(シュメール・現在のイラクに位置した)
歴史はシュメールに始まるといわれております。
このシュメールとは何かというと、現在のイラクにあったメソポタミア文明の初期の国家のことです。つまり人類の歴史とはメソポタミア文明の開始と共に始まり、そのメソポタミア文明の先陣を切った都市国家がシュメールだということです。
さて、このメソポタミア文明はギリシア語で「川と川の間」という意味を持っていますが、この川というのはティグリス、ユーフラテスの大河であることは言うまでもありません。
この大河に挟まれた肥沃な土地に、いち早くシュメール人は目をつけ文明を築きます。とりわけシュメール人は両大河の下流部に都市国家を建設しました。
このシュメール人がどこから来て彼の地に定住したのかですが、実はよくわかっておりません。シュメールの後の国家や近隣の民族はセム語という言語体系を使用しておりますが、シュメール語はそれに所属してないのです。
「民族や言語系統の不明なシュメール人が突然メソポタミア下流域に出現し高度な文明を築いた」という何ともミステリアスな話となっております。シュメール人の遺骨などが残っていればDNA検査などができれば人種的にわかるので大変面白いのですけれども・・・。
(シュメール人、確かにどの民族か出自不明っぽい)
さて、このシュメールは人類最初の都市国家という文明を築いたのであり様々な発明をしております。一番の発明は「文字」の発明であったでしょう。
楔形文字という非常にユニークな文字を多数の粘土板に書き残した物が残っており、シュメールの人々の生活がどのようなものであったのか、数千年を経た現在でも私達がそれを手がかりに知ることができます。
この楔形文字で書かれた人類最古の物語が「ギルガメシュ叙事詩」です。物語の内容は森の木の守り神であるフンババを退治したり、永遠の生命を求めに行く話など神話にある典型的な英雄譚です。こういった物語を含む記録が膨大な数の粘土板に保存されておりました。
(この様な粘土板に文字が書かれた)
この楔形文字の研究を「アッシリア学」というのですが、1849年にイギリス人のレヤードによって、紀元前7世紀に建てられた「アッシュールバニパルの図書館(ニネヴェ図書館)」が発見され、2万枚以上にも及ぶ粘土板が発見されたことにより飛躍的に進歩します。
発見された粘土板は大英博物館に運ばれ解読作業が進められたのですが、その後驚くべき事実が判明します。解読された粘土板にはなんと、旧約聖書の「ノアの箱船」で有名な大洪水の話が書かれていたのです。つまりノアの箱船の元ネタ話が発見されたのです。
神から授けられた旧約聖書のノアの方舟の洪水伝説が、ほぼパクリであったことは西洋国家にとっては衝撃であったことでしょう。このノアの箱船だけでなく、他にも「バベルの塔」の話なども、シュメールの神殿遺跡である「ジッグラト」がバベルの塔の元ネタであると考えられております。
(天高く神の怒りをかったバベルの塔の想像図)
(バベルの塔のオリジナルである巨大神殿「ジッグラド」)
楔形文字以外にもシュメールは多くの先進技術の発明をしており、灌漑設備を作った大規模農業を行い、そこで西アジア原産である小麦の栽培を行っております。また、牛や羊などの牧畜もシュメールが人類で最初に始めたと考えられております。
また、車輪やろくろなどの技術やビールなどのアルコールなどもシュメールによってもたらされたものです。
これらの中でも元来、野生の原種であった小麦をより収穫できるように品種改良したり、また家畜化されていない野生のムフロンを飼育しやすい家畜の羊へと交配させていったことは人類の初期段階の農業と牧畜の開始として捉えていいことだと思います。
シュメール文明はその後他のメソポタミア文明の都市国家に滅ぼされたのですが、その遺産は偉大なその文字と共に残り、シュメール滅亡後もメソポタミア地方 では中世のラテン語や漢語と同じようにその地域圏の共通語として用いられました。
そして、メソポタミアの西方地域がその後、ヘレニズム文化となりギリシア 文化と融合していったことで、聖書のオリジナル話の様に、今日の多くの西洋文明の土台として有形・無形の形で様々な影響力を行使していくことになったので す。
(2010/08)