恥辱の日 "Day of Infamy"
1941年12月8日、旧帝国海軍の機動部隊はハワイの真珠湾を奇襲攻撃します。この攻撃によって戦艦4隻を沈没・航空機300機以上を破壊するという華々しい戦果(米軍表記:most spectacular and successful attack)を挙げます。
その一方で日米交渉中に起きたこの奇襲はルーズベルト大統領により「卑怯な騙し討ち」というレッテルを貼られてしまいます。というのも日本政府が本来は攻撃前に通告する予定であった「対米通牒覚書」が大使館のミスによりタイプが遅れ結果的にハル国務長官に手渡されたのが攻撃の1時間後であったからです。
日本では戦後これらの経緯を踏まえて世間一般では「日本側は事前に最後通牒をする意思があったのに外務省のミスにより通告が遅れてしまった。そのため宣戦布告前の奇襲攻撃となり結果的に国際法違反となってしまった。これは外務省の大失態だ」という認識が一般的だと思います。
しかし真珠湾攻撃は「国際法違反の卑怯な騙し討ち」というアメリカ側のフレーズは本当に正しいのでしょうか。そこで今回は日本の真珠湾攻撃が国際法に違反していたのかどうかを検証してみたいと思います。
どの国際法に違反しているのか?
まず国際法的に宣戦布告前の攻撃が問題となるのは「開戦に関する条約」に違反するからです。この条約の詳しい内容はwikiに書かれていますが1907年にオランダのハーグで結ばれた条約で、もし戦争を始めるのであれば事前に「開戦宣言」または「最後通牒」をする必要があるという内容です。
開戦宣言は文字通り宣戦布告です。「これから戦争を始めます」という宣言ですね。最後通牒(英:Ultimatum)は交渉などで相手国側にこちらの条件を提示してそれが満たされなければ自由行動(国交断絶、封鎖など)をするという通告です。最後通牒の他に最後通告とも言われたりします。
1991年の湾岸戦争を例にすれば、国連は1990年11月29日にイラクに対して「イラク軍はクエートから1991年1月15日までに撤退しろ」という期限付きの最後通牒を出しております。その後イラク軍は撤退しなかったため期限を過ぎた1月17日に多国籍軍は武力行使に踏み切っています。
以上の説明をまとめると日本は真珠湾攻撃をした際に宣戦布告・最後通牒のいずれも事前に米国に対して通達していないのでこの開戦に関する条約に違反したとされているわけです。
日本の当事者たちの認識
それでは実際に日本の政府や軍部がこの条約違反に関してどう思っていたのかを見ていきましょう。まず日米交渉の当事者であった外務省です。
外務省は大臣の東郷茂徳を含めて宣戦布告をする必要がないという認識でした。というのも1907年にハーグで行われた条約会議の際に米国のポーター代表が「開戦通告の規定は自衛戦争の場合には適応されない」と宣告し各代表もこれに異を唱えなかったので「自衛戦争においては宣戦布告は必要なし」というのが暗黙のルールとなっていたからです。
これに加えて外務省はハルノートを事実上の米国側の「最後通牒」だとみなしておりました。ですからハルノートが提出されて以降、外務省の立場としては「この戦争は自衛戦争に該当するから仮に無通告で戦争を開始しても国際法上何ら差し支えない」と考えておりました。
では「事前通告の必要はなし」という態度であった外務省がなぜ最後通牒をしたのかというとそれは12月1日の御前会議の際に天皇陛下から「最後通告前に攻撃を開始しないように気をつけよ」と注意されたからです。昭和天皇は開戦前の最後通牒の通告をかなり気にしておりました。
また陛下だけでなく軍部、特に真珠湾奇襲を実際に計画した連合艦隊からも強い要請がありました。とりわけ知米派といわれた山本五十六司令長官は天皇陛下と同じく「攻撃開始前に必ず最後通牒をすること」と事前通告にこだわっておりました。
こうした経緯があり最後通牒はするが攻撃の直前にするという形に落ち着きました。なお海軍内でも軍令部のように「もし通告をすると奇襲が失敗する可能性が高まるから通告はするな」という勢力もいたりして外務省に圧力を掛けてきました。外務省も板挟みの状態であったようです。
ちなみにこの御前会議の際に外務省側は開戦の日時を統帥部から知らされておらず、東郷外相は会話についていけなかったために会議中に永野総長から温情で開戦日を小声で教えてもらうという有様でした。当時の外務大臣の扱いはこの程度であったのです。
