スポーツと日本人差別
「日本人がスポーツで国際的な活躍をするとルール変更されるのか?」ということを検証する全5回の企画です。それぞれ独立しているので個別に読んでも問題ないですが全体に関する導入と結論をその①とその⑤に書いておりますので参考にしてみてください。
全盛期を迎えた日の丸飛行隊
前回の水泳のバサロ禁止の話に続き今回は最も有名なルール変更の話を扱います。こちらの話はあまりにも有名すぎて「欧米による都合の良いルール変更の代名詞」とも言われているのでご存知の方も多いかと思いますが、一応知らない方に向けて簡単に説明をします。
まず1998年の長野五輪前後にかけて日本のスキージャンプは黄金期を迎えます。具体的な活躍で言えば1994年のリレハンメル五輪で男子団体が銀メダルを獲得します。原田雅彦選手の世紀の大失敗ジャンプで有名になったあの大会です。
そして続く長野五輪で船木選手がラージヒルで金、ノーマルヒルで銀メダルを獲得します。また原田選手がラージで銅メダル、そして団体では金メダルを獲得、日本ジャンプ陣は自国開催のオリンピックで金2銀1銅1という歴史的な快挙を成し遂げます。
そんな絶頂を迎えた日の丸飛行隊ですが長野五輪後に長期の成績不振に陥ります。日本勢は1998年の長野五輪から2014年のソチ五輪まで16年にも渡って銅メダルすら獲得できない不遇の時代を過ごすことになるのです。
長野オリンピック後のルール変更
その不調の最大の原因と言われているのがルール変更です。長野五輪の翌年からスキー板に関するルールが大幅に変更されスキー板の長さを従来の身長+80cm以下から身長の146%以下と変更されます。
これは例えば身長160cmの選手であれば従来は240cmであった板の長さが233cmと7センチも短くなってしまいます。逆に180cmの選手であれば従来の260cmから263cmと従来より3cmも長くなるので有利に働きます。
基本的にスキージャンプは板が長ければ長いほど空気抵抗を受け空中でより浮力を得られるので有利になります。そして日本人は欧米人に比べて体格が劣り小柄の選手が多いのでこのルール変更は日本人選手にとっては不利な変更と言えます。穿った見方をすれば猛威を奮っていた日本人選手が不利になるように身長の低い日本人を狙い撃ちにしたルール改正と言うことができます。
日本人は狙い撃ちにされたのか?
それではこのルール改正は本当に日本人を狙い撃ちにされたものなのでしょうか?というのも「身長+80cm」の旧ルールは客観的にみると明らかに身長が低い人のほうが有利なルールだからです。
例えば低身長の160cmの場合は240cm(1.5倍)の板を使えますが、高身長の200cmの場合は280cm(1.4倍)となるからです。仮に100cmなら180cm(1.8倍)です。つまり身長が低ければ低いほど倍率が高くなるというルールです。
これを誰もが平等にするにはどうしたらいいのでしょうか。答えは簡単です。すべて同じ倍率にすればいいのです。つまりどの選手も「身長の1.5倍」と決めれば誰もが平等になります。実際改正されたルールは「身長の146%」つまり誰もが一律に1.46倍というルールです。客観的にみればこちらの方が平等なルールです。
ですからこのルール改正は「高身長の選手を有利にするルール」ではなく「低身長有利なルールを誰もが平等に変更したルール」と言えるかと思います。この「低身長」を「日本人が多い」と置き換えるかどうかはその人次第だと思います。
(あとこれを読んだ方で「身長が同じであれば体重が軽いほうが有利になるだろうから身長だけでなく体重も規制しなくていいの?」と思った方は鋭いです。体重に関しては後で説明します)
V字ジャンプとルールの変更
以上簡単にルール改正の流れを説明しました。しかしここで根本的な疑問があります。それは「なぜ板の長さを変える必要があったのか」ということです。
選手にとって板の長さは選手生命を左右するレベルの死活問題です。ですからこの様な大幅なルール改正は選手達から大規模な反発が予想されます。しかしFIS(国際スキー連盟)はそういったリスクを犯してまでルールを変更する必要がありました。その理由がV字ジャンプです。
1990年代に入りスキージャンプは技術的に大きな革新を迎えます。それがV字ジャンプの導入です。スウェーデン人のボークレブによって偶然発見されたこの飛行スタイルは最初の頃は「失敗ジャンプ」として笑われておりましたが、彼がV字によってW杯で優勝する好成績を残すとまたたく間に有力選手もこぞって採用しこれまでのクラシックスタイルを傍流へと追いやり主流な飛び方となっていきます。
