(中世ヨーロッパの「売春宿」を描いた絵画・男性の右手に注目)
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中世の性生活
以前「中世ヨーロッパの生活」という記事を書いたのですが、その影響なのか当サイトに「中世ヨーロッパ 生活」と検索して来てくださる方が結構な数でいます。そしてそれに次いで検索されるのが「中世ヨーロッパ 性生活」というキーワードです。
確かに私も「中世ヨーロッパの生活」の中で「教会の影響力は凄まじく性生活にすら介入する~」と書いていたのでどうもその部分がGoogle先生に引掛かったようです。
しかし、性に関してはちょっとしか書いてないので当サイトに「性生活」を期待して来てくださった方々を恐らくがっかりさせていたように思います。
そこで今回は中世ヨーロッパの性生活について書いてみたいと思います。偶然にも、偶然にも私は中世ヨーロッパの性生活に詳しいので(偶然ですよ)中世ヨーロッパでどのように性生活が行われていたのか書いてみようと思います。
キリスト教と禁欲
中世ヨーロッパの性生活以前に、まず中世世界において最重要であるキリスト教について簡単に述べてみたいと思います。というのも、中世の生活は性生活も含めてすべてにおいてキリスト教が介入しているからです。中世におけるキリスト教の影響力は想像を絶するほど強いものだとここでは憶えておいて下さい。
中世でのキリスト教の教えを一言でいうと「禁欲」です。どのくらい禁欲かというと例えば修道院にいる聖職者は去勢をしている人も珍しくないです。禁欲してるから欲望なんて全然ないよ。その証拠にほら、余裕で去勢できるよ・・・という感じです。完全に禁欲をこじらせています。
なんでそこまで禁欲にこだわったかというと彼らは「禁欲的で規則正しい生活をしていればいずれ“必ず”来る最後の審判で神によって救済される」と心から信じていたようです。中世はリアル黒魔術、リアル錬金術の時代です。そのぐらい迷信深いと思っていただいてOKです。
さて、そんな現代のPTAやフェミニズム団体もびっくりな禁欲集団であるキリスト教会が介入していた中世の性生活はアンビリーバボーなものでした。そこで中世ドイツ研究の大家である阿部謹也先生の著書を参考にして中世のカップルが一体どのようなセックスを行っていたのかちょっと書いてみます。
ちなみにこれから「性行為」とか「後背位」「深い口吻」と書くとわかりにくいので現代の一般用語である「セックス」「バック」「ディープキス」などの言葉にわかりやすく置き換えて書かせて頂きます。
・世間論序説―西洋中世の愛と人格
・西洋中世の男と女―聖性の呪縛の下で
「世間~」の方は入手が難しいので図書館で借りるとか全集の中からその部分だけをピックアップして読んでみて下さい。ちなみにもしあなたが大学生や25歳以下の人であれば、阿部先生の 自分のなかに歴史をよむ (ちくま文庫) という本もオススメです。大人になることって悪いことじゃないんだなと思わせる素敵な内容です。
OKなセックス・NGなセックス
ではここからはみなさんのご期待に答えて中世のセックスについて書いてみたいと思います。まず、教会が基本的に禁欲であったことは先程述べましたね。
その教会ですが、なんとセックスを基本的に禁止します。なんか「男女交際禁止」とか校則で決めてる中学や高校みたいですよね・・・。しかも禁止とかそういったレベルではなく犯罪に認定してしまうんですよ。具体的には教義の中で男女の性的関係は罪であると規定します。(詳しくは文末の注釈で)
「でもそれじゃあ子供が産めないから人類終了のお知らせですか?」と誰もが思いますよね。ですから教会も「例外」を認めます。それが「子作りの為のセックスならしてもOK」というものです。クソ面倒くさいですよね。
したがって教会は何をしたら犯罪でどこまでが許されるか、OKなセックスとNGなセックスを具体的にルール化します・・・・
それではこの具体的なルールを箇条書きで紹介してみようと思います。
セックスのやり方に関して
- セックスの体位は「正常位」のみである。→欧米では現在、正常位のことを「Missionary position」と言います。つまり教会がセックスする「正しい体位」として指定したからです。
- ペッティングなどオーラルセックスの禁止 →子作り関係なく快楽の為だから
- バック(後背位)は禁止 →違反したら40日間の贖罪。禁止の理由は野獣の様な体位だから。人間は獣ではないのでマネしちゃだめ(ダーウィン先生の登場までは人間は創造主たる神に創り出されたと考えられていたから)
- アナルセックス →7年間の贖罪。子供が産まれないから
- フェラによる口内射精 →3年の贖罪。さらにそれが習慣化している場合は7年の贖罪
- オナニー →3年の贖罪
- フェラチオ →3年の贖罪
- レズビアン&女性のオナニー →3年の贖罪 オナニーもレズも同様なものと考えられた
- 獣姦 →獣姦に関しては聖職者・一般人にまず区別され、一般人の中で未婚と既婚に区別されました。つまり獣姦をしても「聖職者」「既婚の一般人」「未婚の一般人」によって罪の深さは異なりました。なお既婚者は未婚の倍の贖罪期間になります。
近親相姦に関して(対象相手によって細かく刑罰が違います)
- 母、または姉妹との性関係 →15年間の贖罪、そして日曜以外は服を着替えるのを禁止
- 兄弟とのホモセクシャル →アーーー!15年間の肉食禁止
- 息子とセックスしようとした母 →3年の肉食禁止とその間は週一回の断食(肉食は獣のように性欲を高めると考えられたのでしょうかね?)
