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~ヒストリアイ~

ゴッホとセザンヌ ~超絶嫌われ者の画家達~

投稿日:2017-12-02 更新日:

「果物籠のある静物」セザンヌ(オルセー美術館)

嫌われていた時代の寵児

アーティストや画家といった人達はいわゆる変人と言われるような人が多いのですが、今回はそういった変わり者だらけの画家達の中でも特に個性的であった二人の印象派の画家のエピソードを紹介したいと思います。その内の一人はパリから遠く離れた土地でひっそりと生涯を終え、もう一人は自ら命を絶つことになります。そして両者に共通していたのは市民から超絶嫌われていたことです。それも尋常じゃないレベルで・・・

ポール・セザンヌ

セザンヌは非常に気難しい人間でした。印象派の画家の中でピサロという画家がいますが、彼が人格者であったことを示すエピソードに「唯一セザンヌとコミュニケーションがとれる人」という話があります。この話を聞くと「セザンヌよ・・・お前一体どんだけ気難しいの?」とツッコミを入れたくなります。

セザンヌは結婚していたのですがどうやって奥さんを見つけたのか疑問に思うほど気難しい人物でした。奥さんをモデルに絵を書いた際のエピソードがあるのですが、奥さん相手に「動くな。りんごは動かない」など結構きついことを言ってるのでシンプルに「奥さん凄いな」と思います。


(忍耐力の塊の奥さん この絵は塗り残しの余白があることでも有名)

セザンヌの絵のモデルを他にやったことがある画商のヴォラールら複数の証言が残っているのですが、ちょっとでも動くともの凄い癇癪を起こすらしいので半端ないです。

セザンヌは父親が銀行経営をしていて莫大な遺産があったので(だから生活には困らなかった)奥さんはもしかしたらセザンヌではなくそちらに興味があったのかもしれませんね。

そんな気難しいセザンヌでしたが1人だけ例外がいて息子のポールにだけは優しく接したようです。

セザンヌは印象派の画家でしたが多くの印象派のメンバーがパリで生活をしてお互いに交流をするなかで、パリに住むことなく故郷のエクスに戻りアトリエに籠もって絵を描きながらひっそりとした隠遁生活を送っていました。

今でもエクスにはセザンヌのアトリエが丁寧に手入れがされた完全な状態で残っています。セザンヌがりんごや壺を置いたテーブルやバスケットなども絵に描かれたままの形で完全に残っており当時の姿を偲ぶことができます。


(セザンヌのアトリエ トリップアドバイザー提供)

さて、そんなセザンヌの嫌われていたエピソードです。それは彼が生活していた故郷エクスで街の大勢の人達から嫌われていたということです。例えば街中を歩いているとそれだけで子供たちから何度も石を投げられたりしたそうです。

詩人のジョワシャン・ガスケは当時エクスに住んでおり、セザンヌが迫害されているシーンを何度も目撃しておりました。彼の著書「セザンヌ」の中でそのことについて書いている場面があります。

どうしてかわからないが、セザンヌを殺したいほど嫌っている一派がいた。その内の一人がセザンヌを見つけると「こんな画家は銃殺しろ」など大声で叫びセザンヌをあざ笑った。

さらに街中で声を掛けられるとセザンヌはそういった人達が自分を迫害すると信じ込んでおり、尾行されていると勘違いした。そして逃げるように自分のアトリエ駆け込み家中のドアを閉め鍵を掛けた。そして自分がなぜみんなから敵意を持たれるのかと自分自身に問いかけた

という風に述べています。ここまで嫌われるのって逆に難しくない?と思うぐらい清々しいまでに嫌われていますね。

ただ、画家のベルナールがセザンヌが写生に行く際に一緒に付き添って行ったのですが、セザンヌが道端で足を取られて倒れそうになったので彼の体を手で支えたら「俺の体に触れるな、絶対騙されるものか」ともの凄い癇癪を起こして怒鳴り散らしたという逸話が残っています。

ですからそういった難しい性格が街中の人達から嫌われていた原因なのではないのかと思います。しかし騙されるって何か被害妄想でもあったのでしょうかね・・・・

こういった難しい性格のセザンヌでしたが、彼の作品は生前から評価されており若手の画家が彼を慕って訪れたりしたりしたので(上記のベルナールなど)そこまで寂しい人生を送っていたのではないのかと思います。

セザンヌは印象派の画家達の中でキュビズムなどを含めたその後の美術界への影響を考えると最も影響を与えた画家であると言えるかと思います。生前「リンゴひとつでパリ驚かせる」と言ったセザンヌですがパリどころか世界中を驚かし、そして時代を超えて人々を驚かせ続けております。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ


(ゴッホのひまわり 実は1作でなく7作描かれた)

ゴッホは現在、ピカソやダ・ヴィンチに匹敵する世界で5指に入る人気画家の1人ではないのでしょうか。少なくともオークションで最も高値の付く画家の1人ではないかと思います。さてセザンヌに引き続いてゴッホの嫌われていたエピソードをお話しようと思います。

ゴッホはその人生の終盤にフランスのアルルという街で生活していた時期があったのですが、その間わずか2ヶ月ほどですがタヒチに住んで絵を描いたことで有名なポール・ゴーギャンと共同生活をしていたことがあります。1888年のことです。

この二人の共同生活はお互いの相性が悪く上手くいかなかったためわずか9週間で破局を迎えてしまいます。そして二人の関係がギクシャクした中で有名な事件が起こります。

ゴーギャンがアルルの街中を歩いているとカミソリを持ったゴッホが突然彼に襲いかかろうとしました。ゴッホは寸前の所で思いとどまり家に帰ります。そしてその後自らの片耳を切り落とすという行為に走ります。

更に衝撃的なのはその後に切り落とした片耳をゴッホは布に包んでラシェルという娼婦に渡すのです。この一連の事件を「耳切り事件」と言います。片耳を切った後の痛々しい自画像も残されています。


この事件は切り落とした耳をラシェルに渡したせいで警察沙汰となります。そしてゴッホが狂気の状態であることが世間に知れ渡り彼は精神病院に入院させられてしまいます。

まあ当然ですよね。娼婦のラシェルの立場になってみればいきなり娼館にゴッホが来て『この品を大事に取っておいてくれ』と何かを渡されて、それを後で開封したら片耳が入っていたらそりゃ警察に通報しますよね・・・

この耳切り事件は新聞に掲載され結果的にアルルの街の住民に知れ渡ることになります。そしてこの一件を通じてアルルの住民のゴッホに対する不信が最高潮に高まります。

さらに退院したゴッホはその後も町中で「毒をもられている」「至る所に囚人がいる」などと喚き散らした為にアルルの市民は一致団結してゴッホを追い出そうとします。

最終的に市民の訴えによって警察がゴッホを精神病院に強制入院させることでゴッホはアルルの街を離れる(追い出される)ことになります。セザンヌは嫌われていても街を追い出されることはなかったのでセザンヌより一枚上手ですね。

ゴッホはこの事件からわずか1年半後の1890年に心を病んでピストル自殺をすることになります。

私はゴッホの絵の中で「星月夜」という絵がいちばん好きです。


(ゴッホ「星月夜」ニューヨーク近代美術館)

この「星月夜」という作品は幻想的なタッチで描かれていて夢のような世界観でとても素晴らし作品だと思います。しかしこういった一連のゴッホの話を聞いた後だと「精神病の人が書いた絵と言われれば確かにそう思えなくもないな」と思わせる絵であると思います。

ゴッホの現在の評価を知っているとせめてもう少し幸福な人生を送れなかったのかと少し悲しくなります。

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