前編では「再攻撃(第二次攻撃)をすべきか?」について攻撃に関わった人たちの当時の証言をまとめてみました。今回こちらの後編では実際に再攻撃を行った場合どうなったかを考えてみたいと思います。
再攻撃をした場合のシナリオ
再攻撃である第三波、第四波に関しては現場の責任者である淵田美津雄中佐の発言から予想することができます。
「第三波の攻撃で戦艦と他の艦艇を攻撃して第四波で海軍工廠の修理施設をぶち壊すことです。とにかく目標には事欠きません」
第一次攻撃隊では爆撃機135機・攻撃機144機、合わせて279機が最優先目標の戦艦8隻と飛行場や航空機を優先的に攻撃したためそれ以外の目標はほとんど無傷でした。
ですから淵田中佐の「とにかく目標には事欠きません」という発言や瑞鶴所属の佐藤善一中尉の「帰艦する際に上空を見ると侵入時とあまり状況が変わってないことに気がついた。工廠やタンクはそのままだし、飛行場もまた徹底さを欠いているような気がしていた」というまだ攻撃が物足りないという発言は正鵠を射ていたと思います。
再攻撃に出撃する機数は撃墜されたり被弾した機体を考慮しても急降下爆撃機と攻撃機、合わせて200機近くでの攻撃になると思います。第三波・第四波それぞれ100機ずつに加え70機近い護衛のゼロ戦が出撃することになります。
再攻撃ではまず第三波でうち漏らした戦艦以外の艦船、つまり湾内に停泊している8隻ほどの巡洋艦を撃沈させることが目標となります。そして第四波では地上施設の海軍工廠と石油タンクを攻撃して敵の基地機能を完全に壊滅させることが目標となります。石油タンクは一度炎上すると上空が黒煙で覆われ他の攻撃目標の視認が困難になるため通常では最後の最後に攻撃します。
それと第二波では雷撃機の損害が非常に多かったため最大の目標であった戦艦群が既に壊滅的な状況なこともあり、航空機のこれ以上の被害を恐れた司令部によって攻撃機はリスクの高い雷撃をせずに上空からの水平爆撃に切り替えて攻撃をする可能性があります。
一方米軍側ですが奇襲された第一次攻撃と違い今度は完全に攻撃隊を待ち構えた状態となります。ありとあらゆる対空砲が真珠湾上空に照準を合わせて待ち受けているかと思います。
予想される被害・日本
本来ならメインであるアメリカ側から先に書くべきだと思いますが日本側の方がごく簡単に説明できるのでまず最初に日本から書いてみたいと思います。日本側の被害に関しては出撃する攻撃隊の被害しかないので
最大損失:航空機270機、及び搭乗員570名(戦70 爆200 攻300)
最低損失:航空機0機
になります。(攻撃隊およそ200機、ゼロ戦隊70機、合計270機と計算)
第一次攻撃隊の損失が29機で撃墜率が8%(29/350)でした。被害は当然それより多くなりますので20%で54機、30%で81機になります。護衛のゼロ戦70機の被害はこれより少ないので実際はもう少し低めの数字になるかと思いますがかなりの損失だと思います。
戦闘での被害に加えて夜間での着艦になった場合、夜間着艦の難しさに加えて源田中佐が「訓練なら中止になるほど海が荒れていた」と言っていたのでその辺の事情を踏まえるともっと被害が続出したかもしれません。
航空隊の被害に関して最も心配となるのは最新鋭であった貴重なゼロ戦の損失以上に母艦搭乗員の損失ですね。想定通りの被害が出るとすれば空母航空隊の建て直しをしないといけない状況になるかと思います。まあその分アメリカ側もダメージがデカイので時間的な猶予はあるかと思います。
それと「空母が撃沈される可能性はないか?」と思われるかもしれませんが、当時の米軍のパイロットの練度と潜水艦の魚雷の命中精度&不発率に加え、日本側が厳重な警戒体制で文字通り必死に直掩している状態であることを考えると相当難しいのではないかと思います。
陸上爆撃機からの水平爆撃が命中しないのは後のミッドウェーやソロモン海戦の結果から判明してるので(米軍側も効果なしと結論を出している)恐れるのは急降下爆撃機だけですが、航続距離も含めて果たして空母上空までたどり着けるのか疑問です。
予想される被害・アメリカ
第三波
アメリカ側の被害に関しては第三波で残存艦隊を攻撃するので湾内に残っていた8隻近くの巡洋艦と残りの駆逐艦、また停泊中の潜水艦などが攻撃対象になったと思います。
第一次攻撃隊で250キロ爆弾を抱えた急降下爆撃機が戦艦相手では効果がないため無駄打ちを避けて別の目標に切り替えた話がありますが、セイロン沖海戦で江草少佐の艦爆隊が重巡のコーンウォールやドーセットシャーを撃沈したことからも巡洋艦が相手であれば急降下爆撃でも撃沈することが可能です。
