不完全燃焼だった陸軍
太平洋戦争は文字通り太平洋の小島をめぐっての戦いだったので戦いの主役は海軍であった。したがって陸軍は海軍に従う形で渋々対米戦に突入した。
開戦後の陸軍はマレー半島上陸からフィリピン占領まで華々しい活躍を見せた。しかしあくまで陸軍の仮想敵国はソ連を含めた大陸であった。そのため東南アジアの国々を無事に占領し終えると虎の子の精鋭部隊を満州や中国本土へと続々と引き上げ始めた。
ミッドウェー海戦やガ島をめぐるソロモン諸島での戦いに敗北すると慌てた陸軍は米軍の反攻に備え太平洋の島々に守備隊を急遽派遣して防衛力の強化に務めた。そして大本営はフィリピンを太平洋戦争の天王山である考え「比島決戦」と称して全力で迎え撃つ準備に取り掛かった。
しかし実際には米軍の反撃速度が予想より早すぎた為マリアナ諸島を含めた南洋諸島では殆どまともな迎撃戦を展開することができなかった。また要塞化されたラバウル(守備隊7万人)や連合艦隊の中心地であったトラック(4万人)は「飛び石作戦」によって攻略されることなく無視される始末であった。
絶対国防圏の中核であったサイパン島ですら1944年3月の時点で視察に訪れた将校が「サイパン島の防衛力はほぼない」と報告するぐらいの無防備の状態であった。そしてその3ヶ月後に米軍が上陸した際には未だに物資が野ざらしにされたままの山積みの状況であった。まさに「遭遇戦」であった。
一方、決戦の地であるフィリピンではマレーの虎こと山下大将が短い期間ながらも大急ぎで「決戦」の準備をしつつ米軍の上陸を待ち構えていた。しかし海軍による台湾沖航空戦の「誤報」が運命を大きく左右した。
米機動部隊が大損害を受けたと勘違いした参謀本部は現地軍の意向を無視して決戦場所をルソン島からレイテ島へと強制的に変更してしまった。これによりルソン決戦を意図していた現地軍は計画の大きな修正を余儀なくされた。
またフィリピンへの増援に台湾の部隊を送ったため、その穴埋めに沖縄にいた最精鋭部隊の第9師団を台湾に移動させることとなった。沖縄ではこの第9師団を中核として防衛計画を立てており、第9師団の抽出は戦力の低下のみならず防衛戦略を「米軍撃退」から「本土決戦への時間稼ぎ」へと根本から変更させることになった。
この様な後手後手に回った絶望的な状況下でもある程度迎撃準備が整った硫黄島や沖縄では予想以上の損害を米軍に与えることに成功した。そのため陸軍内部でも「もし比島や沖縄で万全な状態で米軍と戦えていたら・・・」という忸怩たる思いがあった。
軍主力を大陸に残した陸軍
陸軍には戦争中に主戦力を米軍に振り向けられないというジレンマがあった。日本軍の総兵力は「根こそぎ動員」によって最終的に400万近い数字となったが、ぞれ以前の戦争中の陸軍の総兵力は約300万人であり以下のような内訳であった。
・支那大陸(中国)105万
・満州(ソ連)57万
・太平洋戦域(米英豪)107万
・本土(日本) 47万人
このように陸軍は総兵力の半数である150万人以上を大陸に割いており皇国の興廃を賭けた対米戦において陸軍は全力を出したとは言えない状況であった。
言ってみれば満州国境沿いのソ連を最大の軍事的脅威として常に警戒しつつ泥沼化した支那事変を大陸で戦い、その合間に海軍が始めた対米戦を手伝うという片手間での戦争であった。
更に米国相手に太平洋に派遣した精鋭部隊の中でもラバウルに7万人、トラックに4万人と飛び石作戦によって遊兵化した部隊も多く実際に米軍と交戦せずに無駄となった戦力も多かった。
参謀本部としてもこの様な規模の戦争になるのであれば、せめて国民党政府と和平を結び大陸本土から兵を引き上げて対米線に全戦力を集中するなど他にいくらでもやりようがあったと悔やむことも多かった。
本土決戦への想い
太平洋諸島での遭遇戦、フィリピン・沖縄での直前での防衛計画の変更など万全な状態で米軍との決戦に臨めなかった。また沖縄を除けば外地で戦いのため現地民の協力なども得られない状況であった。その上制海権を奪われていたので物資の補給も満足に受けられず陣地の構築もままならない中での苦しい戦いであった。
もし本土での決戦であれば住民を含めた地の利が活かせるうえ、補給の心配もなく決戦用に準備された虎の子の物資も使用することができた。本土決戦の為に硫黄島や沖縄などの激戦地に送ることなく温存してきた小銃200万丁・機関銃18万丁・大砲5万門・戦車5000両もの兵器で米軍を迎え撃つ準備を整えることができた。
また45年の3月以降は疾風や紫電改などの新鋭機に搭乗する貴重なベテランパイロットをB29の迎撃に出撃させず温存するなどして数千機の特攻機のみならず彼らを護衛する新鋭機部隊も準備することができた。軍務局軍事課長の荒尾大佐は本土決戦への意気込みを述べた。
「開戦以来、南方各地で敗れたのは一部の現地軍部隊に過ぎない。吾が主力をもって決戦の機会を求めずに敗北を認めるのはもってのほかだ。もし降伏を認めるなら内地のみならず大陸において連戦連勝をしている支那派遣軍が激昂し混乱状態になるだろう。敵の本土上陸の機会を求めて一大打撃を与え、然る後により良い条件のもとに和平に応ずるべきである」
これが本土上陸を予定されていた中で大本営幕僚にいた人達の大方の意見を集約したものだと言えた。勝てるとは誰も思っていない。ただ最後の最後に一花咲かせてて米軍の鼻を明かしてやろうという意気込みであった。
真珠湾奇襲で華々しい成果をあげミッドウェーやマリアナでの空母戦、レイテでの戦艦部隊の突撃、沖縄への大和の単独特攻。勝敗は別にして海軍は米軍相手に全力を出し切った感はあった。
その一方で参謀本部の中に玉音放送を聞きながら不完全燃焼のまま敗戦を迎えたという気持ちをもった人達が一定数いたのである。