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~ヒストリアイ~

スポーツと日本人差別 むすび(その⑤)

投稿日:2024-08-13 更新日:

スポーツと日本人差別

「日本人がスポーツで国際的に活躍するとルール変更されるのか?」ということを検証する全5回の企画です。それぞれ独立しているので個別に読んでも問題ないですが全体の「導入」と「結論」をその①とその⑤に書いておりますので参考にしてみてください。

これまで4回に渡って水泳、スキージャンプ、複合と競技別に検証を重ねてきました。一連の記事をみて皆さんはどう思ったのでしょうか。最後に全体を通してむすびとして「差別は本当にないのか」「ルール変更が日本人差別に思えるのは何故か」ということに関して自分なりの見解を述べさせていただきます。

差別は本当にあったのか

まずスポーツの世界で日本人差別が「ある」か「ない」かのどちらか二択で答えなさい。と聞かれたら私は「ある」と答えます。というのも今日の世界で人種差別があるかないかと言われたら人種差別は未だにあります。ですから人種差別が存在するならそれがスポーツの場にあっても何も不思議ではないからです。

ただそれが公然と組織的に行っている場合と選手や審判が個人的な心情で行っているかどうかは全然違う問題だと思います。例えば最初に例をあげたメジャーリーグの大谷翔平選手ですが1947年に最初の黒人選手であるジャッキー・ロビンソンが登場した際には明確な人種差別がありました。

しかし現在のMLBではそういった公然とした人種差別はありません。その一方で大谷選手は東洋人ですので白人の審判が「有色人種のくせに生意気だ」と思い微妙な判定の際に個人の心情から意図的に不利な判定をする可能性は十分ありえます。そういった意味では人種差別はあるといえばあると思います。ただ組織や団体が公然とした形で特定の人種を差別することはないと思います。

また積極的に差別することはないですが消極的に差別を容認した可能性あります。例えば複合のルール変更の主な目的はジャンプとクロカンのバランス調整のためでしたがその結果、圧倒的王者の荻原選手が不利になることは誰の目にも明白でした。

ですから「荻原選手を勝てなくするためにルール変更をしよう」という明白な差別はないにしても「これで荻原が勝てなくなったぞ」と思ったり「ルール変更をすることで荻原選手が勝てなくなるなら賛成しよう」などと心の中で思っていた人はいたかもしれません。ただこれは当人の心の内なので想像でしかありませんが・・・・

被害者意識と悲撃のヒロイン症候群

もう1つ述べておきたことは「なぜルール変更が差別に思えたのか」ということです。当然ですがこれまで歴史的に日本人を含めた有色人種は差別されてきました。これは事実です。ですからそういった意味で差別が今よりも露骨な時代を過ごした年配の人であればあるほど差別意識に敏感だと思います。

以前アメリカに住んでいた時、アフリカから来た黒人留学生の友人と一緒にレストランに行ったのですが料理が遅れたことがありました。友人が「俺はアメリカ人じゃないから単に注文を忘れてるのか差別されたのか分からない」と言ったことがありました。

真相は店員の注文忘れでその後に謝罪とアイスクリームを無料でサービスしてもらったのですが、もし被害者意識を持っていたら「俺が黒人だから差別された」と騒いだことだと思います。

同じ様に被害者意識を持っていると故意でなくてもすべてが差別に見てきます。むしろ「私達日本人は白人に差別された環境でも逆境に負けずに金メダルを獲得した。本当に凄い!」と悲劇のヒロインになっているのかもしれません。

実はスキージャンプで高梨沙羅選手が無双していた時期、高梨選手の飛型点が露骨に低くなるという差別を受けていました。これは誰も明確に分かるレベルの差別でした。ここまでなら「日本人差別だ~」と明確に断言できます。というか実際に不満をいう日本人ファンは多かったです。

しかしその後に高梨選手の次にルンビというノルウェー人王者が登場し、彼女がW杯の個人総合で3連覇をするようになります。すると驚くべきことに連勝中のルンビの飛型点が露骨に低く採点されるようになったのです。

つまりこの場合差別は存在しました。しかしその差別は「日本人差別」ではなく「最強選手は他の選手に勝利を譲れよ差別」だったのです。そういった意味で被害者意識をもってしまうとなんでも人種差別に結びつけてしまう危険性があるということです。

例えばドイツからしたら日本人の高梨もノルウェーのルンビも国籍関係なく自国選手のライバルですから同じような何かしらのクレームや嫌がらせを両国にする場合があります。同じことを日本とノルウェーにしてもその際に日本人は「差別」と捉えてしまう可能性があるということですね。

同じ様に荻原選手のルール変更も日本人だからなのか最強選手だからなのかで大きな違いがあります。仮に荻原選手がドイツ人やノルウェー人だとしても恐らくルール変更の流れは防げなかったと思います。

