この投稿の要約
史実では一度きりであった真珠湾への奇襲攻撃ですが再攻撃が必要であったかどうかを当日に参加した人々の声を参考にして検証してみたいと思います。また再攻撃をしたら戦争全体にその影響がどのように広がっていったのかも考えてみたいと思います
再攻撃をすべきかどうか
真珠湾攻撃の際に機動部隊は真珠湾を再攻撃をせずに日本へと引き返してきました。そのため歴史のifとして「南雲艦隊は再攻撃を行うべきであったのか」「もし実際に再攻撃をしていたらどうなっていたのか」という議論を度々目にします。
そこで今回は南雲艦隊は再攻撃を行うべきだったかどうかの是非について考えてみたいと思います。そして再攻撃をもし実施したならば攻撃目標となったと予想される石油タンクや海軍工廠への被害や有効性なども検証してみたいと思います。
なお再攻撃と第二次攻撃という表現がありますがここでは両方を同じ意味で扱います。また一度の攻撃で航空隊は発艦の関係上二回に分けて出撃するので第一次攻撃が第一波と第二波となり再攻撃の際は第三波、第四波となります。
そして混乱を避けるために第二次攻撃というワードをなるべく使用せず今後は再攻撃を優先して使用します。
攻撃参加者の声
それではまず最初に真珠湾攻撃後の日米両国の軍人たちの証言を紹介したいと思います。主にピックアップしたのは攻撃直後の艦内の声です。証言の後の()は引用先です。出典がない証言は基本的に「トラトラトラ(プランゲ)」「運命の夜明け―真珠湾攻撃全真相」から引用しています。
~日本側~
【機動部隊・第一航空艦隊】
◆司令長官・南雲忠一中将
再攻撃せずに内地へ引き上げを命令
◆参謀長・草鹿龍之介少将
(第一次空襲によってほぼ所期の目的を達成したとして)
「長官、引き上げましょう」
◆主席参謀・大石保中佐
淵田中佐の攻撃報告に対して敵からの反撃を危惧
◆航空甲参謀・源田実中佐
司令部で空母直掩とハワイ制空で零戦隊が分散されることに対して意見を求められ「空母の上空直掩とオワフ島の制空権の同時確保のためにオワフ島50海里まで接近して戦闘機が両方カバーできるようにする」
*注:本人の希望として「ハワイ近海に数日とどまって真珠湾基地を壊滅し、打ち漏らした米空母を殲滅させる」(『真珠湾作戦回顧録』など多数)
◆赤城飛行長・淵田美津雄中佐
南雲長官に向かって「多少の損害は蒙っている模様ですが、再攻撃の要があると思います。(中略)第三波の攻撃で戦艦と他の艦艇を攻撃して第四波で海軍工廠の修理施設をぶち壊すことです。とにかく目標には事欠きません」
(その後再攻撃せずに引き返すと聞き)「何を阿呆な」と憤る (『真珠湾の真相』など多数)
*注:源田&淵田コンビは南雲&草加の二人と攻撃前日まで再三の打ち合わせをしており彼らが第二次攻撃をしない腹づもりだと事前に分かっていたので攻撃後に報告だけにとどまり無理に再攻撃の主張をしなかった(諦めていた)
*注2:源田&淵田の発言は資料によりコロコロ変わりますが「このまま攻撃を続行しましょう」という主張は一貫しています。(例→「再攻撃を進言した or 諦めて無理に進言しなかった」と発言は真逆ですがいずれにせよ攻撃続行を希望しています)
◆ 第二航空戦隊司令官・山口多聞少将
「ワレ、第二出撃準備完了ス」(単に業務連絡だという意見あり、業務連絡だけどそれを利用して攻撃を促す手段にしたという意見もあり)
(蒼龍の艦内では大戦果に沸き立ち第二航空戦隊の参謀や搭乗員らが再攻撃を渋る司令部に対して意見具申をしようと大いに盛り上がった。その際に南雲の性格を考慮して)「南雲さんはやらないよ」
翌日に無線傍受の結果米空母が付近で行動中だと判明すると敵空母を捜索して撃沈することを司令部に意見具申
◆第五航空戦隊
首席参謀・大橋恭三中佐
「南雲長官はおそらく再攻撃をしないだろう」(ハワイの陸上長距離爆撃機の反撃を危惧し)「もう少し情勢が判明するまで次の攻撃をかけるべきではない」
◆第三戦隊
司令官・三川軍一中将
南雲司令長官に対して再攻撃の意見具申を行う(三川中将が司令部に再攻撃を要望したのは有名な話)
◆加賀艦長・岡田次作大佐
(攻撃を続行しようと艦上作業を続けながら)アメリカの航空母艦が洋上をうろついていても日本は6隻で相手は2隻、日本のパイロットは絶対に負けはしない。恐れるに足りず。