- 父の未亡人、父方のおじの未亡人・姉妹その他の女性縁者、または 父親と娘、姉妹同士でのレズビアン
→10年間の巡礼の旅(その間2年はパンと水だけで生活)
地味に巡礼の旅、しかも10年とか半端ないんですけどね。
性的な媚薬
- 夫の精液を食べ物に混ぜて夫に食べさせた妻 →2年間の贖罪。精液が滋養強壮の効果があると信じられていたため。
その他、生理中の女性の血を相手の男性に飲ませたりするなど精液や体液、生理に関する俗説や迷信がかなりはびこっていた時代でした。黒魔術乙
- 妻が不妊が明らかならセックスしてはならない →出産の可能性のないセックスだから。
- 夫がインポであったり不妊であった場合 →妻は離婚して再婚する権利を得られる
未婚者同士のセックスについてはとりわけ厳しい言及はありません。未婚同士の場合は寛大に扱われていたようであります。ただし、
- 青年が処女とセックスする →1年間の贖罪、さらに妊娠したら2年間の贖罪
中世では「処女」「独身」「禁欲」といったものが重要な地位でありました。これらを守るために代わりに同性愛の関係が多く見られたようです。中世では同性同士でまとまってグループになる機会が数多く存在していたために(例えばギルドの集まり)同性愛の関係に発展しやすかったそうです。男性同士の場合はアナルセックスで代用されていたようです。
妄想・夢精(頭のなかでの妄想も罪になります)
ここから先はほんと酷いです。
- 実際にセックスしなくてもセックスしたいと思っているだけでも罪 →パンと水だけで40日間の贖罪
街中で可愛い子を見かけて「あの子とエッチしたいな~」って思っただけで、教会行って懺悔しないといけないです。妄想に関してはさらに細かい規定があります
- 寝る前に「夢精したい」「エッチな夢を見たい」と思って就寝して翌朝夢精した場合 →起きて詩篇を7つ読む。そしてパンと水だけでその日は過ごす。
- 意識せずに朝起きたら夢精してた →セーフ
どうやらエロいことを考えること自体が罪であった様です。私は中世に産まれてきたら間違いなく存在自体が罪になります。
OKなセックスのまとめ
この様に教会によって物凄い細かいセックスのルールが規定されたので、複雑すぎてよくわかりません。ですからこれをスッキリ簡単に図表にまとめてくれたブランデージというエロい、いや偉い先生がいらっしゃいます。
どういった図表かというと、よく「Yes・No」の質問をして答えによって矢印の分岐を進めるというチャート式の図表ってありますよね。例えば
「相手は妻ですか?」Yes→次に進む No→犯罪です。
「妻は生理でないですよね」Yes→次に進む No→犯罪です。
みたいな質問を繰り返して選択肢を選んでいくやつです。このチャートで全て「Yes」を選択し続ければ、めでたく?セックスできるというチャートです。
チャートなのでみれば一発なんですが、文章にしてみると説明が難しいのでセックスして良い状況を抜粋して書いてみます。このセックスしていい状況とは・・・・
あなたがセックスしたい気持ちで、かつ結婚していて、セックスの相手が妻であって、その妻は妊娠中でも、生理中でも、授乳中でもなく、キリスト教の行事の期間でなくかつ、祝日、祭日でない月・火・木曜日のいずれかであり、現在いる場所は教会ではなく、現在の時刻は夜で、更に自分が裸であり、子供が欲しいと思っていれば「セックスしてもOK」です。
そしてセックスする際は、ペッティングや愛撫・ディープキスはしてはならず、体位も正常位のみで1回だけ、そして快楽を楽しまず、終わった後は必ず体を綺麗に洗うのであれば「さあセックスしていいですよ、どうぞ」となります。
完全に教会は狂ってますね・・・・・・
ちなみにこれを厳密に守ったら一年間で一体何回セックスできるの?という疑問を持った方がいらしたら鋭いです。皆さんと同じように疑問をもったフランスのフランドンというエロい、いや偉い学者先生が実際に調べました。
彼の研究によると女性の生理などを含めると年間44回、毎月4回ほど行える可能性があるそうです。ちょっと少ないですよね。そもそも基本的に「月・火・木」しかできないですし。
初夜権(処女権)について
中世ヨーロッパで性と言えば有名な話として初夜権があります。領主や僧侶が領内の女性の初夜権、早い話「その土地に住んでる女性の処女をいただく(領主や僧侶に処女を捧げる)」という謎の権利です。
現在でもこの処女権の逸話が残されており、絵画の題材や映画や戯曲の脚本などにも登場します。しかし、この初夜権が実際にあったのかどうかは確定しておらず、真偽については現在も議論されております。
wikiでは基本的に「伝承や口伝で初夜権の話は伝えられているが実際に記録としては残っていない」という姿勢で初夜権については懐疑的なスタンスをとっています。