国際法の視点からはどうなのか
外務省として事前通告をしなくても国際法に違反しないとという立場なのは分かりました。次に純粋に法律論的な視点からみて国際法違反であったのかどうかをみていきたいと思います。
まず前提として重要なことを述べますが国際社会には国家と違い立法機関がありません。日本の国会や米国の上下院の様に法律を制定する議会がありませんので国家において主流である成文法の他に国際法の世界では明文化されていない「慣習法」といったものが重要視されます。
慣習法は慣習と書いてある通り暗黙のルール的なものです。例えば海の国際ルールとして1982年に国連海洋法条約ができるまでは「公海」や「領海」といった概念がありましたがこれは歴史的に長い間「国際慣習」として多くの国が採用していた明文化されてないルールでした。国連海洋法条約は逆に言えば慣習法の明文化ともいえますね。
つまり法律(条約)として明文化されてないけど国際常識と言われるような暗黙のルールが法律と同等の効力をもって成り立っているというのが慣習国際法です。国際法の世界では繰り返しますが立法機関が存在しないためにこの慣習国際法が非常に大きなウェイトを占めます。
こまかい説明をしましたが、ここで何が言いたいかというと1941年当時「開戦に関する条約」は確かに明文化されていました。ただしこの条約は国際慣習の観点からみたら実質的に死文化しており守る必要がなかったのではないのかということです。
開戦に関する条約の有効性
それではここで第二次大戦の各戦争における宣戦布告の有無と国際社会の反応をみることで開戦に関する条約の実態と有効性を見ていきたいと思います。
*1939年 ドイツによるポーランド侵攻
事前にポーランドへ最後通牒を通告
国際社会はこれを問題としなかった
*1939年 ソ連によるフィンランド侵攻
事前の宣戦布告なし
国際連盟はソ連の侵略を問題視して連盟から除名
ただしソ連が宣戦布告をしなかったことは問題とならなかった
*1941年 ドイツによるソ連侵攻(独ソ戦開始)
ドイツの宣戦布告なし
これに対して抗議する国なし
*1941年 日本による米国侵攻(真珠湾奇襲)
日本の宣戦布告なし(遅れて最後通牒提出)
米国が日本に対して卑怯な騙し討ちと抗議
英蘭ら当事者から国際法違反の抗議なし
*同日・日英戦争勃発
日本の宣戦布告なしでのマレー上陸作戦
英国はこれに対して抗議せず
*1945年 東京裁判
南京大虐殺、バターン死の行進など責任者は戦犯として処刑
真珠湾奇襲に関して責任者は処罰されず
*1964年ベトナム戦争開始
トンキン湾事件(米国の自演)による戦争開始
アメリカの宣戦布告なし
(wikiに 第二次世界大戦下の宣戦布告 の一覧 があるので興味のある方はご覧ください)
以上を踏まえてみるとまず宣戦布告をしている国の方が少ない状況です。また事前の通告がない状況にも関わらずそのことを抗議している国はありません。ソ連はフィンランドへの侵攻で国際連盟を追放されていますが、宣戦布告がなかったことに対しては特に咎められておりません。
真珠湾奇襲に関しても米国以外の英蘭の2カ国は抗議をしておりませんし、マレー上陸作戦に関して当事国である英国は抗議すらしておりませんし。(そもそも真珠湾より1時間以上前にコタバルに上陸した英国には最後通牒すらしてないというのも奇妙ですが・・・・)同じく勝者の裁きであった東京裁判でも真珠湾攻撃の責任者が国際法違反だとして裁かれておりません。
実際の外交の世界だけでなく学術的な観点からも見てみましょう。当時の著名な国際法学者らの著書において開戦の手続きに関しては「宣戦布告」または「開戦の意志をもった事実上の武力行使」と書かれております。これは戦争開始の宣言が宣戦布告だけでなく実際の武力行使が挨拶代わりになるという意味であり、事前通告の義務が必須ではないとしておりました。
同じく戦前のアメリカの国際法の教科書にも「条約の批准国はわずか28カ国ですでに時代遅れとなってしまった」としてこの条約が当時のアメリカ国内において「すでに有効でなくなった」と解釈していた例が少なくありませんでした。
つまり実際の戦争の現場においても当時の国際法学者らの解釈においても開戦に関する条約は既に死文化(obsolite)していたと考えられます。
なぜこれほどの大問題になったのか?
