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独立直後の共和国を支配したヴァージニア王朝

      2016/12/21

日本では明治維新のあとの明治初期の政治は、討幕に成功した「幕末志士」がそのまま元勲となり明治の政界を支配していたが、アメリカでも同じように独立戦争で活躍した「建国の父(Founding Fathers)」がある時期までその後の政治をコントロールしていた。

初代のワシントンから2代のアダムスを除きモンローまで全ての大統領が南部のヴァージニアのであったことからその時代をヴァージニア王朝(Virginia Dynasty)などと揶揄するぐらいである。

この独立戦争の英雄達がいかに政治を寡占していたかについて具体的に説明してみると、フィラデルフィアで行われた大陸会議に出席していた各州代表者であった26名中、後に大統領になる者が5人、副大統領が8名と出席者の半数の13名がその後正副大統領に就任しているといえばお分かり頂けるかと思う。

(第二回大陸会議 独立宣言の署名の図 未来の大統領がゴロゴロいる)

政権が不安定な独立期には、ある程度有力者における寡頭制が行われるのは仕方がないことであり、お互いが気心知れた顔見知りによる安心感というものもあったことだろう。

彼らがこの時期に行った最重要な仕事は「大統領」と「連邦政府」の制定であった。つまり各州が持っている権限をどれだけ大統領と連邦政府に譲渡するかということである。

連邦政府を代表する大統領の選定は慎重を極めた。カリスマ性を持った人物が強力な中央集権によって各州をまとめ上げ最終的に国王として戴冠する危険性もあったため、できる限り権力を持たせず、かといって連邦を維持するための最低限の権力は必要な訳でその調整を・・・という非常に難しい作業を強いられたのである。

そういった事情を踏まえ、初代の大統領は連邦政府を乗っ取る危険性がなく、それでいて独立戦争の英雄で国民からも非常に人気が高い軍人であるワシントンが選ばれることになった。この措置は非常に英断であったと言える。

(初代大統領ワシントン・イギリス時代の階級は大佐)

実際、ワシントンは2期で大統領を退任したが、本人が望めば永久に続けることも可能であったし、周囲はそう見ていたのでワシントンの3期目の不出馬をみて周囲の人々は驚いたらしい。(ちなみにワシントンは軍人でありかつ市民の高い人気とカリスマ性を持っていたために国王になろうと思えばなれる程の実力があったそうである。ただし、そういった野心がない人物だからこそ市民の代表である初代大統領に選ばれたのであろう)

現在は憲法で規定されている大統領の2期8年という任期は、その後ルーズベルトに破られるまで不文律として続いていく。この大統領の任期の様に、彼が在任中に手探りながら行った様々な事が明文化されたり、不文律としてその後の大統領の権限へと引き継がれていった。

この様に書くと政権内は寡頭制で思想的に同じような集団で占められている様に見えるが、実際はジェファーソンやハミルトンの対立に見られるように政権内では権力争いが絶えなかった。

(ハミルトン “決闘”で死ななければ将来確実に大統領になった)

連邦政府の権限を拡大して強力な中央集権国家にしようとするハミルトンのフェデラリスト派と大統領の権力をそれこそ現在の国連の事務総長の様に各州間の調整役程度の権限に留めようとしたジェファーソンのアンチ・フェデラリスト派の様に意見の対立は珍しくなかった。

ただし、イギリスから独立したばかりであるこの合衆国という若い国家の萌芽を守り、連邦制を維持していくという大まかな路線においては合意が得られており、その為に各人は各人の主義主張で権力争いを繰り広げていくことになるのである。

 - 独立直後の共和国に誕生したヴァージニア王朝