私の好きな言葉に
――巧言令色、鮮なし仁。(巧言令色鮮矣仁。)
こうげんれいしょく、すくなし、じん
という言葉があります。論語の中の言葉で
「言葉巧みで上手いことを言うヤツは胡散臭いから気をつけろ。」
という意味です。
こういった言葉を巧みに操って皇帝に気に入られ政治を専制する家臣のことを奸臣と呼びます。
それに対し、皇帝に対しても怯まずにずけずけと悪いことは悪いと注意する家臣を直諫(ちょっかん)の臣と呼びます。
その代表的な人物が「貞観の治」を行い、中国史上最高の君主とも言われる唐の二代皇帝「太宗」の臣下である「魏徴」です。
魏徴は名君と言われた皇帝に対しても怯まず、常に「正しいことを正しい」と言い続けます。そんなわけですから当然、皇帝からも煙たがられます。
しかし、そういった不遇な経験を経ても決して己の態度を変えず唐のため、皇帝のため、そして民のために魏徴は皇帝に直言し続けます。
そんな魏徴ですが亡くなった際に太宗を大いに嘆かせて
「人が鏡を使って衣服の乱れを正すのと同じ様に、私は魏徴の直言で政治を判断していた。魏徴を失ったことは鏡を失ったことと同じことだ。」
と太宗に言わしめます。
この魏徴、有能な家臣としてだけではなく、詩人としても有名で唐詩選の冒頭に「述懐」という詩を残しております。
いかにも無骨な魏徴らしいこの詩は、魏徴がどのような人物であり、どれほど覇気があったのかを感じることが出来る素晴らしい詩です。
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「述懐」魏徴
中原還逐鹿 (中原にまた鹿を逐い)
投筆事戎軒 (筆を投じて戎軒を事とす)
(中略)
人生感意氣 (人生、意気に感ず)
功名誰復論 (功名、誰か復た論ぜんや)
(世が乱れ、天下取りが始まると、
私は筆を槍へと持ち替え戦場を駆けめぐった)
(人生において相手の気心を知ることが大切であり
金や名誉など誰が問題とするのか)
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さて、この詩を用いて自身の体験を「述懐」した人物がいます。それは田中角栄首相の秘書であった早坂茂三さんです。
早坂さんは田中角栄に誘われた時のことをこの様に回想しております。
―――――――昭和三十七年十二月になったばかりの日、
東京タイムズの記者だった私は田中大蔵大臣に呼ばれた。
「オレは十年後に天下を取る。お互いに一生は一回だ。一生一度の大博打だが、どうだい、一緒にやらないか。」さて、どうするか。まんじりともしない夜が明けて、私は決断した。
「人間と生まれて、天下を取るほどの大勝負は、ほかにない。田中は数ある人の中から私を相棒に選んだ。破格の光栄である。男子、意気に感ず。及ばずながら、私は自民党随一の切れ者、田中角栄の門に入ることにした。」
史上最年少で大蔵大臣に就任した飛ぶ鳥を落とす勢いの話題の人物からたかが一介の新聞記者が、自身の懐刀、天下取りの相棒としての誘いを受けたのです。
魏徴の詩を用いてその感激を表した早坂さんの当時の気持ちがひしひしと伝わってきます。
士は己を知る者の為に死すといいます。直諫の臣としてロッキード事件後、権力を失った角栄に最後まで忠誠を尽くし続けた早坂さん。角栄と共に中原に鹿を追った自分を魏徴と重ね合わせたのかもしれませんね。
※ 「中原に鹿を追い」
現在でも天下取りをすることを「中原に鹿を追い」と表現します。
※ 「巧言令色、鮮なし仁」
これに対し孔子は「剛毅木訥、仁に近し」 (剛毅木訥近仁)
剛毅で飾らぬ人間は、(誠実なのだから)完成した徳をそなえたものに近いと評しております。