それではなぜ日本の真珠湾奇襲は騙し討ちだと言われるようになったのでしょうか。日本以外の国は宣戦布告なしで攻撃しても特に問題にはなっていません。逆に言うと日本の真珠湾攻撃だけが執拗に国際法違反と言われ続けるのは違和感すら感じます。
それは奇襲攻撃が大成功を収めたためだと考えられます。アメリカ側の被害は甚大でした。そしてその被害の責任を海軍の怠慢など米国側の過失ではなく日本側の国際法違反に責任転嫁しようとしたからです。
米国政府が真珠湾攻撃を「卑怯な騙し討ち」と大々的に宣伝することで責任を逃れ、更にリメンバー・パールハーバーを国内世論を統一するためのスローガンとして利用したからです。その結果多くの国民の間で日本人は国際法違反の卑怯者というイメージが強烈に定着してしまいその影響が今日まで続いているということです。
実際に真珠湾攻撃に参加した加賀の制空隊、志賀淑雄大尉は真珠湾攻撃を振り返りこう述べています。
だまし討ちなどというのは、日本側の実力を過小評価していたため、予想以上の被害を出してしまったことに対する責任逃れの言い訳にすぎないと思います。そもそも戦争にだまし討ちなどないんですからアメリカとしたら、だまし討ちということにしないと、軍上層部の顔が立たなかったんだと思いますね。それで世論を盛り上げた。世論の国ですからね。
私が言いたいことをそのまま言ってくれていますね(笑)
国際法違反とならないケースとは
以上、真珠湾攻撃の国際法違反について述べてきました。最後に「もし国際法違反だと言われないためにはどうしたらよかったのか?」というケースを考えてみたいと思います。逆説的に考えてみることで新たな発見もあるかもしれません。
まず通告する時間ですが開戦の30分前だと色々言われそうなので余裕を持って攻撃開始1時間前にすることにします。そして曖昧な表現をやめて明確に宣言することですね。つまり最後通牒に相当する「自由行動」の文言を明記することです。
通告する相手はハル国務長官でもいいですが出来るなら大統領の方がいいかと思います。万が一の不手際があり失敗することを考えて駐日米国大使のグルー大使にも同じく通告してもいいかと思います。両方にして困ることはないです。
開戦1時間前に大統領や国務長官に明確な最後通牒をするというのが国際法違反に問われないケースだと思います。じゃあ実際にこれが行われていたらリメンバー・パールハーバーのキャンペーンが行われなかったのか?と言われると身も蓋もないですが多分同じように行われていたと思います。
ルーズベルトは「外交交渉中にも関わらず開戦1時間前に交渉を打ち切って突然攻撃してきた」という国際法違反とは別の「卑怯で恥知らず」といった道徳的な観点で突いてきたと思います。交渉する気もなかったのに攻撃準備を誤魔化すためにあえて日米交渉を引き伸ばしていた・・・とか言うはずです。
私は先程30分前でなく余裕を持って1時間と書きましたが、実は事前の通告時刻というのがこの条約の重要なところで国際法の専門家も「この条約は24時間以前や48時間以前といった通告に関する時間的な規定がないので攻撃直前に告知してもよいことになる。仮に攻撃10分前に通告したとしても法的に違法ではないが10分前に知らされてそれが何になる。これでは実質的に無通告と何も変わらない。したがってこの条約には大きな欠陥がある」と指摘しています。そういった面からもこの条約は問題点があり有効であった(生きていた)とは言い難いのです。
以上長々と説明してきましたが攻撃が国際法違反だと問題になったのは国際法に違反したからではなく「米国側が国際法違反だと問題にしたから問題になった」というのが実情ではないのかと思います。
【参考文献】
●東京裁判の真珠湾攻撃に関する話はこちらに詳細があります
「真珠湾<奇襲>論争 陰謀説・通告遅延・開戦外交 」須藤 眞志 (著)
●開戦に関する条約の法的有効性のパラグラフ全体はこちらを参考にしました。
国民のための戦争と平和の法―国連とPKOの問題点 小室 直樹 (著), 色摩 力夫 (著)