アメリカの紙幣に描かれる肖像画は一般に金額が少ないほど重要人物だと言われています。紙幣の一覧を見てみましょう。
1ドル ワシントン
2ドル ジェファーソン
5ドル リンカーン
10ドル ハミルトン
20ドル ジャクソン
初代大統領のワシントン、独立宣言を起草したジェファーソン、そして奴隷を解放したリンカーン、いずれも中学の歴史の授業で学ぶ有名人達です。この中で特に説明が必要な人物は10ドルのハミルトンだと思います。
彼はフェデラリストと呼ばれ独立時に数ある政治体制の中から連邦制を選び確立したことで知られる人物です。40代で早逝しなければ間違いなく大統領になっていました。
ワシントンが初代大統領に就任した際に国務長官に就任したのがジェファーソン、財務長官に就任したのがハミルトンだと説明すれば彼が紙幣になるほどの重要人物だと納得してくれるかと思います。
(ハミルトン財務長官。冗談でなく「決闘」で亡くなった。本人は形式的な決闘だと思っていたらしい。生きていれば間違いなく大統領になった)
その次の20ドル札に描かれたのはアンドリュー・ジャクソン、今回のお話の主人公となる人物です。彼は日本ではあまり知られてはいませんが紙幣になるということは何かしらの偉業を達成した人物のはずです。それでは一体彼はどんなことを成し遂げたのかこれから見ていきたいと思います。
ジャクソンとジャクソニアン・デモクラシー
ジャクソンは独立戦争に従軍経験のある大統領としては最後の人物であり、独立戦争の英雄世代から次の時代へと世代交代をした最初の大統領です。言ってみれば建国期が試行錯誤の段階を経て国家としての枠組みが決められていった時期だとすると、彼の時代はその決められた枠組みを使って国家として発展していった成長期であるといえます。
成長期であったがゆえに彼が在任中に手がけたことは多岐に渡ります。その個別の政策の成果を書くだけで相当な分量になりますが、彼が行った政治業績を一言でまとめれば後年「ジャクソニアン・デモクラシー」と一般に呼ばれています。
(アンドリュー・ジャクソン大統領 米英戦争の英雄でもある)
これはある種のイデオロギーというか政治思想に近いもので、彼とその次の大統領であるバン・ビューレンからジェームズ・ポークまでの5代に続いた大統領がジャクソニアン・デモクラシーを継承して政権を担いました。
特筆すべきことはジャクソンとバンビューレンは同じ政党でしたが、残りの3名の大統領はジャクソンとは違う政党でした。つまりジャクソニアン・デモクラシーとはその当時、党派を超えて支持された普遍性をもつ政治哲学であったのです。
それではこの先程から繰り返し書いている「ジャクソニアン・デモクラシー」を簡単に説明したいと思います。それは政治の庶民化です。一般の市民も政治へ参加できるというシステムをつくりだし大統領は投票によって選ばれる市民の代表者であり代弁者であるという今日の大統領像のイメージを作ったのがジャクソンなのです。
ジャクソン以前の大統領は成人男性なら誰でも投票できる普通選挙が導入されていませんでした。そのため選挙といっても裕福な資本家や大農園のプランター主など一部の有力者達の意向が反映されるものであったのです。このような選挙で当選した大統領は庶民の声よりも当然自分に票を入れてくれた有力者達のための政治を行うようになります。
実際、ジャクソン以前に就任した建国の父達の大統領はイギリス植民地時代は貴族階級といえるような裕福な家柄でした。建国の父たちが名家出身であったのに対し、ジャクソンはアメリカ史の典型と言うような西部の丸太小屋で生まれた農民の子であり努力を重ねた人でした。
(この様な丸太小屋出身 市民が共感するのは当然といえば当然)
したがって、ジャクソンという大統領の登場によって市民はそれまでの大統領と違い自分達と同じ階級の出身者という目線で大統領を見ることができました。またジャクソン大統領自身も民主主義というものを一般の市民目線で実現するために奔走しました。
今でも 草の根民主主義(Grassroots democracy)という言葉がありますが、彼は文字通り「市民のための民主主義」を行ったのです。具体的には、
- 普通選挙の導入
- フリースクール(授業料無料の公立学校)の設置
- スポイルズ・システム(猟官制)の導入
- 国立の第二合衆国銀行の延長を拒否
など庶民の為の政治を展開しました。
上記の政策を簡単に説明すれば①国民であれば誰でも選挙に行けるようになり②貧しい子でも学校に通えるようになり③公務員など政府の仕事を一部の人達が独占できないように政権ごとに官僚を入れ替えられるようにしたことです。
④の国立銀行の延長拒否だけは少し説明が必要なので簡単に補足すると、当時銀行は一般的なイメージとして東部の特権階級の為の組織であり、庶民の目線からみれば銀行は自分達の財産を搾り取る「庶民の敵」として捉えられていました。そんな中で連邦議会は政府が運営する合衆国銀行の第2期の免許が期限切れになる1936年を控え事前にその免許を延長する法案を通過させます。
これに対して、ジャクソンは大統領が持つ伝家の宝刀「拒否権(veto)」を発動し免許の延長を認めませんでした。その為、国立銀行は期限切れで潰れてしまいます。
(中央銀行を潰した彼が後に20ドル札に登場する)
これは大統領が持つ「拒否権」を行使した最初の出来事であり、この拒否権の発動によって特権階級の横暴を防いだ大統領として市民のジャクソンへの人気はうなぎのぼりになります。その結果、次の大統領選挙でも圧倒的な人気で再選されることになったのです。
これら一連のジャクソンの活動によって東部の特権階級の声を代表した議会の横暴を制止した大統領こそが市民の声を代弁する国民の代表者であるという今日のアメリカの大統領のあるべき姿を作り出すことになったのです。また、市民の投票で選ばれた市民の代表者という大統領のイメージは大統領が国政に対し強力な権限を持つ大きな根拠ともなりました。
ジャクソンにより彼の在任中に政策を実現するために作られた政党はその後「ジャクソニアン・デモクラシー」という彼の民主的な政治思想を引き継いだ人々によって守られ続けます。そしてその政党は現在でも存在し、今日では民主党と呼ばれアメリカの2大政党の1つとしての地位を築いています。