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~ヒストリアイ~

日米の航空機銃の比較(物量に負けた④)

投稿日:2021-01-07 更新日:

日米比較のシリーズ 第3回目は「物量」をテーマにして全部で4つの投稿からなっています。全て独立した内容となっておりそれぞれ個別に見ても問題がないように構成しております。ご興味があれば他の投稿も参考にしてみて下さい。

とにかく大量生産した機銃

「物量」をテーマとしたこのシリーズ。これまで航空機生産の現場に焦点を当て「陸海軍の組織的な対立」「誉エンジンにみる量産性の問題点」を語ってきましたが、最後に航空機に搭載した航空機銃の日米比較に焦点をあてることで日本の問題点を炙りだしてみたいと思います。

航空機用の機銃というと日本で最も有名な戦闘機であるゼロ戦は大戦初期の段階で既に7.7mmと20mmの2種類の機銃を装備をしていました。

その一方でアメリカの航空機の武装は既存の12.7mm機銃を航空機用に転用した12.7mm機銃一種類のみに絞っておりました。というよりむしろ「もしかしたら米国の航空機開発者は12.7mm以外の機銃を知らないのではないの?」と疑いたくなるぐらいの一辺倒でした。

この12.7mmの航空機銃を紹介すると実は陸軍ではブローニングM2重機関銃と呼ばれており、現在でも傑作機関銃として名高い評価を受けております。特筆すべき点として信頼性が非常に高くなんと登場から80年たった現在でもこのブローニングに代わる後継がないため未だに現役で使用し続けているという傑作重機関銃です。


(ブローニングM2重機関銃 別名「キャリバー50」50とは0.5インチのこと)

太平洋戦争の初期には陸軍で戦車など戦闘車両への搭載、海軍では巡洋艦や駆逐艦の対空機銃として、そしてほぼ全ての戦闘機や爆撃機の航空機銃として採用されておりました。その信頼性の高さと使い勝手の良さを採用して全軍へ大量に配備させたわけです。初速が速く直進性が高いため命中率に優れており、航空機に転用してもその高性能を遺憾なく発揮しました。

なぜ米軍が航空機のみならず12.7mmを全軍で共通採用したのかというと非常にアメリカ的な合理主義といいますか、傑作との評判高いこの12.7mm機銃を全軍で統一して使用することで生産性や運用性を高めることを意図しておりました。まさにアメリカの合理主義を具現化したものだと思います。

また生産、特に弾薬の消費量はそれこそ膨大になるので生産から前線までの補給も含めてアメリカだからこそ可能であった国力に見合った戦略を採用したとも言えます。

機銃1種類のメリットとデメリット

航空機に搭載する機銃が1種類ということはメリットとして運用や整備が随分と楽になります。日本のゼロ戦の場合予備の機銃や弾薬もそれぞれ2種類用意しなければならないですし当然のことながら整備も手間がかります。

もちろん日本軍も20mmは爆撃機用、7.7mmは戦闘機用と用途別に武装を分けており意味なく2種類を搭載しているわけではありません。世界的に見ても米国以外の英独なども同じ様に用途別に2種類の機銃を搭載しており米国の一種類のみといった方が実は珍しいのです。

しかし現実的な生産力から考慮してみるとアメリカこそが2種類に分けて用途別に生産するべきであり、逆に生産性の低い日本こそが1種類に統一して生産、配備して運用の効率をあげるべきであったのではないかと思います。

実際、真珠湾攻撃に出撃した指揮官の進藤三郎大尉は「第3次攻撃隊を出撃させれば、日本を発つまでに1機あたり150発(出撃1.5回分)しか用意できなかった零戦の20ミリ機銃弾は、概ね尽きるところであった。*1」と述べているように真珠湾という最重要の戦いを前にしても機銃弾の数が満足に足りていない状況でした。

