の香水と比較して4項目で説明してみたいと思います。

1.世界初の人工香料

NO.5以前の香水は天然の香料を使っていたために匂いがすぐに消えてしまうという問題がありました。その為、パーティーなどでは大量の香水を使い匂いが消えないようにしていたため、使った直後は匂いが非常にキツくなるという問題もありました。確かに柑橘系の天然香料が現在でもありますが、香りの持続時間は30分に満たない短い時間です。

そんな中で世界初、化学成分の「アルデヒト」を用いたシャネルのNo.5が1921年に発売されます。この人工香料の登場により香りが持続するという新しい香水の時代が幕開けすることになります。

香水を開発したのはエルネスト・ボーというロシア生まれのフランス人によってですが、シャネルが彼と出会ったのは偶然ではありません。ロシア革命後に共産国家ソビエトとなり、ロシアを離れることになった彼に救いの手を差し伸べたのがシャネルです。

(エルネスト・ボー 革命の波に飲み込まれたイケメン)

シャネルは当時多くのロシア系の亡命者を助けていたことがあり、その為彼に出会ったのはそういった意味で偶然ではなく必然でありました。他の香水の事業者に比べて合う可能性が高かったわけです。

そしてもう一つ、社会的にデザイナーとして成功して経済的な地位を確保していたシャネルは、その資産を芸術などの文化的な分野への多額の援助に費やしていました。例えばロシアのストラヴィンスキーもシャネルが影で援助したいた芸術家の1人です。

そういった意味で金銭的な援助を必要としていたロシア生まれのボーがシャネルに出会ったのは当然といえば当然のことです。シャネルの芸術方面へのパトロン事業の中で本人が意図してない形で日の目を見た結果の一つがNo.5であると言えるかと思います。

2.名前

シャネルNo.5というシンプルな名称は当時としては非常に画期的な名前でした。というのも、それまでは香水の名前といえば「夢」「愛」「恋」と言ったような言葉を使った商品名でした。商品名から香水のイメージを連想させるというシンプルな考えですね。

そんな中で非常にシンプルで無機質な名称である「No.5」という名前はその後に香水の名前のルールを大きく変えることになります。

当時、香水を完成させたボーがシャネルのためにサンプルとして持ってきた香水には識別するために小瓶にサンプル番号として#1~5、そして#20~24の10個の番号が割り振られておりました。その際の識別番号5番がこの香水であったわけです。

この5番というのシャネルにとってのラッキーナンバーであります。シャネルのこの香水「シャネルNo.5」の成功でシャネルにとって5番がラッキーナンバーとなったのか、またはラッキーナンバーが5番だからサンプルのナンバー5の香りを商品化させたのかそのあたりの詳しい経緯は不明です。

しかし、紛れもなくシャネルのラッキーナンバーが5番ということはシャネルブランドにとって非常に重要な意味合いを持っております。シャネルはコレクションの発表を必ず5の付く日に意図的に行っておりますし、またシャネルが現在埋葬されているスイスの墓地にはライオンが墓碑に刻まれていますが、そのライオン数は5頭です。

シャネルのラッキーナンバーが5番というのはシャネルのことを少しでも知っている人なら有名な話ですし、シャネル自身が5番をラッキーナンバーとして非常に縁起のいい数字として扱っていたのも事実です。

このラッキーナンバーである「5」に自分の名前でありブランド名である「シャネル」を付けたのがこの香水の商品名です。商品名に自分の名前を冠したことはシャネルにとって自身のブランドとデザイナーとしての名前を売る絶好の機会になりました。

実際にシャネルが70歳を過ぎて現役にカムバックした際に、ヨーロッパでカムバックは大失敗、過去の終わった人という総スカンの評価を喰らった後に、海を超えた遠方のアメリカで復活の狼煙を上げることができたのは、アメリカ人の多くがシャネルの服を持っていなくても「シャネル No.5」の香水名によってシャネルの名前に親しみを持っていたことに大いに関係があります。この香水の名前が復活のための大きな追い風になりました。

この香水の普及によってシャネルの知名度の上昇とブランドイメージに貢献した役割は計り知れないものがあります。

そして何よりマリリン・モンローが来日した際のインタビューで「寝る時は何を身につけて?」という記者の質問に「シャネルのNo.5」とウィットに富んだ返答をしたことはケネティー・ジャクリーンの「血染めのピンクのシャネルスーツ」と同じくシャネル・ブランドの伝説の一つになっております。

