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~ヒストリアイ~

実は奴隷なんてどうでもよかった南北戦争 

投稿日:2017-01-26 更新日:

◆アメリカで一番偉大な大統領は誰?

アメリカの歴代の大統領で一番偉大な大統領は誰かというアンケートすると大体は一位がリンカーンで次点がワシントンという結果になります。リンカーンと言えば南北戦争で勝利し「奴隷解放宣言」を出した偉大な大統領です。

ではなぜリンカーンは偉大なのか。奴隷を解放した素晴らしい人道主義者の大統領だからか?というと実際はそうではありません。

というのも、北部が奴隷を解放することを目的として戦争を行い、奴隷の人権を回復するのであれば、南北戦争から100年後にキング牧師によって黒人の差別是正の公民権運動が行われるはずがなかったからです。

ここで少し複雑なので断っておきますが、南北戦争の争点の1つは「奴隷制度」であることは間違いありません。というか、むしろ最大の論点でした。北部と南部は奴隷制度の為に戦ったと言っても過言ではありません。

ただ、その奴隷制の廃止の是非が「奴隷は酷い人権の侵害で、黒人が可哀想である。独立宣言の自由・平等の精神に反する」という人道的、道徳的なヒューマニズムの観点から行われたというのが間違いであるということです。

リンカーンが最も偉大な大統領である最大の理由は奴隷解放をした大統領だからではありません。アメリカが「アメリカ合衆国」と「アメリカ連合国」の2カ国に分裂する危機があったのを防ぎ、一つの国として留めたことにあります。

 

◆リンカーンの功績とは?

今でこそアメリカが分裂するなど想像できないですが、実際にインド帝国は独立前にインドとパキスタンに分離しましたし、朝鮮も同じ民族でありながら南北に分断して70年以上経過しております。

それを踏まえると、アメリカもあの時期に北部の白人の移民が多い先進的な工業国と南部の黒人が多い農業国の2カ国に分裂した可能性も大いにありえたわけです。ですからリンカーンの偉業は奴隷の解放を行ったことより合衆国の分裂を防いだことが彼の最大の功績でしょう。繰り返すようですがリンカーンの偉業とは「奴隷解放」ではなく「合衆国の分裂の危機を防いだこと」なのです。

そもそも北部と南部はイギリスという外敵と戦うために同盟を結んで1つの連邦国家を形成していたわけでした。ですから独立してイギリスの脅威がなくなれば必然的に内紛を起こす火種を抱えていました。その原因は北部と南部では経済的な産業構造が全く別であったからです。合衆国は建国当時から連邦内にありえない二つの国家群を内包していたのです。

◆北部と南部の経済的な対立

当時は北部と南部では北部が軽工業、南部が農業を主要産業としておりました。独立後間もなく、産業が未発達な北部では産業保護の必要性から保護貿易を必要としておりました。その反面、南部は奴隷を利用した安価な綿花を栽培しており、イギリスに安価で販売するために自由貿易を必要としており両者は対立していたわけです。

北部は南部へ保護貿易のために「安価な綿花栽培による自由貿易をやめろ」とは直接的には言えません。しかし何かしら自由貿易をやめさせる口実を見つけたい。そんな中で目をつけたのが奴隷制というわけです。南部の綿花栽培は奴隷抜きでは成り立ちませんから奴隷制さえ廃止すれば北部は保護貿易政策を取ることができたからです。

この様な経緯があって北部は奴隷制に対して反対する立場をとるようになりました。北部の産業にとって南部の奴隷制による農業は大きな問題でしたが、その一方で奴隷の人権など人道面に関しては全く問題にしておりませんでした。

また、同じように西部に移住した開拓農民も奴隷制には難色を示していました。彼ら自作農からしたら奴隷を使った大規模プランテーション農業はライバルです。例えるなら個人商店とチェーン店みたいなものですからね。ですから彼らの生活を脅かす奴隷制に関しては必然的に反対の立場をとりました。

◆奴隷は人ではなくモノだという共通認識

そもそも戦争開始の時点では北部は奴隷の人道的な観点をそこまで争点にしておりませんでした。奴隷に関しては私有財産であり私有財産の権利は憲法で保証されているので、現在の価値観である「人道的・道徳的」な観点から奴隷制の廃止に賛成をするのは北部においても少数派でありました。

実際に1831年にボストンで人道主義者であるウィリアム・ギャリソンが人道的な観点から奴隷制廃止の活動を始めましたが、ボストンの市民から非難・攻撃されています。北部においても「新規に奴隷を増やすとなると認めがたいが、既に保有している奴隷は所有者の私有財産として認めざるを得ない」と言う人が多数派でありました。

北部の人たちの最大公約数的な立場は「南部の奴隷や奴隷制は建国期からの制度として現時点では認めるけれど、今後、奴隷や奴隷制度の他州への拡大は認めない」という意見であったと思います。

リンカーン自身、戦争の危機が高まった際に「南部が分裂するぐらいなら奴隷制を認めるから戻ってきて欲しい」という発言をしております。もし奴隷制の是非が開戦への論争の根幹にあるのならばこんな発言をするはずがありません。

ですからリンカーンも当初は奴隷に対しての道徳面における十字軍的な戦争遂行は避けました。しかし、南部が綿花の輸出先として良好な関係を持ち、味方に付いてくれると期待したイギリスなどの欧州諸国に対してアメリカ連合国として援助を求めるようになるとことは一変します。

北部にとって「合衆国内の内乱」から「国際的な紛争」へ発展する可能性があるならば厄介な問題になります。諸外国が南部を正式な国家と認め同盟を結ぶなり援助をしたりすることは北部にとって死活的な問題です。

そもそも合衆国がイギリスの植民地から独立できたのも合衆国がフランスとの同盟を個別に結び本国・植民地の内乱から国際的な紛争へ発展した経緯があるからです。危機感を持った北部は国際世論を見方につけるためになりふり構わず奴隷制反対の理由をすり変えます。

イギリスやフランスなど人道的観点から奴隷制が廃止されていたり、南部の奴隷制に対して疑問を持っていた国々を北部の味方につけるため、そして南部に対して戦争の道義的な優位性を示す為にリンカーンは初めて奴隷解放について「人道的・道徳的」な見地から強く訴えたのです。

繰り返しますが、奴隷制度は南北戦争における最大の争点でありました。しかしながら北部が奴隷制に反対したのは決して人道的な観点からではなく産業の違いによる経済的な観点から反対したのだと言うことです。

そして南北戦争の結果、強力な連邦政府を維持して南部の独立を阻止した北部の勝利と連邦から離脱して州独自の独立性を保とうとした南部の敗北により、建国期のフェデラリスト論争から続いていた合衆国内における連邦優位と州権優位の論争に遂に終止符が打たれることになったのです。

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