この様に初戦の圧勝していた時期ですら20mmの弾丸のみならず実は正規空母6隻に搭乗させる零戦隊の搭乗員・機体が共に不足しており、四苦八苦しながら空母航空隊のやり繰りしていたのが実状でした。ですから最低限の必要量を確保できる程度にはもう少し生産性を考慮する必要はあったのではないかと思います。

20mm機銃の開発秘話と問題点

このゼロ戦の20mm機銃に関しては興味深いエピソードがあります。それは当時の日本の技術レベルでは航空機用の20mm機銃を生産するのは非常に難しかったにも関わらず陸海軍が別々に20mm機銃を開発・生産していたということです。(*海軍の20mm機銃に関しては「パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦-兵頭二十八」に詳細が載っているので参考にしてみて下さい。当初は爆撃機に採用する予定だったそうです。)

具体的にいえば海軍はスイスのエリコン社の機銃をライセンス生産をしておりました。その一方で陸軍は実用化するのに苦しんだらしく米国ブローニング12.7mm機銃(前述の米側の航空機銃)を20mmに改造したものを使ったり、自主開発を諦めて戦時中のドイツから傑作として名高い「マウザー20mm砲」を輸入(潜水艦輸送、800挺、弾丸40万発)するなどしておりました。ちなみに輸入されたマウザー砲は三式戦飛燕などに搭載されニューギニア方面の最前線にいた搭乗員から大絶賛されたようです。


(マウザー MG151 通称「マウザー砲」米重爆撃機を相手に絶大な威力を発揮)

少なくとも陸軍はドイツから潜水艦で輸入するぐらい生産に苦労している一方で海軍はまがりなりにもゼロ戦での運用に成功しているので陸軍も海軍から借りるなり共同開発するなど他に手段はなかったものなのかと思います。

20mmの開発には成功した海軍ですが大戦も中期以降に突入するとゼロ戦の7.7mmでは戦闘機相手でも威力不足が明白になり7.7mmを12.7mmにアップグレードする話が持ち上がります。しかし今度は逆に海軍が12.7mm機銃の開発に手間取ります。

その一方で20mmの開発に手間取った陸軍はなんと12.7mに関しては前述の米国のブローニングM2機銃をベースとして既に開発に成功しており1941年にホ-103として制式採用されているのです。これをみて皆さんどう思いますか。

誰もが「海軍が20mmを生産して陸軍に提供して逆に陸軍が海軍に12.7mmを提供すれば良いのではないのかな?」と思いませんか。なぜ別々に苦心して開発する必要があったのでしょうか。


(陸軍の20mm「ホ5」二式二十粍固定機関砲)

更に言うと日本の陸海軍って弾薬の互換性が全くなかったんですよね。例えば陸海軍でライセンス元が全く同じ銃があったりしますが、陸海軍別々に生産しているので微妙に規格が違い弾薬の互換性がありませんでした。弾薬に関しては陸海軍の非協力的な関係の象徴的な案件だと思います。

アメリカ側はどうであったのか?


(F6F「ヘルキャット」両翼から前部に機銃が飛び出している)

日本側のお寒い対応の反面、アメリカ側は航空機銃は既に説明しましたが基本的に12.7mmで統一しておりました。有名な開戦当初の「F4F」もゼロキラーで有名な「F6F」も全て12.7mmです。

グラマン機を例にするとF4Fが12.7mm×4、F6Fが×6、F8Fが×4となっております。比較用に他も挙げるとF4Uコルセアが×6、第二次世界大戦最優秀機と言われたP51ムスダンクは当初×4で後に×6と増加させています。また日本本土空襲を担当したB29は圧巻の×12搭載のハリネズミ仕様です。(ただしF6Fの夜戦型、F8Fの初期型以降、そしてB29の尾銃×1のみは20mmを一部採用しています)

こうやって比較してみると凄いですね。あえて一貫して装備していることがよく分かります。特にヨーロッパが主戦場だったP-51マスタングや他国では20mmや30mm(ドイツMK108)まで登場していた大戦後期でも12.7mmを使用し続けたのにはこだわりを感じます。