なおアメリカ側は停泊していた艦船の中でも潜水艦を「浮上中で容易に撃沈することができ、かつ今後の作戦に与える影響が非常に高い」として石油タンク、海軍工廠と共に攻撃の優先目標にすることをオススメしております。(今後の作戦を考えると潜水艦が無傷だったのをかなりの幸運と評価していた)
第四波
第四波では海軍工廠と石油タンクを含めた地上基地施設に対して攻撃をしたと考えられます。この海軍工廠と石油タンクに関して攻撃目標としての価値と影響がどの程度あるかを考えてみます。
【海軍工廠】
そもそも海軍工廠ってよく聞くけど実は具体的にどんなものかよく分からない・・・・という方向けにwikiのリンクを貼っておきます。海軍工廠 wiki
まずハワイの海軍工廠は米海軍の中でどの程度重要な施設であったのでしょうか。ハワイの海軍工廠に関して一番有名な逸話は珊瑚海で傷ついて寄港したヨークタウンに対して昼夜問わずの突貫工事を行い、わずか3日で応急修理を完了させた話です。ヨークタウンは応急修理の状態で万全からは程遠い状態でありましたがミッドウェー海戦に参加し見事戦果をあげることになります。もし日本軍が海軍工廠を破壊していたら違った結果になっていたかもしれません。
ただし真珠湾の海軍基地というのは注意が必要です。というのも真珠湾基地は長い間太平洋艦隊の母港として機能していたわけではなかったからです。米国の太平洋艦隊は1940年までサンディエゴが本拠地でしたが「日本を牽制する」というルーズベルトの命令によって急遽ハワイに移動してきました。したがって工廠としての機能がそれほど高いわけでもありませんでした。
具体的に話せば戦時中に深刻なダメージを受けた軍艦は真珠湾では一時的な応急処置を施すだけでした。西海岸まで無事にたどり着ける程度の応急処置をして本格的な整備をする場合は西海岸の海軍基地に寄港して修理をしておりました。
なおサンディエゴからハワイへの変更に関して当時の太平洋艦隊司令長官であったリチャードソン大将は大統領に対して「危険だ!」と強く反対したためにルーズベルトの不興を買い翌年にキンメル大将と交代させられました。その後実際に奇襲されたことを考えれば結果的にリチャードソンの判断が正しかったと言えます。
【石油タンク】
海軍基地と並んで攻撃目標となったのは石油タンクです。
当時真珠湾には450万バレル(70万キロリットル)の石油が備蓄しておりました。真珠湾東岸に大型重油タンク26基、ヒッカム飛行場周辺には航空機用のガソリンタンクがありました。地上に露出していたので攻撃は容易です。攻撃する際はもの凄い黒煙が上がるため最後に攻撃すると予想されます。
航空機用のガソリンの燃料タンクはともかく艦船用の重油タンクに関しては「重油は簡単には燃えません」と主張する方がいますが(確かに重油の特徴を一言で言えば「燃えにくいが一旦燃えると消火しにくい」)私としてはディーゼル・エンジンの権威であり、実際に現地で重油タンクを見ているニミッツ元帥や石油のプロであり石油公団に勤務経験がある岩間さんの「簡単に破壊炎上できる」という意見を採用したいと思います。
重油タンクは各タンクが破壊されていれば引火に引火を重ねて数日間は燃え続けたと思います。また隔壁が破壊されていれば溢れた重油が近隣の施設(米軍司令部施設)に雪崩込み甚大な被害を及ぼしたと思います。
(タンクとタンクの間には隔壁があって漏れないようになっている)
写真を見ると海軍工廠の隣に小さめのタンク群があります。そして海軍工廠と逆側のエリアにはヒッカム飛行場があるのでかなりの可能性で航空機用のガソリンがタンクに保管されていると思います。攻撃によって一面に溢れたガソリンが工廠側に流れ込み被害が深刻化する可能性もあるかもしれませんがそこはほとんど運だと思います。まあ仮に工廠が100%完膚なきまでに破壊されたとしても工廠に関してはそこまで戦局に影響を与えないと思います。
以上がアメリカ側の予想される被害です。巡洋艦を含む艦船10隻以上の撃沈及び破損、そしてドッグなどの海軍工廠の破壊と石油タンクの炎上となります。
その後の戦局に与える影響
再攻撃をした場合の日米双方の予想被害をだいたい出してみましたが、それではこれらの被害がその後の戦局にどのような影響を与えるのか考えてみたいと思います。
