戦略爆撃には目標に対しピンポイントに攻撃する精密爆撃と特定のエリアを無差別爆撃する絨毯爆撃の2つの方法がある。
例えばアメリカはドイツへの戦略爆撃は精密爆撃を採用していた。爆撃機が装備したノルデン爆撃照準器に絶対の自信を持っていたからである。その一方イギリス空軍はドイツに対し夜間の暗闇に紛れての無差別爆撃を採用していた。アメリカはヨーロッパでは無差別爆撃に否定的だったのである。
そんなアメリカの対日戦略爆撃はご存知のように精密爆撃とはかけ離れたものになった。しかし、米軍の陸軍航空隊の上層部は無差別爆撃を行えば被害の95%が民間人に及ぶということがわかっていた為に意外なことに無差別爆撃に反対していた人は多い。
結局、精密爆撃派と無差別爆撃派の両者はお互い意見が平行したまま結論を出すことなく、米航空隊は当初は両方の意見を採用した。
ジェット気流と精密爆撃派の敗北
そんな中、1944年にマリアナ諸島が陥落しB29によってサイパン島から日本に対し戦略爆撃が可能になった。そしてマリアナ基地の司令官にヘイウッド・ハンセル准将が着任してきたのである。
彼は精密爆撃の権威として知られた人物であった。したがって当初は日本に対する爆撃は精密爆撃のみが行われる結果となった。
しかし、精密派は実際に効果的に目標を攻撃できなかった。ヨーロッパでは成功したのになぜなのだろうか?それは日本上空を流れるジェット気流の影響であった。
ハンセルの主張である精密爆撃は人道的な見地からも正しかった。ただし高高度からの精密爆撃は当たらなかった。結局、日本への精密爆撃はジェット気流に邪魔されて技術的に不可能であった。
結果が出ないのであれば弁解の機会はない。ハンセル准将は解任されサイパンに無差別爆撃派のカーチス・ルメイ将軍が着任することになる。
ルメイは現実主義であった。最も効果が出る爆撃方法を探した。その最善の策が無差別爆撃であった。鬼畜ルメイと言われた彼の呼び名と同じ非道な手段である。
当たらないなら数で勝負すればよい。たくさん落とせばハズレも多いがどれかが確実に当たる。B29と焼夷弾の登場が無差別爆撃をさらに加速させた。
着任早々、ルメイから新しい命令を聞いた米軍パイロット達は一様に驚いた。
「こいつは俺達を殺す気だ」
彼は爆撃の効果を最優先にするためB29にハリネズミの様に装備してあった護衛用の機関銃を取り払った。機体を軽くしてその分より多くの爆弾を積めるようにしたのである。
そして爆撃の命中精度を上げるために飛行高度を2000mという低空に設定して爆撃するように指示をした。(通常の精密爆撃では高度は8000~9000mの高高度)これでは高射砲の格好の餌食となる。死にに行くようなものだ。
しかし何よりパイロット達を驚かせたのはルメイ自身がB29に飛び乗って他のパイロットと同じような危険を冒して爆撃に参加したことである。
彼は部下に命令した。「これから全ての任務において自分が先陣の爆撃機に搭乗する。今後は出撃した全ての爆撃機が攻撃目標まで到達する。怯えて途中で引き返した者達は全員軍法会議にかけ処分する」現場は凍りついたが効果はてきめんだった。
この様な経緯で日本への戦略爆撃は精密爆撃から無差別爆撃へと舵を切り替えられた。そして東京大空襲や最終的に広島・長崎への原爆の投下へとエスカレートしていくことになる。
時折、日本への空襲に関して人種差別的な偏見から「米軍は日本の民間人を殺すことに対し虫けらを殺すように良心が傷まない」という様な固定観念をもった意見が見られるが決してその様な画一的な意見で米軍内が統一されていたわけではないのである。
神風特攻隊に対して日本の軍部内で強固に反対したり拒否した人たちがいたように、米軍内でも人道的観点や効率的な視点から決して誰もが賛成しいたわけではないのである。
(おまけ)
さて、それでは実際に無差別爆撃に参加したパイロットはどんな心境で作戦に従事したのだろうか。民間人を無差別に殺したことをどう思っているのだろうか。
あるイギリス人パイロットが答える。彼は乗っていた爆撃機が撃墜されドイツ軍の捕虜となる。そして収容所に輸送の際に爆撃されたドイツ国内を列車から見て自分が人殺し以外の何者でもないと後悔する。殺人者以上に人を殺した殺人者だと。
パイロットは護送中に苦悶する。
今までは市民への爆撃は問題ないと思っていた。もちろんヒトラーに罪はある。けれどだからと言ってそれをドイツ市民にも押しつけていいのか。市民への爆撃を正当化していいのか。
彼は自分の犯した罪と正面に向き合って許しを得ようとしている。過去に向き合うことが、罪を償うことであると。戦争が終わってもずっと戦争を引きづって生き続ける人たちがいるのである。