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~ヒストリアイ~

岩手のコロナ騒動と戦前の捕虜への偏見 ~岩手県民は斯く戦えり、感染一号者には特別のご高配を賜らんことを~

投稿日:2020-08-02 更新日:

岩手県はコロナ感染者0を続けていた

2020年8月、本来であれば東京オリンピックが開催され日本全国津々浦々でお祭り騒ぎになっているかと思いますが、実際は新型コロナウィルスの影響で東京五輪は延期となりそれどころか世間では自粛ムード一色となっております。

首都の東京では毎日数百人単位で感染者が発表されるという暗い話題の中で国内で唯一コロナの感染者がゼロという驚異の記録を続けていた都道府県がありました。それが「岩手県」です。

岩手以外の全ての都道府県では4月までにコロナ患者が確認されています。その一方岩手だけは3ヶ月以上もの間、患者数がゼロの状態を続けていたわけです。

この感染者ゼロという偉業に対して通常であれば全国から「岩手は凄い」という称賛の嵐が送られたり新聞や雑誌などで「感染者ゼロの秘密」など特集が組まれたりするのかと思われるのですが、実際に岩手県のコロナに関する記事を検索してみると意外なことにネガティブな話題が多いです。

そういったネガティブな記事を読んでいてふと思い当たることがありました。それは戦前の日本軍の捕虜に関する話です。

そこで今回はこの新型コロナウィルスに関する岩手県の報道を元にして太平洋戦争における旧日本軍の捕虜に関して少し考えてみたいと思います。

コロナ患者に対する世間の対応

戦前の捕虜に関する話をする前にまずコロナに関する岩手県の報道がどのようなものなのかを最初に説明したいと思います。これは説明しなくても新聞記事などになっているのでご存知の方も多いと思います。一例を上げると

「絶対帰るな」「第1号だと生きていけない」 感染ゼロの岩手で高まる緊張と圧力(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20200724/k00/00m/040/140000c

岩手県・達増知事が語る「第1号になっても県はその人を責めません」(文春オンライン)
https://www.jiji.com/jc/bunshun?id=39079

この様に多くの県民は岩手内でコロナ1号患者になることを恐れており実家に帰省する子供などに対して「帰ってくるな」など厳命しているそうです。

本当なのか真偽が疑わしい記事かと思いますが知事が「第1号になっても県はその人を責めません」という発言をすること自体がこの記事の真偽が本当であると肯定するに等しいですよね。更に感染確認後の記事がこちらになります。

岩手初の感染者に中傷続く 知事「鬼になる必要ある」(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASN813J27N70ULUC00B.html

まあ予想通りの反応ですね。ちなみに岩手出身の方に「これほんと?嘘じゃない」と聞いたところ「いや、これ本当だと思います。自分もGWに実家から帰ってくるなと言われました」と肯定しておりました。なお感染確認後に追加で聞くと「みんなホッとしてると思います。田舎の市町村だと最悪引っ越さないといけなくなるので、まだ盛岡の方で良かったと思います」と言っていました。

なお岩手だけですと「それ岩手県だけの話でしょ?」と言われたり岩手の方からもの凄いクレームが来そうだと思うので他の県に関しても一例を書いておきます。

富山 県が住民に感染者へのヘイトをやめる呼びかけ
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1711/kj00021811.html

三重 感染者の家に投石や落書き 首長ら「差別許されない」
https://www.asahi.com/articles/ASN4Q3SX5N4PONFB00P.html

徳島 県外ナンバー車に「あおり運転や投石」新型コロナ絡み差別的行為
https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1074963

以上の様にこれは岩手県だけでなく日本全国で見られる状況です。

戦前の捕虜に対する偏見とは?

さてそれではコロナの話題はいったん置いといて本題である戦前の捕虜に関する話をしたいと思います。太平洋戦争中、日本軍はどのような状況下であっても敵に降伏するのを禁止しておりました。別に軍法に「捕虜になるのを禁ずる」と明記していたわけではありません。当たり前ですよね。禁止されていたというのは暗黙の了解というか不文律というかそういった意味です。

特に有名なのが昭和16年に東条英機陸軍大臣によって出された「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」というフレーズでお馴染みの「戦陣訓」です。

この戦陣訓によって多くの兵士が投降を許されず死ぬまで戦い続けねばならず、玉砕や自決といった数多くの悲劇を生む原因となっております。この戦陣訓は軍人のみならず民間人(というか日本人全体)にも多大な影響を及ぼしサイパン島でのバンザイ・クリフの様に敵の捕虜になるのではなく自決を選ぶといった人達が続出しました。

戦後、こういった自決の強制などを踏まえて旧日本軍が人道的な見地からいかに酷い組織だったのか語られることが多いですが、実はこの捕虜の扱いについては異なった視点からの見解があります。

捕虜が「恥」になっていった過程

現在では戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」というフレーズが独り歩きして多くの人は「捕虜禁止」は軍による兵士や民間人への押しつけというイメージをもっているかと思います。

しかし明治時代に行われた日露戦争などを調べると軍本部は捕虜に関してかなり寛容であったことがわかります。そこで「沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通」を参考にして明治から昭和初期にかけて捕虜に対する世間のイメージの変遷を見てみたいと思います。以下引用は同書からになります。