【搭乗員】
◆赤城・制空隊指揮官・進藤三郎大尉
「南雲中将が第三次攻撃は中止するという。それを聞いて、正直なところホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが……」
◆加賀・飛行長・佐田直大中佐
「搭乗員の多くは攻撃を続行しようとし、もし彼らの意見に同意しなかったならばきっと殴られたに違いない」
制空隊・志賀淑雄大尉
帰艦後に山本一飛曹にむけて「早く飯を食え。また飛ばないといけないからな」(零戦・七人のサムライ)
戦後に「ドックなどの港湾施設や燃料タンクを攻撃しなかったのには、いまでも悔いが残ります」(太平洋戦争秘史・戦士たちの遺言)
雷撃隊・吉野治男一等飛行兵曹
帰艦後に「なんだ、やらんのかという。おかしいな」
◆飛龍・飛行長・天谷孝久中佐
(洋上にいる敵空母の所在を気にして)「まず偵察を出しその報告の後に第二次攻撃隊を発進させるべきだ」
◆蒼龍・急降下爆撃隊・江草隆繁少佐
(公務に関して日頃から一切話さず真珠湾に参加したことも同期の夫人から聞いた妻に対して)「敵の本拠地をたたかないで終わったよ」と残念そうに語る(艦爆隊長江草隆繁)
◆瑞鶴 瑞鶴は「勇者の海・空母瑞鶴の生涯」からも抜粋
飛行長・下田久夫中佐(搭乗員の多くは彼に戦果を報告した)
(相手はすでに我ら機動部隊の位置を知っているであろうから)敵空母の位置が分からないのに再攻撃を加えるのは危険
(戦後40年を経過したインタビューでの率直な感想)「正直言って結論は出せなかった。偵察員たちが撮ってきた戦果確認の写真を拡大すると、基地に大型飛行機が大分残っているのが分かる。そしてどれだけの成果があがったのか。写真を見るだけではハッキリとわからない。」「一方で、米空母二隻は討ちもらして外洋に出ている。いつ味方機動部隊が攻撃を受けるか、それも不安だ。正直言って迷いました。」
急降下爆撃隊・江間保大尉
「当然、第二撃があるはず」
零戦隊分隊長・佐藤正夫大尉
(真っ先に下田飛行長に駆け寄り)「攻撃は大成功でしたが、再攻撃の必要があります」
横枕三飛曹
(先輩の貴志兵曹をつかまえて)「連続攻撃をやらねばなりません」「この際、敵をとことんまで叩いておかねば、彼らはかならず立ち上がってきます」
金沢飛曹長・八重樫飛曹長
(士官待機室で)八重樫「あの膨大な重油タンクをそのまま放っておいちゃいかん」
金沢「あれだけの重油を真珠湾に備蓄していると討ちもらした米空母部隊は燃料に事欠かんぞ」
水平爆撃隊・佐藤善一中尉
(真珠湾上空で)「帰艦する際に上空を見ると侵入時とあまり状況が変わってないことに気がついた。工廠やタンクはそのままだし、飛行場もまた徹底さを欠いているような気がしていた。戦果を拡大したいのならもう一度攻撃を加えるべきではないかと思った。」
(帰還後に許嫁から送られた白いマフラーを外す余裕もなく下田飛行長に駆け寄り)「再攻撃をしなければなりません」
「奇襲作戦は成功し、間違いなく大戦果です。しかし敵はまだ健在です。これを徹底的に叩き潰しておかなければなりません。」
この声は搭乗員待機室の雰囲気を代表していた。
◆翔鶴
証言見つからず
【連合艦隊】
◆司令長官・山本五十六大将
「南雲はやらんよ」
「南雲に任せたのだからあとは一任する」
◆参謀長・宇垣纏少将
「泥棒の逃げ足。(中略)自分が指揮官たりせば、此際に於て更に部下を鞭撻して戦果を拡大、真珠湾を壊滅するまで迄やる決心なり」(戦藻録)
◆首席参謀・黒島亀人大佐
「連合艦隊からの下令でハワイを再攻撃させろ」
◆連合艦隊司令部・幕僚一同(佐々木航空参謀を除く)
連合艦隊からの命令で再攻撃をさせるべきと息巻く(ただ実際に再攻撃を命じるのは南雲長官に恥をかかせることになるのでしなかった)
*幕僚で唯一反対したのが佐々木航空参謀
~米軍側~
◆ニミッツ太平洋艦隊司令長官(後任)
攻撃を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設には事実上手をつけなかった。日本軍は港内近くにある燃料タンクに貯蔵されてあった450万バレルの重油を見逃した。この燃料がなければ、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であった。(ニミッツの太平洋海戦史)
