◆真珠湾攻撃が卑怯な騙し討ちと言われるのは
真珠湾奇襲作戦シリーズですが色々な話題を扱ってきた影響でかなりマニアックな内容も取り扱うようになってまいりました。さて今回は最後通牒に関してです。
真珠湾攻撃は事前に宣戦布告をすることなしに完全な奇襲攻撃となったため、攻撃後にアメリカから国際法違反の「卑怯な騙し討ち」というレッテルを貼られしまいます。
ただ日本としてはその様は騙し討ちの意図は当然なく、本来の予定では野村大使が開戦30分前にハル国務長官に提出しようとした「対米通牒覚書」と呼ばれる文書がありました。
今回は歴史の if ではないですがもしこの「対米通牒覚書」が無事時間通りにハル国務長官に手渡されていたら、はたして奇襲攻撃が「卑怯な騙し討ち」というレッテルを貼られていたのかどうかを検証してみたいと思います。
◆対米通牒覚書はそもそも最後通牒ではない
この対米通牒覚書は最後通牒を告知した内容であると一般的には思われていますが、実際に文面を読めば誰もが「う~ん、これは現在行われている日米交渉の打ち切りであって俗に言う最後通牒の内容とは少し違うぞ」と思うような内容です。以下は原文の最後の部分です。
ここに合衆国政府の態度に鑑み、今後交渉を継続するも妥結にするを得ずと認むる外なき旨を、合衆国政府に通告するを遺憾とするものなり
高校生でも分かるように意訳すると「米国政府の態度を見る限りこのまま交渉を続けてもお互いに合意(妥結)する見込みがありません。(ですから交渉をこれで打ち切らせてもらいます)このことを米国政府に通告するのは大変残念に思います」という内容です。
外務省は立場的に「日米交渉の打ち切り=最後通牒」と解釈していたようですが、実際にはそのように考えていない人は国内外に大勢いました。
例えば通告文の内容を知った海軍の岡敬純軍務局長は文章の末尾を「帝国は必要と認むる行動の自由を保留する」と更に明確な表現に変更するように提案しました。これは最後通牒を意味する自由行動といった表現を用いているので誰が読んでも間違いなく最後通牒だと理解されます。岡軍務局長は曖昧な表現であったことを懸念したのでしょう。
ハル長官に対して覚書を提出したワシントンの野村大使自身もこれが最後通牒を意味するものだとは思っていなかったようです。そもそも東京の外務省とワシントンの大使館との間にも逼迫した日米関係に関して温度差があったようです。在米大使や職員もこれが最後通牒であると認識していたならば真珠湾奇襲後に提出せずにもっと別の対応をした可能性が指摘されております。
提出が遅れたのは解読した暗号文を清書をしていたからなのですが、覚書を受け取ったハル自身も「もし時間に間に合わないのであれば最重要である第14部だけを清書して手渡し、残りの13部は後で持ってきますと言えば良かった」と述べています。
実際多くの研究者が提出が遅れたことに対して、清書が間に合わないのであれば重要な案件だけを野村大使が口頭で伝えて「正式な文書はあとで提出します」とするなり他に方法はいかようにも方法があったはずだ・・・と苦言を呈しております。ハルの提案に似ていますね。
大切なのは「時間通りに最後通牒を伝えること」であり書面などの形式を気にしている場合ではないという感じです。逆に言うと現地の大使館の判断では「そこまで時間を厳守する必要性がない」「1時間ぐらい通達が遅れても特に問題ない」と判断するような内容や表現であったといえるかと思います。
もし覚書が現地の大使館も誤解するような曖昧な内容ではなく第14部の末尾に「自由行動」といった言葉が用いられていれば大使館の内部が「これは戦争だ!」と大慌てになり時間厳守が守られていたかもしれません。
なお開戦の通告はハル国務長官に手渡す方法の他にも確実性を重視して「東京の東郷外相がグルー駐日米国大使に直接手渡す」などいくつかのルートが考えられていたようですが、最終的に「ワシントンの野村大使→ハル国務長官」というルートに落ち着いたようです。今考えると両方採用すればよかったと思います。
