BS NHKで放送された「実録 アイヒマン裁判」を見た。
あの裁判が初めてホロコーストというものを世界的に知らしめた媒体になったと知って驚いた。もちろんニュルンベルク裁判などでも罪に問われているし、アンネの日記やアウシュビッツなど世間でホロコーストは知られた存在であるが、番組によるとホロコーストの被害者がメディアの前に立ちその体験を赤裸々に語った一連の出来事はこれが初の試みであったということだ。
イスラエルは裁判を良い機会として被害者を大規模に証言台に立たせることによって、ナチスの戦争犯罪であるホロコーストがどのように行われたのかをドキュメンタリーとして記録に残そうと試みていた。したがってアイヒマンを裁くという事以外にもホロコーストの全容を被害者の証言を含めて明らかにしてそれを記録に残すということを行っていた。
東欧やバルト海など様々な国のゲットーにいたその地区のユダヤ人のリーダー的な立場の人が証人となって話していた。それはとても大規模な証言だったと思う。現代と違ってまだ歴史になっていない時代の証言だったので現役バリバリの証言だった。当時20歳の人でも証言台では36歳。40歳でも56歳である。彼らの左腕にはナチスによって管理する為に囚人番号の入れ墨が入れられた。痛々しい。
また驚いたのはイスラエルに逃げ込んだホロコーストの被害者が戦後、あまりに過酷な体験だったために非体験者達から「可哀そうに、戦争のショックで妄想を持つようになった」と話を信じてもらえなかったという話があって驚いた。今では当たり前のホロコーストの実態は当時の人々には知られてなかったし、また受け入れるのが難しいぐらい荒唐無稽な話だと思われていた。
ある証言者が「収容所で少年が80回鞭で叩かれているのを見た」と言った。そして「その人物はだれか?」と聞かれなんと裁判所にいた検察官を指差した。その人物はアイヒマンの検察官だった。80回鞭で叩かれた少年は戦後に強制収容所での話をしなかった。理由は話したユダヤ人に信じてもらえず話を盛っていると思われたからだった。彼はそれが81回目の鞭打ちになってそれから二度と話さなくなったと言った。驚いたことにホロコーストの証言者はイスラエル内であまりにも荒唐無稽として話を信じてもらえなかったという事実だ。
もう一つ、イスラエルという建国された国にとってイスラエル人は屈強な人々だと思いたかったということもある。決してナチスによってなぶられた弱者によって建国された集団だと思いたくなかったという思惑もある。
よくテレビで戦争の悲惨さを広めるために自身の戦争経験を講演などを行って話している人を見かける。だから被害者は証言を語りたいものだとずっと思っていた。しかし、この番組をみて分かったのは本当の被害者は語りたくないものだと思った。理由はそれぞれあるが、あまりに悲惨な体験なので知られたくないという感じである。