考える上で参考になるのは戦後アメリカではほぼ常識となっている日本の真珠湾攻撃での失敗に関してです。代表的な例を見てみましょう。
なぜ日本軍は目標を艦船にばかり区切ったのか(中略)太平洋艦隊を行動不能に陥らせようとするのならばその450万バレルの石油に火を放ち工廠を含む恒久施設を破壊したほうがより効果を拡大しただろう
(サミュエル・モリソン博士「太平洋戦争アメリカ海軍作戦史」)
このように真珠湾に関する米国側の関係者や戦史家を見ると工廠とタンクを攻撃しなかったことを最大の失敗として扱っています。とりわけ重油タンクを攻撃していれば戦艦群を沈没させるよりよほど太平洋艦隊へ実質的な損害を与えられたという見解をしています。
特に現場の責任者であったキンメルやニミッツが「重油タンクが炎上していたら艦隊はまともに行動ができない」と明言していることですね。キンメルは「西海岸まで撤退しなければならなかった」とまで言っています。
この話を聞くと本当なの?とつい思ってしまいます。というのも仮に空襲で石油タンクが炎上したとしても西海岸からハワイにタンカーを派遣して臨時の給油タンクの代わりにすれば問題ないのではないかと思うからです。
日本側で真珠湾攻撃に参加した関係者で草鹿参謀長か誰かが同じ様に「石油タンクを破壊しても西海岸から重油を満載したタンカーがすぐに到着するからどうせ攻撃しても無意味だと思う」と戦後に語っていた話をどこかで読んだ記憶があるので日本人にとっては戦争中も現在でもそういった共通見解を持っているのだと思います。
ちなみに私も同じ意見で1940年のアメリカの原油の生産量は1.5億キロリットルを超えています。これは当時の全世界の生産量の65%に値します。原油を1億以上も生産してる国がわずか70万キロリットル(450万バレル)が炎上しただけでその後の作戦に深刻な影響を与えるほど燃料不足になる理由がよくわからないですよね。
話は逸れましたがニミッツやキンメルが「燃料不足で艦隊が行動できず大変なことになる」と憂慮しましたが、実際の戦局へはそこまで大きく影響を与えることはないかと思います。正確に言えば戦術レベルでは大きな問題点がでるけど戦略レベルにおいて大きな変更は起こらないということです。
おそらくアメリカ側は重油がなくなればドゥーリトルの東京空襲をするような戦術的な余裕もないのでミッドウェー海戦が発生せずに1942年の秋頃からソロモンやフィジー、ニューカレドニア辺りでガダルカナルの攻防戦と同じことが起きていたと思います。
ニミッツは戦略として「日米が双方殴り合いをして同じ程度の被害であれば国力の差によって日本が不利になる」ということを認識しており、その当時から戦略として採用しておりました。
例えば「日本が航空機を2000機失えば日本にとって深刻なダメージになるが我が国は2000機であればすぐに補充できる」ということを認識していましたので消耗戦によって日本の戦力を溶かす「沼」や「挽き肉機」的な戦域を意図的に作り出そうとしておりました。
この時期になるとアメリカ側の航空隊の能力も上がっており史実と同じ様に日米互角に戦うようになってきております。その一方日本側は互角に戦える航空隊を失ったらその後は補充ができないのでそれでおしまいとなります。
海戦をするたびに正規空母を1隻また1隻と徐々に失うか、空母から出撃できる搭乗員がいなくなり空母航空隊を再編するため内地に戻り1943年中頃まで訓練に明け暮れて出撃できない状態になるかのどちらかになるかと思います。
何かしら決定的な決戦で敗北することはなく真綿で首を絞められるように徐々に徐々に劣勢になっていく感じではないでしょうか。おそらく1942年の史実が大きく変わる程度で1943年の秋以降の史実は同じ様な感じになるかと思います。
ガダルカナル島が日米の戦局の転換点になりましたが、ソロモン諸島より東のフィジーやニューカレドニア辺りが新しいガ島になるかと思います。結局空母があろうがなかろうが米豪遮断作戦が日本の兵站の限界点となるんですよね。
いずれにせよ史実ではミッドウェーの後に海軍は燃料不足の懸念からトラック島から容易に移動できないようになります。アメリカと違って燃料の観点から気軽に攻勢に出られるような状況ではなくなっていきます。
日本は中国と停戦して講和を結び支那大陸から陸軍の主力を撤収できない限りハワイも占領できなければ豪州も占領できないので結局手詰まりになるんですよね。まあ仮に中国と講和できてもハワイも豪州も占領は無理だと思いますが・・・・