現在では香水の名前にデザイナー名前やブランド名を扱ったものは珍しくはありませんが、香水の名前にデザイナー名やブランドの名前をそのまま使用したのはシャネルが初めてだったのです。

3.ボトルデザイン

シンプルで無機質な名前と同じようにボトルのデザインも同じ様にシンプルでした。まさにシャネルのデザインを地でゆくシルエットです。

四角いガラス瓶に入れられたこのデザインはウイスキーのグラスや化粧品のガラス瓶の影響を受けたと一説には言われていますが、シャネルが何から影響を受けたのかは、はっきりしてはおりません。

しかし、香水の容器としてバカラやラリックの様な凝ったクリスタルガラスが主流だった時代にシャネルのシンプルで無機質なデザインの香水瓶は画期的なものでした。

(超高級なクリスタルガラスといえばバカラ)

結果的にみれば、人工香料の登場によって香水が大量生産、大量消費されて一部の貴族だけのものでなくなる時代に移り変わることを考えると、凝った作りの香水瓶ではボトルの供給が追いつかなくなる可能性もあったのでシャネルのデザインは新しい時代にマッチしたものでありました。

大量消費社会に入りこの様なシンプルでそれでいて扱いやすいデザインのボトルはその後の香水の基本的なデザインとなっていきます。

4.ブランドの安定的な収入源

現在、香水と言えば販売しているのはシャネルやディオール、ブルガリなどの高級ブランドというイメージがあります。しかし、シャネル以前の香水は香水専門の会社が香水を販売しておりました。現在香水の売上のトップ20を見るとその中に香水を専門に販売にする会社は1割ほどですからまったく逆転したと言えます。

この服飾デザイナーが香水を販売してブランド事業の一つにしたのはシャネルが初となります。日本では香水の売上はそこまで需要がないかもしれませんが、日本人より体臭が驚くほど強い欧米人は香水を使うことを非常に好みます。ちなみに世界で一番の香水の売上を誇るのはブラジルですね。ブラジル人は香水好きなんでしょうかね。

この香水の売上は不況で高級衣料品の売上が低下するような状況の中でもコンスタントに一定の売上を計算出来るため、ブランドにとって水物の衣料販売の経営を安定させると共にドル箱収入をもたらすことになります。

シャネルは第二次世界大戦が始まると全ての店を閉店して第一線から退くことになりましたが、その間に継続的に収入をもたらしてくれたのもこのシャネルの名前を冠した香水部門です。現在の価値にして日本円で20億円近い収入を引退後も毎年安定して手に入れることができました。

また、第二次大戦後に70歳にして第一線にカムバックした際にアメリカで復活の狼煙を上げることができたのもアメリカ人がシャネルの香水を愛用しておりシャネルの名前に馴染みがあったからです。

知名度の観点からも香水販売を通じて利益のみならずブランドの知名度を広げるという役割も果たしてくれています。

●結びとして

いかがでしょうか。以上がシャネルが果たした3つの大きな偉業です。シャネルはファッションデザイナーです。ですからシャネルは自身が所属する服飾業界にそれはそれは大きな偉業をもたらしました。例えばシャネルNo.5などの香水はファッションの世界を大きく変えた偉業だと思います。

しかし、シャネルが他のファッションデザイナーと大きく違う点は、ファッションという服飾業界内のみならず社会全体に大きな影響を与えたことです。リトルブラックドレスなど女性の社会進出を助けるような服は社会全体に大きな影響を与えた偉業です。この様なレベルでの偉業はデザイナーとしてはシャネルぐらいのものだと思います。

現在シャネルブランドはシャネルの亡き後「カール・ラガーフェルド」というデザイナーに引き継がれています。そしてカール・ラガーフェルドはシャネルの後継者としてシャネルの名に恥じない業績を残しています。

カール・ラガーフェルドもそろそろデザイナーとして引退する時期です。(というか年齢的にもう寿命も考える年齢です)新しいシャネルの後継者、ファッション界の王の玉座には果たして誰が座ることになるのでしょうか。シャネルの様な素晴らしいデザイナーがまた登場してくれることを願います。

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