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~ヒストリアイ~

連邦政府の不思議~文部省がなく外務省の名が国務省~

投稿日:2016-10-23 更新日:

(ワシントンにある国務省本部 Department of State)

◆外交を担当する省庁が国務省という奇妙な名前のワケ

アメリカの外交を担当する省庁の名前は外務省ではなく国務省といいます。イマイチわかりにくいですよね。何故こんな翻訳をしたのでだろうかと思うのですが、実は英語の正式名称が「Department of State」と言います。

直訳すれば「国家省」とでも訳せるかと思います。(state は州の他に国家という意味もあります。「国民国家」を nation state と訳せたりします)

アメリカ合衆国の建国期の話になりますが、独立した各州はそれぞれの州の自治権を強力な連邦政府に奪われるのを恐れました。その為に出来る限り連邦政府の権限を縮小しようと試みます。

その結果、連邦政府の中央省庁は同意が得られたわずか5つしか作られませんでした。その5つとは「財務」「司法」「陸軍」「郵政」「国務」です。

例えば、郵政省などは設立するのに理解が得やすい省庁でした。郵便は全国的に統一された組織が必要であるのは衆目一致するところですし、郵便事業を連邦政府が行っても各州の何かしらの自治権が脅かされるわけではありません。

また、財務・司法・軍隊などもその制度上、中央で管轄する組織が必要なわけでこうした経緯を踏まえて4つの省庁が作られることになりました。ちなみに軍隊と言っても陸軍省であり海軍省の設立はもう少し後のことになります。

もう一つ、各州に代わり連邦政府が行うべき大切な役割は「外交」です。この外交は当然ですが連邦政府が行う仕事の一つとして考えられていました。そしてそれ以外にも専門の省庁を作るほどではないけれど連邦政府が管理すべき様々な雑務がありました。

こうした連邦政府の外交を含めた財務・司法・陸軍・郵政のどれにも当てはまらない細々した「雑務」をまとめて行う「何でも屋」的な役割で作られたのが「国務省」だったのです。

その為、アメリカでは外交は国務省という奇妙な名前の省が管轄することになりました。そしてその後合衆国の国土が拡大し州の数が増え産業が発展すると、政府が行うべき国内の仕事が徐々に増加していきます。

その結果1849年に内政業務を担当する専門の省庁の「内務省」が設立されます。そして国務省は純粋に「外交」だけを専門に扱う省庁になります。しかし、設立当初の「国務省」という名称だけは業務が変わっても改名せず現在まで引き継いでいるわけです。

◆アメリカに教育省は必要ない

さて、そんなアメリカの連邦制なのですが、日本と違い一つ気になることがあります。それは省庁に教育を担当する「教育省(Ministry of Education)」が長いこと存在しなかったことです。日本では文科省が担当する分野ですが実はアメリカではこれに相当する役所が設立されたのは1979年、つい最近のことなのです。(wiki: アメリカ合衆国教育省

それは何故かというとアメリカでは独立以前から長い間教育は「州の権限」であると考えられていました。つまり、各州の教育委員会が独自に教育を行っているわけです。

したがって教育に関しては州によってバラバラであったりします。例えば小中高校の期間ですが州によって「6・3・3」の計12年を採用している州もあれば「8・4」の計12年を採用している州もあります。8・4の場合は中学校に該当する middle school がありませんので、小中が一貫して8年という長期の期間になるわけです。

それでは連邦政府は教育に関して手をこまねいて見ているだけで何もしないのか。と思うかもしれませんが、もちろんそういう訳ではありません。ちゃんと政府も教育に関与しております。長い間「省」として存在なかったわけですがそれより下の「局」というレベルで連邦の教育に関して携わっておりました。

一番わかり易いのは各自治体への金銭的な援助です。援助といっても補助金をばら撒くわけではありません。膨大な国有地から土地を無償で提供するというものです。

建国期の1785年に制定された「土地条例」は膨大な国有地を農地として格安で農民に払い下げる法律でしたが、払い下げる土地の中から必ず1ブロックを連邦政府は学校建設用の用地として確保して各自治体に提供しました。1ブロックは大きさで言えば1マイル四方、つまり1辺1.6キロ四方の正方形になります。

そして36ブロックで一つのタウンシップの単位とし、36ブロックを払い下げれば必ずその内の1つは学校用の用地として確保しました。また、その学校用地はタウンシップの中で中心区画に位置するように設定されました。したがって町の中心に学校が作られたわけです。

1ブロックは1.6キロ四方と広大です。校舎と運動場や図書館を設置してもまだまだ土地に十分余裕があります。自治体はブロック内の余った土地を売却することで更に校舎の建設費用や学校の運営費用を賄うことが可能でした。

この様に連邦政府は各自治体に土地を無償提供して学校設立の援助をしたわけです。

◆大学作る土地をあげます

もう一つ連邦政府が教育問題で各州に大規模に援助した法律があります。それが1862年に施行された「モリル・ランド・グラント・アクト(モリル土地法)」です。これは、西部の新しい州が大学を設置したい時に国有地を無料で与えるというものです。(wiki: Morrill Land-Grant Acts

提供する土地の広さは州選出の国会議員一人につき3万エーカーの土地を与えました。どんな小さな州でも最低下院1名・上院2名の計3名の国会議員がいますので、最低どんな州でも9万エーカーを貰うことができました。

ちなみに9万エーカーという大きさがピンと来ないかと思いますが、淡路島の半分ぐらい、または東京23区の半分ぐらいの大きさです。カリフォルニアやテキサスの様な大きな州は更に人口に応じて下院議員の選挙区1つにつき、大学がちゃんと設立できる様に新たに追加で3万エーカーの土地をもらえるわけです。

これは別の表現をすれば全米のどの地域でも下院議員一つの選挙区エリアにつき最低でも一つの公立の大学が存在することを意味します。ちなみに3万エーカーは山手線の内側約2つ分の大きさです。

当然、大学のキャンパスを作ってもそれでもなお膨大に土地が余るのでその余った土地を民間に払い下げて大学の建設資金にしております。西部の州立大学の殆どがこの法律を利用して設置されました。

ちなみにオクラホマ大学は広大な大学の敷地内から石油が湧きでるので、それを販売し大学の収入にしてます。校内で石油が湧くぐらい広大な土地を政府から授与されたわけです。

◆全米規模で存在しない意外な組織

この様にアメリカでは近年まで教育の基本は州の権利として州の行政と教育委員会に付属しておりました。連邦政府の教育への関与も土地の提供という間接的な援助だけで各州の政策に口を挟むことなく州の教育の権利の独立性が保たれていたのです。

実は連邦レベルでの組織が存在しないのは州ごとの自治や独自性が認められているアメリカでは珍しいことではないのです。例えば二大政党である民主党や共和党といった組織も実は全国的な党本部がありません。

日本の場合、政党は自民党の本部は東京にありその本部の指導の下に地方支部が各都道府県ごとにあるわけですが、驚いたことにアメリカでは全米を統括する党本部が存在しません。

共和党なら共和党で各州ごとに州本部が存在するわけで4年に一度の大統領選挙の年になるとこれらの地方支部が寄り集まり連合して臨時の党本部を作ります。そして全国的な共和党の党大会を開催しそこで共通の大統領候補を選出するわけです。

アメリカが州の連合体である連邦国家である姿を垣間見える瞬間ですね。

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