アメリカの西部開拓史を語る上で欠かせない言葉が「マニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)」と「フロンティア・スピリッツ(Frontier Spirit)」の2つの言葉です。それぞれ日本語に訳すと「明白な運命」と「開拓者精神」と翻訳することができますが、今回はその中から「マニフェスト・デスティニー」についてごく簡単に説明してみたいと思います。
★マニフェスト・デスティニー
日本語にすると「明白な運命」というぐらいですから一体アメリカ人のどんな運命なのでしょう。この言葉が最初に登場した場面を見てみたいと思います。
この言葉は、ジョン・オサリヴァンという人物が1845年に発行した「デモクラティック・レビュー」という雑誌で最初に使ったのが始まりです。当時、メキシコから独立したテキサス共和国をアメリカに併合する根拠として「マニフェスト・デスティニー」という語を用いて併合を支持しております。これが最初にこの言葉が使われた瞬間です。
オサリヴァンはその中で
自由と自治政府とからなる連邦という偉大な実験を進展させるために、神が与え給うたこの大陸全体を、覆いつくし、所有するのは、われわれの明白な運命(マニフェスト=デスティニー)がさだめる権利なのである。
と述べております。ちょっと難しい抽象的な表現ですね。もっとざっくばらんに中学生でもわかる言葉で説明すれば
『アメリカが西に向かって領土を拡張するとメキシコとかインディアンとかそこに住んでる住民がいますよね。それ侵略になっちゃいませんか?正義の国であるアメリカが侵略しても大丈夫?それっていいの?と思うかもしれませんよね。
でもね、アメリカは領土を拡大しても全然問題無いです。ていうか、むしろどんどん拡張しちゃってOKなんです。というのもね、領土を拡大するのは神様からのお導きであって正しいことなんですよ。』
と言えるかと思います。つまり「アメリカが領土を拡大していくのは神からの使命である」ということです。領土拡張の正当化に使われた非常に都合のよい言葉ですね。
(アメリカの進歩 (1872) 東側から電線と鉄道を連れた女神が、インディアン達を西に追いやる。マニフェスト・デスティニーを絵画化したもの)
アメリカは1803年のルイジアナの購入以降、膨張という言葉がピッタリなぐらい半端ない勢いで領土を拡張していきます。領土を拡張するといっても問題があります。当たり前ですが、新しく獲得する領土にはすでに住んでいる人がいるわけです。
ルイジアナやフロリダの様に土地を他国から購入する場合なら正式に譲渡されるわけですから問題無いですが、それ以外の場合は既に住んでいる住民達から土地をむりやり強奪するわけですからやはり内心「これでいいのかな?」と心の中で思ったりするわけです。
とりわけ、原住民であるインディアンを強制的に排除するわけで、やはり心の中にわだかまりがあるわけです。
その心のモヤモヤをすっきり解消させ人々を納得させたのがこのマニフェスト・デスティニーでありました。あたかもキリスト教の予定説でもあるかの様に「合衆国の膨張は元々神によって約束されたものである」という表現を使い人々の不安を和らげたわけです。
それではなぜ、この様な理念が必要だったのでしょう。大きく分けて2つほど理由が考えらます。1つは、当時は爆発的に移民が押し寄せており人口の増加から彼らに新しく移住する土地が必要であったこと。そして新しく獲得した土地を所有する正当化が必要であったこと。
そして2つ目は革命思想の輸出ではないですが、市民革命によって達成されたアメリカ合衆国の民主主義の素晴らしさを多くの人と共有したい。大げさに言えば世界中にこの素晴らしいアメリカ合衆国の政治システムを広めたい!という政治思想の優位性に基づくものでありました。
このマニフェスト・デスティニーの理念はその後アメリカ領を西へ西へと拡大し、新たに拡大する土地が無くなると、今度はアメリカ大陸のみならずハワイやフィリピンへと海外領土の拡張の際に使われたりもする厄介な言葉となります。
とりわけアメリカ式の民主主義という政治体制は世界中の国々が採用すべきであるという絶対的な自信を持ちあわせており、現代においてもなおアメリカ式の民主主義を他国へ輸出しようと試みております。
これはある種信仰と言っても過言ではなく「アメリカとは何か」において以下の様に語られております。
アメリカの政治制度の優越性の信念についていていえば、その信念の表明の事例はあまりに多い。例えば決して偏狭な愛国者でなかったエマソンも、アメリカの憲法をさして「世界の希望」と呼び、ダニエル・ウェブスターも、アメリカ憲法を「十全にして完全」と呼んでいる。
(中略)そうした発想に基づいて、アメリカ合衆国の膨張やアメリカ合衆国による他国への干渉は、そうした普遍的なものの他国における顕在化であり、またそのための「教育」なのであるとして正当化されてくる。
国家として常に拡大と成長を続けてきたアメリカはこれまで大きな挫折を経験することなく世界最大の国家になりました。そしてこれまで挫折を経験してないことが、更にアメリカに自分達の理念が間違っていないと確信させる裏付けにもなってきました。
今後国家として大きな挫折を経験することがあれば、その時に初めて「アメリカこそ最高の国家である」という絶対的な教義を見直すことができるのかもしれません。