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中世ヨーロッパの生活③ ~現代と比較した日常生活~

      2018/02/05

こちらの文章内にある段落末にある (a) や (b) などの記号は巻末の参考文献の引用元です。出典が必要な場合に参考にしてみて下さい。

また、同じシリーズで
①典型的な庶民の一生
②中世の食生活と農業について
④中世ヨーロッパの「性生活」
を書いた文章もありますのでよろしければ参考にしてみて下さい

中世ヨーロッパの生活は当然だが電気も水道もない生活を送っていた。これは自分達が想像している以上の暮らしである。ここでは1.「典型的な庶民の一生」2.「食生活とそれを支えた農業について」と趣向を変えて現代と比較した文明的観点から述べてみようと思う。

主に中世の生活は4つに区分される。

1.農民と農村
2.都市と都市生活
3.王族と貴族の宮廷生活
4.教会や修道院の世界

この4つの大まかな区分の上にキリスト教が君臨していた。どの様な身分であっても生活の隅々までキリスト教が浸透しており、その影響力から逃れることは不可能であった。

キリスト教は文化や風習、行事のみならず、道徳や倫理観などあらゆる全て場面に(例えば、夫婦間であっても子供を作る以外の快楽だけを目的とした性交を禁止するなど)影響力を及ぼした。

【農村の生活】

ジュヌヴィエーヴ・ドークールの 中世ヨーロッパの生活 によると基本的に現金収入などもないことから、人々は自分の土地でとれた産物を使って自給自足の生活を送っていた。まれに市場で売られる近隣の産物などを添えるぐらいである。

食料もさることながら衣服などの繊維も糸紡ぎをするなどして自給していた。(ちなみに中世のこの生活は)1860年頃までは新大陸に渡ったカナダのフランス系カナダ人の間では変わらず行われており、彼らの暮らしを参考にすれば中世の生活を知るうえで参考となる。

【都市の生活】

防衛上の観点から城塞都市になっており、都市の中は非常に密集していた。郊外は無人のガラガラの平野であったが、都市は上に上に伸びた。冗談のような話だが、あれほど近隣に広大な土地があるにも関わらず、人々は都市の中でウサギ小屋の様な狭い部屋で生活していた。

その為、広場や教会周りの墓地以外はびっしりと建物が立っており橋の上にも建物があった。パリに関しては橋の両側にも家が並んでいる状態であった。

中世の都市の道路は清掃制度がなく汚かった。パリの街中のあまりの悪臭にフィリップ尊厳王は気を失ったぐらいであった。馬車から出る馬糞で道は埋め尽くされた。道路に犬・豚が放し飼いにされ、家の前に捨てられた野菜くずなどを漁っていた。

水洗トイレがない為にオマルの中身も窓から投げ捨てられた。2階以上から投げる場合は日中は通行人に当たらない様に捨てる際に合言葉があった。「ガルディ・ルー Gardy loo!」と叫んで捨てた。万が一汚物から汚れることを避けるためにマントを羽織った。

絵で描かれたのではなく実物のオマルの写真はこれしか見つからなかった。
出典は中世ヨーロッパ入門 (「知」のビジュアル百科)である。

※ハイヒールと日傘について

一般に言われていることだが「汚物で足が汚れないように靴底の高い靴が考えられ、これが現在のハイヒールの原型となった」という話と「汚物が上から落ちても汚れないように差した傘が日傘の発祥となった」という話をよく目にするが、その話の原典を文献で見つけることはできなかった。ただし、マントを羽織って排泄物の危険回避に利用したことは中世ヨーロッパの生活に記述がある。

また、ベルサイユ宮殿などはトイレがないことから庭の茂みでこっそりとトイレを済ませ、臭い体臭を隠す為に香水が用いられた。茂みの中には排泄物がゴロゴロところがっていた。

階級社会の中で生活していたために、人々の外見は衣服により特徴づけられた。衣服を見ればその地位も知ることができた。

【灯り】

電気がないために、照明はろうそくしか存在しなかった。ろうそくは非常に暗く、本を読むことは困難であった。(そもそも本自体が貴重品であり識字率も低かったので夜に読む必要もなかった)ろうそくの明かりは現在の冷蔵庫の灯りより暗かった。その為人々は必然的に夜には活動を制限せざるを得なかった。明るいマッコウクジラの鯨油が発見されるのは近世以降である。

