アメリカは18世紀に独立を果たしたのですが、実はアメリカ大陸は広大すぎる土地であったために、合衆国外の西側の地域については今と違ってよくわかっておりませんでした。
もちろん、西の果てには最終的に太平洋に出るということはわかっていたのですが、その中間の地帯がどのような土地であるのかはよくわかっていませんでした。植民地の人口も少なかったために居住地が広がることもなく、また鉄道もない時代でしたので内陸への移動が河川を除けば非常に困難で険しいこともその原因でした。
そして何より内陸部の地域はフランスが植民地の権利を持っており太陽王ことルイ14世にちなんで「ルイジアナ」と呼ばれていました。地図でいえば赤い地域が現在のルイジアナ州になります。
アメリカが独立した直後、フランスでも同じように革命が起きナポレオンが権力を握り皇帝になります。そしてイギリス相手に大陸封鎖を含めた戦争を始めたので様々な要因から海外の植民地経営が困難になってきました。
その為、ミシシッピ川の河口であるルイジアナの町を含めたフランスの植民地を1803年に合衆国に格安で売り飛ばすことになりました。
これだけですと大したことがない話と思われますが、実はルイジアナはアパラチア山脈以降の西側アメリカ地域一体を示す言葉でしたので現在のルイジアナ州とは違っておりました。これが実際に売り渡されたルイジアナの領土です。
(地図の中央の緑色の部分です)
大体現在のアメリカの国土の3分の1位から4分の1ぐらいを占める膨大な土地になります。イギリスの植民地と言ってもカナダが最終的にアメリカに併合されることなく最終的に独立国になったことを考えればこの地域もフランスの植民地として最後までフランス文化を残す土地として存在し、最終的にフランス語を公用語とする独立国になる可能性も十分にあったのです。
そうであれば、アメリカは東海岸と五大湖周辺の地域を国土を持つキリスト教の影響が強い国家となっていた可能性もあり、工業に特化した国家となっていたことでしょう。そして北米地域は幾つかの国家(カナダ・東海岸アメリカ・ルイジアナ独立国・カリフォルニア・テキサスを含む巨大メキシコ)で構成されてEUの様な北米連合を形成していた可能性も十分にありえたはずです。