20世紀に入って最初に起きた日本の戦争は1904年に行われた日露戦争でした。この戦争を通じてロシア軍の捕虜になった日本兵は1622人でした。彼らの殆どは戦闘中の負傷により意識不明となりやむ負えない状況での捕虜でした。したがって軍は彼らに対して捕虜になったことを不可抗力として「お咎めなし」としておりました。

むしろ映画「敵中横断三百里」のモデルとなり後に陸軍中将まで昇進した建川美次少尉率いる「建川斥候隊」は隊員の1人がロシア軍の捕虜になったにも関わらず斥候として敵中1200kmを走破した活躍が認められ、後に奥陸軍大将より感状を受けるなど捕虜となってもそれほど問題視されておりませんでした。少なくとも日露戦争までは、軍は捕虜に対してかなり柔軟な対応をしていたわけです。

まあ常識的に考えると戦争で負傷や死亡することと同じ様に捕虜となることは戦闘に付随して必ず発生する自然な行為です。逆にこれを問題視するのは「負傷するな」「死亡するな」と命令するのと同じことで相当無理があると思います。

軍が柔軟な対応を取る一方で捕虜になった人たちに対して厳しい態度をとった人達がいました。それは兵士の地元郷里の人達です。彼らが捕虜になった兵士らに対し「地元の恥晒し」として帰国後に迫害をしたのです。

同書の中でも「迫害に耐えかねて発狂、自殺した元捕虜も少なくはなかった」と簡潔に書かれています。さらに捕虜に対する扱いがエスカレートする決め手となる事件が昭和7年に起こります。

民衆のこういった捕虜観を決定づけたのが、昭和七年の空閑少佐の自決である。第一次上海事変で歩兵大隊長として出征した空閑少佐は重傷を負って人事不省のまま中国軍に捕われたが、送還後 「部下に対して相済まぬ」という悲痛な遺書を残して、戦死した連隊長の墓標近くで自決した。この自決は国民の感動を呼び、映画化され、芝居にもなった。

こういった一連の流れを受け昭和初期以降、急速に「捕虜は恥」というイメージが国民全体の一致した価値観になっていきます。そしてその最終段階が昭和16年の「生きて虜囚の辱を受けず」という戦陣訓へと繋がるわけです。

特に昭和初期、1930年以降急速に捕虜に対しての風当たりが強くなっていったのだそうです。

以上が戦前の捕虜に関する偏見と世間のイメージの話になります。

現在のコロナとの比較

それでは現在に戻って捕虜とコロナ患者の比較をしてみましょう。

岩手県ではコロナ患者に対して達増知事が「第1号になっても県はその人を責めません」と表明しています。これは軍が捕虜を当初問題視していなかったのと同様です。

その一方で「絶対帰るな」「第1号だと生きていけない」という新聞記事があるように岩手県民の間では「コロナに感染したら無事では済まない」という共通認識があるようです。

これは捕虜となり帰郷した兵士が地元で迫害を受けたのと同様の行為だと思われます。暴走する市民に対して政府や自治体が必死に冷静さを呼び掛ける状況です。

私は最初に捕虜の話を読んだときに「本当かな~」と半信半疑に思ったのですが今回のコロナの状況を踏まえてみると「ありえないことじゃないな。いやむしろこっちが正解だな」と思うようになりました。

こういった実際に起きた現実の話を参考にして戦前の話を振り返り比較してみると「現実と嘘」「現実と想像していたイメージのギャップ」といったものを認識できるのでないかと思います。

◆結び

今回のコロナでの一連の騒動をみると、敗戦により多くの戦前の悪しき制度や風習などを廃止してきたにも関わらず未だに変わらずに残り続けているものがあるんだということを再認識させられました。

戦前の「欲しがりません勝つまでは」ではないですが、日本人には国民全体がある種一つのスローガンの元に一致団結できる素晴らしさがあります。東日本大震災の際にも見せたこの団結力は日本の強みであり美徳でもあると思います。

その一方でコロナに感染した人達を差別したり、マスクをしていない人達を「非国民」ではないですが、まるで犯罪者のように扱う凄まじい同調圧力があることも事実です。

アメリカやドイツでは「マスクなんていらない」といったデモが起きています。マスクをしないのは個人的に完全に馬鹿げてると思いますが、それとは別にある種「自由な意見を言える雰囲気」があるわけです。逆に日本ではある一定の空気や雰囲気が一度でも出来てしまうとそれに反する行動は暗黙の了解で完全に禁止されてしまいます。ある種の言論封鎖ですよね。

今現在の状況で例えるなら「自粛警察」という言葉があるように過度の他人への干渉が該当するのではないかと思います。

こういった騒動の中で他国と比較することで日頃わかりにくい自分達の長所や短所を見つめ直す良い機会になるのではないでしょうか。


(おまけ)

同じ書籍内に軍人は第一次大戦後に非常に人気のない職業だという文章がありました。我々は戦前の軍隊といえば日清・日露戦争から太平洋戦争まで一貫して軍人、特に陸軍が威張り散らしていたというイメージを持ってるかと思います。

しかし、1920年代は第一次大戦が終結し世界的に反戦ムードが漂います。日本でも軍人ではなく政治家による大正デモクラシーが行われていた時代でありました。軍人が軍服で電車に乗ると「税金泥棒」などと言われていたのだそうです。(証拠:陸軍士官学校志願者数 大正6年 3926人→同9年 1482人と激減)

この辺も勝手に自分が持っていた先入観と違って驚いたりしました。

『参考文献』

「沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通」

 

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