【睡眠】

夜は闇に包まれるため人々は比較的早い時間に寝た。照明ができる以前は人間の睡眠サイクルは現代と異なっており、2段階に分けた睡眠をしていた。

第1睡眠と第2睡眠と呼ばれており、ぐっすり一度寝た後に真夜中近くに一度起きた。それから1~2時間活動してまた寝るという生活をしていた。一度起きて何をしていたのかと言うと、真夜中の活動は神にお祈りを捧げたり、性交をしたりと様々であったが記録からはあまり活発な活動はしない様であった。

照明の発明により2段階睡眠がなくなり一度にまとめて取るようになった。この一度にまとめて睡眠を取るシステムは人類の歴史として比較的新しい生活習慣である。

【暖炉・煙突】

暖炉や煙突がない家の場合、家じゅうに煙が充満する煙たい生活を送っていた。壁際は火事の危険性があるため、部屋の真ん中で火を焚いていた。

暖炉と煙突の発明や設置は家のデザインにおいて革新的な発明である。家中が煙と火事の危険性から解放された。煙突がなければ炊事をすれば家中の全ての部屋に煙充が満することになるが(たとえ扉を閉めても壁の隙間や2階などは床から)これにより煙臭さから解放された。

また各部屋ごとに暖炉を設置して排煙装置の煙突に繋げれば暖かい暖を取ることが可能になった。暖炉がなければ、個室は寒くて長居することは難しかった。これにより2階建て以上の住宅と個室が容易に建設されるようになった。

薪は食事用の炊事の他に冬の寒さが厳しい地域では暖房の為に使われた。木材は豊富にあり入手にはあまり困らなかったが、必要な薪が尋常ではない量が必要で膨大な時間を材木の伐採と薪サイズへの加工に時間がとられた。冬の間の暖房用の薪だけで小型バスほどのサイズの量の薪が必要であった。

【公衆衛生】

古代ローマでは公衆浴場は人気の場所であり人々には入浴する習慣があった。しかし、風呂や公衆浴場は大抵混浴であり、いかがわしいことが行われる場所として中世において教会は問題視していた。また水道橋の利用など水が豊富であったローマ時代と違い、水が潤沢でない為に同じ水を使い続けた不衛生な浴場では病原菌の発生場所となった。その為、教会による入浴の禁止の指導が続き、入浴しない習慣がうまれた地域もあった。

現代では人々は清潔の為に風呂に入るが、中世では地域によって風呂に入ることによって不浄になると考えられていた。例えばエリザベス1世は顔や体を洗わなかった。その為、彼女が死んだ際に顔に数センチの化粧がこびりついており剥がすのが大変であった。

公衆浴場と入浴に関してはローマ時代からの変遷を含めて、キリスト教文化との兼ね合いから一言でくくりつけるのは非常に難しい。特に地域によって違いが多くみられる。豊富な湯が湧き出る保養地においては入浴の習慣は当たり前であったであろう。本質的に人々は入浴という行為を好んでおり、その自然の行為を教会がキリスト教を使い無理やり倫理的に抑え付けていたというイメージで語ってよいであろう。

【飲料水】

塩素消毒がされておらず、また公衆衛生の知識がない為に水は危険な飲み物であった。ビールが盛んな地域ではビールは(アルコールを除けば)安全な飲み物であるために水の代わりに好まれて飲まれぐらいである。下水道の不備などにより水源が汚染されているとコレラや腸チフスなどの感染症の感染源となり多くの人々が亡くなった。特に腸チフスなどにより乳児や幼児が頻繁に亡くなった。(塩素消毒が初めてアメリカで行われた際に起きたのは、チフスによる乳幼児の死者が半減したことである。)

【ガラス】

ステンドガラスなど、一部の教会においてがガラスが使用されるようになる。ガラスを使用した眼鏡が中世において発明された。また、凹凸のレンズを使用して望遠鏡の発明もされた。ガリレオなどが木星の衛星などを観察している。14世紀のベネチアでガラスに水銀をコーディングする(現代の品質の)鏡が開発された。人々はガラス戸がない為に、木製の戸を窓につけた。

【食料の保存】

冷蔵庫がない為に食品の保存は燻製や塩漬けなどの方法で保存された。基本的に野菜など生鮮食品は基本はその土地または近郊の地域内のみで消費された。保存ができない為に輸送が不可能であった。生鮮食品の長距離輸送は鉄道と氷の配備がなされた19世紀まで待たねばならない。したがって都市では保存性の高い食料(例えば小麦)が消費された。

【その他】

ソファーは17世紀まで存在しなかった。そして、現代の住居で見られる快適なクッションを持つソファーは1950年代のポリウレタンの登場まで待たなければならない。我々は昔の王様より快適なイスに座っている。

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