「ミリンダ王の問い」というものがあります。ミリンダ王とは誰かというと紀元前2世紀のインドの王様です。この時代、実はインドの西北地域(パキスタンやアフガニスタンを含む)の王様はギリシア人でした。
何故インドにギリシア人の王がいるかというと、時の英雄であったアレキサンダー大王が東征をした結果、ペルシャを滅ぼし史上空前の大帝国を建設します。彼の大帝国は死と共に消滅したのですが、その領土は彼の有力な部下によって分割され統治されました。
大王の部下といえば、当然ギリシア人です。例えばクレオパトラで有名なエジプトはアレキサンダーが王になった後、部下であったプトレマイオスがそのままファラオに就きます。したがって、クレオパトラ時代のプトレマイオス朝は人種的にはギリシア人の王様が治めているわけです。
同じようにアレクサンダー大王がインドまで遠征した影響から、当時いくつかのインドの王はギリシア人が王位に就いていました。
「ミリンダの問い」とはそのギリシア人の王がインド人であるナーガセーナと対話したお話です。ナーガセーナ(那先比丘)は仏教の長老でもあり、知識人であったギリシア人の王と同じく仏教徒として知を極めたインド人のナーガセーナによる東洋と西洋の思想の出会いの場としても有名なお話です。その対話が書簡として『弥蘭王問経』あるいは『那先比丘経』という名で収められています。
wikiの表現を借りるのであれば「観念的な知性としては東洋と西洋の最高峰と言える2人による、一種の頂上対決。」となっております。
さて、仏教は釈迦の誕生以来、教えを各地に広めたのですが、現在のパキスタンやアフガニスタンを含めた西北インドまで当時釈迦の教えは広まってきました。そして、この地には説明したとおり、ギリシア系の王によって治められていた土地も少なくなかったのです。
(中国や日本にはガンダーラからシルクロード経由で伝来)
ここで仏教の西洋との出会いがおきます。正確に言えば、仏教とギリシア文化の出会いです。
皆さんはギリシア文化というと何を思い出すでしょうか。プラトンやアリストテレスといった哲学もそうですが、代表的なものに彫刻などの美術も挙げられると思います。ルーブル美術館のミロのビーナスなどはその典型的な代表例ですね。
(ルーブルの至宝・腕がないことが作品をより魅力的にさせた)
仏教がギリシア文化と出会った時、まさにこのギリシア彫刻の洗礼を受けました。その結果、仏教に彫刻が、つまり仏像が重要視されるようになります。例えばタリバンによって破壊されたアフガニスタンにあるバーミアンの巨大な石仏等はその好例と言えるでしょう。そもそも仏像といったものは、仏教では大して重要視されていなかったのですが、これ以降に北西インドを通じて仏教が伝来した中国や日本などの地域では仏像などが盛んに用いられております。
ギリシア彫刻の特徴としては西洋人がモデルですから当たり前ですが、鼻筋が整った特徴的な顔つきをしております。日本の広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像などもそうですね。
(弥勒菩薩像・広隆寺蔵)
言ってみれば日本の東大寺の大仏も、弥勒菩薩像も元を正せばミロのヴィーナスの親戚だと思うと、世界とは何と小さいものかなと思ってしまいます。
おしまい(2010/08)