この画期的なV字の登場により従来に比べ飛距離が飛躍的に伸びるようになりました。その一方で既存のジャンプ台では飛距離の進化に対応できずジャンプ台の改修の必要性や、また飛び過ぎによる危険性から選手の安全を守るために何かしらの規制が必要になってきました。その規制の一つとして「板の長さを制限する」というルール改正が導入されたわけです。
長野五輪以前にもルール改正されていた
このように板の長さが制限されるようになったのですがその最初の大規模なルール改正が1994年のリレハンメル五輪後に導入された新ルールです。その時の主な変更点は以下の3つです。
①スキーの長さは身長+80cmまで
②ウエアの厚さを最大12ミリから8ミリ以下にする
③ビンディングの位置はスキーの57%より後方に取り付けない
板の長さを制限してウエアの厚さを薄くすることはいずれも飛距離を制限するという意図が読み取れます。つまり競技の安全性の確保が目的ですね。
ここでぜひ注意して頂きたいのが80cmルールは長野五輪のずっと前から続いていたルールではなく、わずか4年前のリレハンメル五輪後に導入された新ルールということです。そして80cmルールは長野後にすぐに変更されたのでわずか4年の寿命しかありませんでした。恐らく日本人が活躍したことで直ぐに固定値は低身長である程有利だというルールの欠陥に気がついて固定値から146%の比率に直ぐに変更になったのだと思います。
日本代表の不振後も・・・・
さて長野五輪の翌々年から日本勢は国際的に活躍できなくなるのですがその後の動きをみていきたいと思います。もしルール改正が「日本潰し」が目的であれば、日本が弱体化したこれ以降は当然ルール変更をする必要がなくなります。しかし日本勢が不振になったあともFIS(国際スキー連盟)はルール改正を続けます。日本チームは弱体化したのにルール変更の手を緩めてくれません(笑)
2004年には身長だけでなく体重も規制の対象となりました。「BMIルール」を導入してBMIの数値基準値 (20.5)より痩せてもメリットがないようにしたのです。というのもジャンプでは体重が軽いほうが飛距離が伸びるため過度の減量を行い健康を損なう選手が出てきていたからでした。減量による恩恵は高身長の選手の方が大きいのでこのルールは日本人より欧米人をより対象としたルール変更です。
こうした競技の公平性、そして選手の健康を含めた安全性を考慮した一連のルール改正の流れの中で低身長の割合が多い日本人が146%ルールへの変更の中で被害者になった方が多かったわけです。特に岡部選手は164cmしかないのでルール変更によってほぼ致命的ともいえる不利を結果として受けました。これは岡部選手にとっては引退勧告に等しいほどのルール変更です。
ですから「日本人が狙い撃ちにされた」という方の主張もよく分かります。惜しむらくはリレハンメル後のルール変更が最初から固定値でなく比率であればこういった悲劇がなかったことだと思います。この点は完全にFISの失態だと思います。
ルール改正で影響を受けなかった日本人選手
もう1つ言及しておきたいのは影響を受けたのは何も日本人選手だけではないということです。海外の選手でも割合は少ないですが被害を受けました。例えば長野五輪ノーマルで金、ラージ銀のフィンランドのヤニ・ソイニネンは日本人の平均身長とほぼ同じ171cmでしたので彼の板は当然短くなりました。海外勢にも低身長の選手は一定数いたので決して海外選手も影響を全く受けなかったわけではありません。
それとは逆に日本人でも葛西紀明は177cmもあるので他の欧米選手と同じく板が長くなる恩恵を受けております。船木和喜も175cmで若干板が長くなっております。日本人全員が被害を受けたわけではありません。ですから葛西や船木は成績が悪くなったことを板のせいにはできないわけです。
またこれはよく言われることですがルール改正後に大活躍したアダム・マリシュの身長は170cm。同じく五輪で金を4つも獲得したシモン・アマンの身長は173cmなので、低身長排除を意図としたルール改正ならなぜ低身長の彼らが活躍できるのか?という疑問符が出たりします。
不振になった本当の理由
それではその後の日本勢の不振の原因は一体なんだったのでしょうか。個人的な意見になりますがマテリアル(道具)に関する問題ではないかと思っています。というのもルール変更の影響を受けない葛西らも結果を残せなくなったからです。葛西選手や船木選手も成績が悪化しているところが重要な点だと思います。
なぜマテリアルの影響かというとこの時期にスキー板の長さだけでなく「ジャンプスーツ」に関してもルールが明確化され始めたからです。長野五輪後に生地の厚みが12ミリから8ミリに変更されましたが、厚みの他にスーツのゆとりも+10センチまでと新たに規定されたからです。その後ゆとりのルールは微調整され2年毎に+8,+6とどんどん小さくなっていきます。