中世は村々が閉鎖的であったので村や集落ごとに独自のローカルな習慣が存在していたのも事実です。ですから中にはこのような奇妙な習慣が小さな村単位で存在していた可能性は否定できません。
しかし、現在で言う数万人規模の市や町といった一括りの地域レベルでこのような初夜権の行使が行われていた可能性はほぼ皆無であると言えるかと思います。
なぜかと言うと、例えば上でアナルやフェラなどを含めた男女のセックスのルールが教会によって詳細に決められた記録が残っているのに、初夜権に関する記録が全く残っていないのは不自然です。特に初夜権は教会が関わってるので尚更です。そういった点から考えても初夜権は言い伝え的な伝承であると言えると思います。
繰り返しますが、小さな村単位でローカルな習慣として存在していた可能性はあります。また、初夜権は勘違いしている人も多いですが、伝承を参考にすると必ず誰とでも相手をしないといけないので、辛かったり大変なことも多いかと思います。これは義務なんです。
落ち込んでいたり、精力的に厳しくても義務として必ず行わなければならなかったようですし、また自分が生理的に無理な見た目の相手でも絶対にセックスをしなければならないのです。
中世の人は本当にこれを守ってたの?
いかがだったでしょうか。とりあえず、まだまだありますが、長くなりそうなので大雑把に中世のセックスについて驚く内容をピックアップしてみました。
この信じられないぐらい細かい教会の指導ですが、実際に厳密に守られていたのか?と言われるとそんなことはありません。(というか、中世人も現代人も同じ人間で性的な本能は同じですから守れるわけがないです)
現存する中世の書物には性の快楽を楽しむ人々を描いた図版も多いですし、性を謳歌する人達の歌も数多く残されています。現在でも神様を信じている敬虔な人もいれば、神を全く信じない無神論者が存在するように個人によって三者三様でしょう。
しかし、中世の人達は現代人と違って物質的な豊かさより精神世界の豊かさをより重視していたこともまた事実です。日常生活を過ごす上で頭の中には常に「最後の審判」が迫っており、イエスの再臨が近づいていると真面目に考えておりました。
例えば地中海のある地方では神父が「今日ぐらいにイエスが再臨するかもしれない」といってイエスの再臨を見るために村人を連れて山に登ったという記録があるぐらいなのです。
彼らにとって最後の審判は今後に起こるリアリティーのある未来です。したがって最後の審判では神によって救済される様に禁欲的で真面目な生活を送るように日々努めていました。そういった側面を踏まえると教会の教えを忠実に守っていたとも(守ろうと努力したと)言えるかと思います。
最初に中世では聖職者が当たり前の様に去勢した話をしましたが、現在では去勢するほどの意気込みで修行している聖職者はほぼ皆無です。というか聞いたことがありません。その一方で、中世の聖職者には去勢だけでなく更に一歩踏み込んで自らの命を絶つ殉教までも厭わない聖職者がいたことも事実です。
これらを踏まえると現代と中世の聖職者に大きなギャップが見られるように、現代の庶民と中世の庶民の性生活が大きく違っていても全く不思議ではありません。
将来キリストによって救済されるために庶民が禁欲的であったとしても聖職者の去勢や殉教が当たり前であったアンビリーバボーな中世ではなんら不思議ではないのです。
(おしまい)
『注釈』
・男女の性的関係は罪である
→ 中世キリスト教の教義の元となったアウグスティヌス大先生の著作である「結婚の善」の中で明確に「性行為は結婚した夫婦が子作りの目的のみにおいてしてよい」と規定してあるため、それ以外は罪となります。ちなみにアウグスティヌスは後のキリスト教世界において絶大な影響力を与えた神学者です。
・なぜ阿部先生はセックスに関して書いたのか
→ちなみになぜ阿部先生が中世の性生活について書いたのかというと、ヨーロッパにおける「個人」や「人格」について研究していたからです。「個人」や「人格」というものは抽象的な概念です。そこで抽象世界ではなく現実の世界においては例えば「個人」とは具体的にどのようなものかを実際に見てみます。すると「個人」というのは現実では「対人関係」において見ることができます。そしてその対人関係の一番の根幹というのは「男女関係」です。
ですから「男女関係」を具体的に調べれば、そこからさかのぼって逆説的に抽象的な概念である「個人」や「人格」の理解に役立つのではないか?と考えていたようです。阿部先生の名誉の為に書いておきますと、決して私みたいなスケベ心からではなく非常に高尚な研究者としての立場から真面目に調べております。