ニミッツは潜水艦がほぼ無傷だったことをその後の作戦への貢献を含めて僥倖だとしている。
◆キンメル太平洋艦隊司令長官(当時)
日本は我々の艦船を全て沈めなくても、基地を麻痺させ露天にされされていた艦隊の燃料タンクのすべてを破壊することができたはずである。それによって受ける我々の損害は実際に受けた被害より遥かに大きかったかもしれないであろう。(中略)もしそうなれば艦隊はアメリカ本土の西海岸まで帰らざるをえなかっただろ
◆サミュエル・モリソン博士
なぜ日本軍は目標を艦船にばかり区切ったのか(中略)太平洋艦隊を行動不能に陥らせようとするのならばその450万バレルの石油に火を放ち工廠を含む恒久施設を破壊したほうがより効果を拡大しただろう (太平洋戦争アメリカ海軍作戦史)
◆ゴードン・プランゲ博士 歴史学者
(再攻撃をしなかったことは)解きえない永遠の謎 (トラトラトラ)
以上が証言となります。
再攻撃を望んだ現場の声
これら現場の声を踏まえると再攻撃を支持する声が圧倒的に多いですね。基本的に反対してるのは現場の最高責任者、南雲&草加コンビと連合艦隊幕僚の佐々木航空参謀ぐらいですね。
反対と言わないまでも慎重派も若干います。慎重派の人達はその理由として行方が分からない敵空母を警戒していますね。機動部隊が米軍の哨戒機や潜水艦に既に発見されていたら前触れもなくいきなり敵機による攻撃を受けるリスクがありましたのでその気持も分かります。
ただ空母に関しては索敵をしっかりやれば敵艦載機の攻撃範囲に入る前に発見できるのと直掩のゼロ戦も最高レベルで警戒をしているのでそこまで恐れる必要はあるのかな?と個人的に思います。
証言の中にも我々は6隻で相手は2隻、もし見つかっても撃破すれば問題ない。という正々堂々とした意見もありましたので確かにビビり過ぎな部分もあります。ミッドウェー海戦では逆に索敵機に見つかっても物怖じせずにのほほんとしていたので対照的ですね。
米軍側に関しては二人の新旧太平洋艦隊司令長官の意見を要約すれば「なんで再攻撃しなかったの?もったいない・・・」というぐらい再攻撃を奨励しています。
彼らは自国側の視点から判断しており、日本人が考えている以上に石油タンクや海軍工廠の戦略的な価値を重要視しておりますね。またそれとは逆に「なるべく被害を出さずに作戦を終えたい」という日本側の立場をそこまで理解してないのでそういった意見になったのかと思います。
その他に米国側から湾内に潜水艦が浮かんでおり容易に撃沈可能な絶好の機会だったのになぜ潜水艦を沈めなかったのかという意見もあったりします。
まあ再攻撃を支持する人が圧倒的に多いのですが、実際の史実では再攻撃せずに引き上げたわけです。そこで次に再攻撃反対派の人達の立場になったと仮定して再攻撃をした場合のリスクについて考えてみたいと思います。
再攻撃を躊躇う理由
再攻撃をした場合のリスクに関してはWikipediaの「真珠湾攻撃・英語版」の記事に要点を踏まえて上手くまとめられていたのでそちらを紹介したいと思います。
真珠湾攻撃・英語版
https://en.wikipedia.org/wiki/Attack_on_Pearl_Harbor#Possible_third_wave
再攻撃の懸念事項
- 対空砲火が熾烈で第二波の攻撃では攻撃隊の被害(特に雷撃機)が続出した。そのため再度の攻撃は更に被害が拡大することが予想された。これ以上航空機や搭乗員を失うと南方作戦への支援に支障が出ると懸念された。
- 米空母の位置が不明であったために米軍の哨戒機に発見され次第攻撃される恐れがあった。また機動部隊の位置が米陸上爆撃機の行動圏内でもあった。
- 日没時刻を考慮すると再攻撃をすれば帰艦時刻が夜間になる。夜間の洋上飛行と空母への着艦は相当な技量が必要なので被害が続出する恐れがあった。
- 機動部隊は北方航路を採用したために燃料補給に関して非常にシビアな状況であった。そのためハワイ沖に長い時間留まっていられるような悠長な状況でなかった。特に駆逐艦は燃料切れで漂流する危険性があった。
という感じになります。
少し補足をすると再攻撃をすると着艦時に夜間になるのは翔鶴に貼り出された第三波の搭乗員名簿に「第三次夜間攻撃隊」と書いてあったので間違いないです。(証言・真珠湾攻撃)その他に夜間の着艦は非常にリスクが高いので現実的なのかどうか分かりませんが、再攻撃を夜間でなく翌朝にするという選択肢もあったようです。