問題なのはスーツがどんどん小さくなったことではなくルールが頻繁に変更されたことです。ルール変更への対応の遅れがそのまま日本勢全体が大きく沈んだ結果になったと思っています。
それが如実になったのは2012年です。毎年小さくなっていったスーツのゆとりですがこの年には遂に+0、つまりピチピチのスーツとなりました。その結果何が起きたかというと日本勢が大幅に成績を伸ばしたのです。何故好成績になったかというとピチピチになったことでスーツを工夫する余地がなくなりどんなスーツも性能差が殆どなくなったからです。
日本人選手の成績が一律に伸びたことで日本の関係者は日本勢の不振の原因が選手の実力ではなくマテリアルにあるのではないか?と思うようになります。実際に葛西選手も「順位の差が実力ではなく道具の差であったと思ったので自信回復につながった」と後に述べております。
つまり不振の原因はリレハンメル以降毎年のように目まぐるしくルールの変更が行われ、その変化に対応するのが日本チームは後手後手になった結果日本人選手全体が大きく成績を落としたというのが真相であったと思います。(日本の対応が遅れたのはヨーロッパの国と違ってFISの本部から遠く、更に言語的なハンデもあって最新の情報を仕入れるのが他国と比べて遅いというのもあったようです)
高身長が有利なはずなのに・・・
以上長々とはなしてきましたが、最後に現在(2020年代)のスキージャンプの現状をお話したいと思います。現在日本のスキージャンプは男女でW杯総合優勝をした小林陵侑、高梨沙羅という選手が登場し長野五輪世代以上の黄金期を迎えております。
特に高梨沙羅選手は女子の中でも150cmに近い低身長に分類される選手です。小林選手は173mで日本人の平均身長より高いですが、ドイツやノルウェーの平均身長が180cmを超えていることを考えると欧米基準であれば低身長に分類されてもおかしくない身長です。また2023-24シーズンにW杯総合優勝したクラフト選手は166cmしかありません。女子の勢藤優花選手(168)よりも身長が低いです。
バスケットやバレーという競技は露骨に高身長が有利なルールです。したがって代表選手を見るとどちらも2m近い選手がずらっと並んでいます。もしスキージャンプが長野五輪の後に「高身長が有利なルール」に変更されているのであればジャンプの代表選手やワールドカップの個人成績もバスケやバレーの様にある程度身長補正があってもおかしくありません。しかし現実にクラフトや高梨の様に低身長の選手が活躍しているのが現状です。
またよく言われる「自分たちが勝てなくなるとルール変更する」という話が本当であれば小林や高梨が勝ちまくっている状況でルール改正が行われないのは不思議です。特に高梨選手が総合優勝を初めてした際にネットでは「あまりやり過ぎると長野と同じくルール変更されるぞ」と言われていたにも関わらず結局彼女の全盛期の間はルール変更はされないまま総合優勝を4回も獲得しました。
以上のことを踏まえると146%の身長に関するルール変更は高身長有利なルール変更ではなくすべての身長が平等になるようなルール変更とはいえないでしょうか。その結果、現在でも低身長の高梨やクラフトといった選手が活躍できているのです。
逆に80cmルールは低身長であるほど有利だったので「本来は活躍できなかった選手が低身長が有利なアドバンテージを使って活躍できていた」と言えるとかと思います。ですからルール改正後もマリシュやアマンのような欧米基準では低身長の選手が活躍できたのです。
現在でも低身長の選手がW杯の個人総合優勝を獲得できること。また長野五輪後に日本代表の成績が悪化して不振になった後も継続してルール改正が行われたこと。そしてルール変更の影響を受けない葛西や船木選手も一緒に成績が悪化したことが、日本代表をピンポイントで狙ったルール改正ではなかったことの具体的な反論ではないかと思います。
むすびとして
最後にルール改正によって日本のジャンプ会が背負った最大の問題点を挙げたいと思います。それはこのルール改正によって日本人の間でスキージャンプという競技が「どうせ活躍してもルール変更される競技」というイメージが世間に付いてしまったことです。
日本代表は五輪後に成績が悪化したのでその不振の理由をルール変更に押しつけて弁明することはありませんでした。そのため現在でもスキージャンプという競技に対するイメージは世間一般の間ではあまり良くなく「都合が悪くなればルール改正される競技」という固定観念すらあります。
短期的に見れば日本勢が不振に陥った責任をルール変更を理由にして逃れることができたと言えますがその反面、長期的にみれば競技イメージの悪化に結びつきました。そして現在でもルール改正の呪縛はジャンプ界を縛り続けているのです。