日本の紫電改や烈風もこの時期の装備は既に20mm×4ですからね。更に終戦直前の1945年に登場した米軍初のジェット戦闘機である F-80 シューティングスターも12.7mm×6となっております。


(F-80 シューティングスター 両翼の先端にあるのが増槽)

特にマスタングは欧州戦線の現場からドイツ機に対して「火力不足」と指摘されると強力な20mmに換装すると思いきや機銃の数を4丁から6丁に増やすという驚くべき対策をとってきます。搭乗員からしたら「いや、そーゆことじゃないし!」と突っ込まれそうです。

またこの機銃の数を多くした理由の1つとしてこの12.7mmは格闘戦や急降下による急激なGで故障することがありました。そんなパイロットの苦情に対して「それなら余分に更に2つ追加しておくのでもし壊れてもこれで大丈夫でしょ」と火力強化以外にも故障対策の側面もあったようです。

まあ好意的に見ればアメリカの戦闘機は一貫して対日、対独戦で共に戦闘機を相手にしておりドイツがB17、日本がB29を迎撃した様にそこまで火力が求められなかったのかもしれません。

実は米軍が12.7mm一色になり続けたのは後継であるイスパノ製の20mm機銃の生産が難航したという側面もあります。ですから一部の人は「後継機銃の開発に失敗したから使い続けざるをえなかった」と思う方もいるかもしれません。それは確かに考慮すべき事実だと思います。

しかし、大戦後どころか朝鮮戦争時代のF-86F セイバーまで改良型であったAN-M3/12.7mm×6を採用していたことも考慮に入れると12.7mmにこだわっていたのもまた事実だと思います。この強いこだわりの結果、ソ連のミグ相手に威力不足で大苦戦することになるのですがそれはまた別の話です。


(F-86F「セイバー」この機体まで12.7mmにこだわったのは流石に失敗!?)

ちなみに先程日本では陸海軍に弾薬の互換性がないことを説明しましたがそれではアメリカではどうだったのかを見てみたいと思います。米国では陸海軍で弾薬の互換性があったのは当然のことでした。(これ当たり前過ぎて説明するのが馬鹿らしいです)

また12.7mm機銃も制式名称は「AN-M2」という名前でANは「Army Navy」という陸海軍共通を意味します。簡単に言えば陸海軍共同の航空機銃ってことですね。

製造は陸軍が生産を担当して海軍に渡していたそうです。ですから海軍は使用時に不満があると製造した陸軍にブツクサと文句を言っていたそうです。その辺は洋の東西を問わずどこの国も変わらないと思います(笑)

ただ文句が言えるだけ良いじゃないですか。日本なんて文句すら言えないぐらい協力してないんですから(泣)

12.7mm以外にも試験や開発もしてたよ

ここで一応米軍の12.7mm以外の機銃について触れてみたいと思います。前述した通り戦闘機のパイロットからは「もっと威力のある20mm機銃を装備して欲しい」という要望があったり、また自国のB-17の様な大型爆撃機が対戦国から登場することを想定して大口径機銃の開発もしておりました。そして開発だけでなく実際に37mm砲を採用したP-39を生産したり更に驚愕の75mm搭載機の開発などもしていたようです。


(P-39 エアコブラ・プロペラの先端部に37mm機銃を確認できる)

特に陸軍は37mmの試作機を一度だけでなく「XP-67、XP-69、 XP-71、 XP-72」など懲りずに何度もテストをしていたので37mm砲にかなりの熱意を持っていた様です。XP-67に関して言えば「37mm×6」という驚異の武装量となっております。一体何を撃墜する予定だったのでしょうか・・・・。

P-38ライトニングも当初は37mmを搭載する予定でしたが、紆余曲折を経て最終的に断念したようです。ですから米軍も最初から一直線に「12.7mmで統一」を目指していたわけではなく失敗や寄り道が色々あったということです。