また当日は海面が非常に荒れていたそうです。特に攻撃隊が発艦した後により一層荒れた状態となりました。戦後に源田中佐が「訓練だったら中止にするようなレベルであった」と語っています。つまり訓練中止レベルの海面の荒れに加えて高難度となる夜間着艦ですのでそれこそ予想以上に被害が続出した可能性もあります。
それと燃料補給に関しては駆逐艦の燃料切れの心配をされているようですが、実際の作戦で最後に給油をしないといけないデットラインが12月2日に設定されておりました。この日以降に海が荒れて給油ができないと艦隊は燃料切れの危険性がありました。
しかし史実では同伴したタンカーと12月7日に別れるのですが、その際に「前日の給油に続けて最後の別れということで空母だけでなく駆逐艦もたっぷりと給油ができた」と草加参謀長が述べていますので燃料切れの心配はなかったと思います。(連合艦隊参謀長の回想)
ですから艦隊は悪天候の場合、給油ができないと最悪燃料切れの危険性があったが実際は好天に恵まれたお陰でその心配がなかったというのが実情だと思います。
再攻撃をした場合のリスクに関しては以上です。続けて似たような感じになりますが機動部隊がハワイ周辺に滞在する場合のリスクを挙げてみたいと思います。この場合のリスクはずばり撃沈される危険性ですね。
機動部隊がハワイ沖に留まるリスク
- 所在不明の敵空母の攻撃に晒される危険性がある
- 敵哨戒機に発見されれば陸軍の長距離爆撃機による攻撃の恐れがある
- 敵潜水艦による攻撃の危険性がある
こちらは結果論になりますけど心配する必要がないかと思いますね。この時期の空母の航空隊は練度が低いですし、直掩機に比べたら多勢に無勢です。また敵の陸上爆撃機の爆撃や潜水艦の魚雷の命中精度は1942年であればほぼゼロであることがその後の珊瑚海やミッドウェーで判明していますし、仮に魚雷の場合は命中しても基本不発です。
ただこれは結果論で日本側もこの時期の米軍がいかに酷い状態なのかを知らないのでかなりビビっています。むしろこの後に米軍が弱いことがバレて慢心した結果ミッドウェーの大敗北へと繋がるのですが・・・・
むすび
以上日米双方の当時の参加者の証言や戦史家の意見をまとめてみました。まあ再攻撃をすれば日本側に多大な損害が出るのは目に見えていたと思います。その一方でアメリカ側の損害がそれ以上なので再攻撃をしない理由が見つからないですよね。それこそ急降下爆撃や雷撃機1機の被害で巡洋艦や潜水艦が撃沈できるのであればもの凄い戦果だと思います。
また再攻撃をせずとも空母を逃したことを気にしている参加者も多く、付近にいるであろう空母を見つけて撃沈してから戻ろうという意見や往路の北方航路でなく敵空母を発見しやすいハワイの西方の航路で戻ろうといった意見も多いです。
この様に多くの人が再攻撃を望んでいたにも関わらず「なぜ再攻撃をしなかったのか?」と一言で問われれば「現場の責任者がやりたがらなかったから」と言えるかと思います。そもそも南雲&草加のコンビはこの真珠湾攻撃に消極的でした。嫌がる二人を山本長官が口説き落として無理やり攻撃させたのです。ですから一定の戦果が出たらそれこそ宇垣少将が評した「泥棒の逃げ足」ではないですが一目散で逃げてきたのです。
本来であれば攻撃をやりたがらない二人を無理に作戦に参加させず、攻撃に乗り気な人物を司令官にすべきであったと思います。実際「小沢や大西なら違った結果であっただろう」と述べている米国側の戦史家もいます。また余談ですがその後の空母戦でも米国側から「消極性が随所にみられる」と評されています。
そういった意味ではやりたくない人に作戦をやらせたことが再攻撃をしなかった最大の理由だと思います。というかそもそも日本の趨勢を決める決戦に乗り気でない人を責任者にするのはいかがなものかと思います。私は再三にわたって人事やソフトウェアについての問題点を指摘していますがここでもそういった課題が露呈していると思います。
参加した搭乗員たちの多くはまだまだ攻撃をする必要があったと証言しているのですからそういった意味では攻撃した際のリスクを踏まえても再攻撃をすべきであったと思います。