それと複合に関しても試合をみれば分かりますが競技が盛り上がるのはクロカンで選手同士がデッドヒートをすることです。特に選手がゴール前で複数人でスプリント勝負をしたりすると試合は大いに盛り上がります。

ですから競技の特性上どうしてもクロカンで選手が抜きつ抜かれつの攻防をするように演出をする(そのためにクロカンで選手が競り合うようなルール改正をする)というのは競技の人気を保つために仕方がない・・・と多分日本人を含めた関係者一同全員が思っているのではないかと思います。これは差別ではなく競技の特性の問題ですね。この場合の問題は日本人が不幸にもクロカンが苦手なことです。

ルール作りの主導権も競技の一環

最後にルール変更そのものについてお話ししたいと思います。日本人は憲法も含めて法律やルールというものを金科玉条に大切に守りあまり変更をしたがらない民族であると思います。また一度ルールを決めたらルール違反をしないように遵守しがちな傾向にあると思います。

つまり「一度決めたルールは変更しない、そして必ず遵守する」というある意味柔軟性がない人達だとも言えます。

その一方で海外では「ルールが現状に合わなくなったら変更するのは当たり前、またルール破りも場合によっては辞さない」といった感じの価値観をもった国々も珍しくありません。一部の南米の国を見てると「審判が見ていないならルールなんて守らなくてもいい。反則にならなければルール違反ギリギリまでやってもいい」と感じの国も見受けられます。

柔軟性で言えば五輪も含めて多くの競技で公平性を保つためにビデオ判定が導入されており、野球もMLBではビデオ判定が導入されています。しかし日本では2024年現在でも未だにプロ野球、甲子園とプロ・アマ含めてビデオ判定が導入されていません。この辺の対応が日本と外国のルール変更に対する柔軟性の差となって現れてるかと思います。

高校球児も未だに坊主頭ですしこれも「長年の習慣」なので変更されにくいのかもしれません。ただでさえ野球人気の低迷が危惧されているのに坊主頭強制だと野球やりたがる子は減ると思うんですよね。

話が少しそれましたが、そういった意味で海外では(少なくともヨーロッパでは)ルールの作成や変更もその競技の一環であり勝負の範疇だと捉えているのではないかと思います。大げさにいえば会議において隙あらば自国の選手に有利なルールにするのも全然問題ない。もう勝負はすでにそこから始まっているといった考えです。

ただ出来上がった改正ルールを見ると「自国の有利なように修正する」というより「競技の問題点を修正する」といった感じで競技がより公平・平等になるように改善されてるイメージです。この辺も「あくまで公平にルール改正をするけどそれで自国の選手が有利になったらラッキーだな」みたいな感じの対応だと思います。

これはどちらかが正しくてどちらかが間違っているというのでなく文化の違いなので、お互いの文化が現代のスポーツにおいてフィットしているのかどうかの問題だと思います。もし自国がこの考え方に合っていないのであれば、スポーツに関しては勝ちたいのであればこの辺を修正していくべきだと思います。

この点は日本人の文化的な側面が強く表面的に解決できる問題でないので難しいかと思います。短期的に解決するなら日本単独ではそういった立ち振る舞いは苦手なのでスポーツの世界で人種の壁を超えた仲の良い国を複数作りその国家と連合というか同盟のような関係を組んで上手く立ち回ることですね。

それと最後に言いたいことは「欧米人は勝てなくなったら露骨にルール改正をする」って発言はそれこそ欧米人に対する逆人種差別だと思います。「欧米人は本質的にフェアじゃなくずるい奴ら」と言ってるのに等しいですからね。まあこれに関しては私も(実際にフェアじゃない部分あるだろ)と思うことはあったりすのですが、そういった考えはなるべくやめていった方がよろしいかと思います。

むすび

以上長々と5回に渡って書いてきましたが最後に思うことはルール改正で相手国を非難することは結果的に自国の選手を貶めてるということにならないのかということです。長野五輪で金メダルを獲得した船木選手はルール改正をしても何も思わない卑怯な欧州人を相手にして勝ったのか、それともスポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦った相手に勝ったのかどちらなのでしょうか・・・・

最近、ちょっとした手違いがありスキージャンプの伊藤有希選手がW杯の大切な試合に出れないことがありました。その際に選手や関係者が「有希を試合に出そう」と「#letYukifly」という署名活動をして伊藤有希は特例で試合に出場することができました。(詳細は下記リンク)

これを見た時には人種差別云々の前に「みんなスキージャンプという同じ世界に住んでいる仲間なんだなぁ」としみじみと実感しました。こういった選手たちの行動を前にして「日本人はスキージャンプで人種差別されている」とあまり競技を知らない人が叫んでいるのを見かけるととても残念な気持ちになるのです。

【参考】
スキージャンプFISコンペティション2022/23女子個人戦ヴィケルスン
https://sora-jumping.com/archives/29322

夢とリスクのはざまで 女子初のフライングヒル巡り異例の対応
https://mainichi.jp/articles/20230318/k00/00m/050/307000c

 

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