(テスト機の「XP-67・37mm×6」なんと驚異の76mm砲の搭載計画もあった)

量は質を凌駕する

以上を踏まえてみるとお分かりだと思いますが、アメリカの基本的な戦術は「量で圧倒する」作戦です。例え1対1で負けても2人がかりで戦って最終的に勝てればOKという戦術です。実戦では1対2どころか1対10ぐらいになるんですけどね。

ですからなるべく効率よく生産できる量産性を一貫して重視しておりました。例えば陸上戦でも戦車はM4シャーマン戦車一つに絞って大量生産します。その生産数はなんと5万台に及びます。


(M4中戦車「シャーマン」砲身が短い)

このシャーマン戦車ですが海上での戦いがメインの日本相手では無双をするのですが、戦車大国ドイツ相手には性能が少し物足りないものでした。したがって「シャーマンではドイツ戦車に対抗できない」という現場からの不満の声を受け「タイガーに対抗できる重戦車を作ろう」という動きが軍内で当然ありました。しかし「シャーマン戦車の生産ラインが影響を受けて生産性が落ちる」という生産性優先の理由から忌避されてなかなか開発が進みませんでした。

結局タイガーと対戦した兵士達が俗に言う「タイガー恐怖症」を発症して前線は深刻なパニックに陥ります。その解決策として急遽タイガー戦車に対抗できる「パーシング重戦車」を作るのですが時既に遅くパーシングが戦線に登場するのと同時に終戦となってしまいました。

この戦車に関しては結論から言えば量にこだわったアメリカの失敗ではないのかと思います。5万台も戦車を作ったのは確かに凄いですが、それならパーシング戦車をもっと早くに作るべきだったと思います。この辺は生産性にこだわった弊害だと思います。

実際アメリカからシャーマンを供与されたイギリスは独自に「シャーマン・ファイアフライ」という主砲を強化したモデルに改良しています。イギリス側は「タイガー相手ではシャーマンの数で押し切る戦術では勝てない」ということが良く分かっていました。このイギリス側の対応がアメリカがとった選択が正しかったのかどうかの一応の答えになるかと思います。


(シャーマン・ファイアフライ  オリジナルに比べて砲身が長い!)

あとどうでもいいですがシャーマンの車両に取り付けた副武装の機関銃は当然のことながらブローニングM2重機関銃です(笑)

むすび

長々と航空機銃の話から脱線して戦車の話をしてしまいましたが、最後にもう一度論点を踏まえてまとめるとアメリカは決して豊かな資源の上に胡座をかいて物量を展開していたのではありませんでした。

自国の豊かな資源を最も良く活かすために「兵器を設計する際に性能のみならず量産性を考慮に入れる」「効率性を高めるために種類を絞り込むことで圧倒的な物量を展開する」「多少性能が落ちても量で質を圧倒する」と意図的に物量作戦を実行していたことをご理解いただけたかと思います。

そして日本側が「物量が~」と言う一方でアメリカと同じ様に生産性を高める努力をしていたのかと言われると甚だ疑問がつきまといます。航空機に関しては弾薬の共通化、機銃の共通化は言うに及ばず、兵器を共同開発をすることで技術者の「人的資源の無駄遣い」を防ぎ、より効率的な兵器開発ができたはずです。

物量が~と言い訳する前にまず自分達の反省すべき点を冷静に振り返ること。そして次の戦いでは同じ過ちを繰り返さずにこの敗戦の経験を活かすことができるのか。それが多くの戦死者へ報いるためにも一番重要なことなのではないでしょうか。

◆脚注・参考文献

*1 真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58835?page=5

*2 パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦 - 兵頭 二十八 (著)

●参考:KANON in the AIR Act.3 第二次世界大戦 太平洋編
http://www.warbirds.jp/truth/s_gun3.htm

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