注:宣戦布告は相手に手渡さなくてもテレビやラジオの国際放送で相手国に対して「これから戦争をします」と伝えてもOKです。実際ヒトラーはラジオで「アメリカ合衆國と英國とに対する戰ひを開始するの止むなきに至つたのである」と対米宣戦布告をしました。
(一千年の歷史を作らん・ヒトラー總統の對米宣戰布吿大演說)
◆アメリカ側の覚書の受け止め方
それではこの覚書を受け取ったアメリカ側はどう認識したのでしょうか。ルーズベルト大統領は翌日の議会で俗に言う恥辱の日の演説をした際に
「攻撃後に日本の大使から書簡を受け取ったがそこには現在の外交交渉を打ち切るといった内容であり武力行使や戦争の脅威を明示するような内容は含まれていなかった (no threat or hint of war or of armed attack)」
と述べております。
この覚書は実は米情報部によって暗号が解読され野村大使がハル長官に提出する以前にアメリカ側は内容を把握しておりました。この暗号が筒抜けだったエピソードは有名なので知っている方も多いと思います。それではパープルというコードネームで呼ばれたこの解読文を読んだ情報部はどのように内容を受け止めたのでしょうか。
情報部内ではスタッフによって解釈が分かれたそうです。例えば「午後1時」という指定時刻に対してサフォード大佐は「日本側の奇襲攻撃の時間かもしれない」と解釈しました。その一方で「いやこれは覚書の提出時刻ではないのか」とスタッフによって明確に断定することができなかったようです。(正解は覚書の提出時刻です)
ただし付属の暗号文に「残った暗号機やコードブックを破壊せよ」という内容があったためスタッフの誰もが「これは戦争を意味するのでは・・・」と思ったそうです。ただこれは追加の付属の暗号文のお陰なので覚書単独で最後通牒なのかどうかを明確に断定できなかったのは間違いないようです。
◆なぜ曖昧な表現になったのか
以上の説明を踏まえて何が言いたかったかというと、もし日本側が対米通牒覚書を時間通りに遅れずに提出していたとしても恐らく最後通牒を通告したことにならなかったであろうということです。
先程述べたルーズベルトの翌日の議会演説を見ても分かりますがアメリカ人に対してあれを最後通牒だと認識させるのはちょっと無理筋だと思いますね。「日米交渉が完全に決裂して両国が今後戦争に向かっていくのがほぼ確定したよね。さて戦争の本格的な準備を始めないと・・・・」と思わせるのが精々な内容だと思います。
個人的に思うのは「だったら提出しない方がマシ」だということです。出すなら明確に最後通牒だと理解できる文面にする。曖昧だったら逆に色々と揉める懸念材料になるので潔く出さないほうが良かったと思います。それこそ「現在我が国と米国が戦争状態であること確認する」ぐらいの表現を入れても良かったと思います。
昭和天皇や山本五十六長官があれほどこだわった事前の宣戦布告(最後通牒)がなぜこのように曖昧な表現となってしまったのか。それは真珠湾攻撃を100%成功させるために外務省に対して圧力を掛けてきた山本長官以外の海軍(軍令部等)の影響です。彼らの圧力に屈した外務省が「最後通牒と取れなくもない」という玉虫色の内容に文面を変更したのです。
しかし繰り返しますが中途半端な対応は「事前通告をしないことは国際法違反になることを認識しています。しかし奇襲をどうしても成功させたいので曖昧な表現を用いて明確に最後通牒だと認識されないように誤魔化します」とむしろ誰にとっても印象が悪い最悪の選択をしているのではないのかと個人的に思います。
東郷外相の様に「自衛戦争の場合は国際ルールで宣戦布告をする必要がないことは認められている。そしてこの戦争は日本の生存を掛けた自衛戦争であって侵略戦争ではない。したがって事前に宣戦布告や最後通牒をする必要はない」ぐらいの毅然とした態度をした方がマシだったと思います。
なお最後通牒を起草した加瀬俊一北米課長は対米通牒覚書の他に事前にもっと明確な形で宣戦布告を明示した文章を作成したと言われております。加瀬氏は既に亡くなってしまったので真相は闇の中ですが今もひっそりと機密扱いのまま外務省の奥に眠っているのかもしれません。