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ノルディック複合・荻原健司のルール変更(スポーツと日本人差別 その④)

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スポーツと日本人差別

「日本人がスポーツで国際的な活躍をするとルール変更されるのか?」ということを検証する全5回の企画です。それぞれ独立しているので個別に読んでも問題ないですが全体に関する導入と結論をその①とその⑤に書いておりますので参考にしてみてください。

ノルディック複合(英名コンバインド)という種目は複合という名の通りスキージャンプクロスカントリー(以下クロカン)の2つの異なる種目を合わせた総合力を競う競技です。前回のスキージャンプに引き続き今回はこの複合のルール変更について話してみたいと思います。

荻原健司のW杯個人総合3連覇

複合による日本人差別とは何であったのかを簡単に説明すると当時勝ちまくっていた荻原健司選手が勝てなくなるように複合のルールを露骨に変更したことです。荻原選手は当時1992年から95年までの3年連続ワールドカップ個人総合優勝をしており文字通り絶対的な王者でした。複合が盛んな北欧や中欧では日本よりも有名人であると言われているぐらい現地では圧倒的な知名度でした。

その最大の原動力はジャンプで複合前半のジャンプで2位以下の選手に圧倒的なタイム差をつけることで圧勝しておりました。したがってジャンプにおけるタイム差を短くするというルール変更を意図的に行ったことで荻原選手を勝てなくしたというこです。

複合の基本ルールと特殊な環境

さてこのルール変更は荻原選手を狙った差別であったのでしょうか。差別であるかどうかを話す前にまずは複合という競技の特殊性を説明する必要があるのでなるべく簡潔に説明したいと思います。

というのも複合は2種類の違う競技を兼ね備えたものであるからです。この全く性質が違う競技はジャンプが飛距離をクロカンがタイムを競います。ここが非常に特殊かつ難しい点なのです。

例えばトライアスロンは3つの種目を組み合わせた複合競技ですが3つの競技とも共通の「タイム」が使われているので各競技のタイム差がそのまま次の種目へのハンデとなります。もし各種目のバランスを調整するならそれぞれの種目の距離を長くしたり短くしたりすることでタイム差のバランス調整ができるかと思います。

しかし複合は前半のジャンプの飛距離のポイントをタイム差に換算して後半のクロカンのスタート時にハンデとします。この1ポイントを何秒差にするのかという部分がさじ加減次第で人為的にいくらでも競技に影響を与えることができるのです。ですからこのタイム差の調整が非常に重要になってくるわけです。

タイム差のハンデをどのように調整するかというと両種目の比重が50%ずつ平等にになるのが理想です。例えば

ジャンプ01位・クロカン50位
ジャンプ25位・クロカン25位
ジャンプ50位・クロカン01位

の3選手の最終結果が全員25位前後になるようなタイム差に設定するわけです。ちなみに荻原選手が連覇していた時代のタイム差はジャンプ1ptにつき6.7秒でした。

V字ジャンプの登場とその余波

しかしスキージャンプでもお話しましたがこの複合の両種目のバランスを破壊する出来事が起こりました。それがV字ジャンプです。V字の導入によりジャンプの飛距離が伸び複合でもジャンプ部門で選手間のポイント格差がつきやすくなりました。

分かりやすく説明するとジャンプが得意な選手の順位が突然上昇して、クロカンが得意な選手の順位が露骨に下る自体が発生したのです。そしてこのジャンプ有利な環境の一番の恩恵者が荻原健司選手であったのです。

このジャンプ有利な環境が追い風になって今まで複合では活躍できなかった日本人選手全体が大幅に成績を伸ばすことになりました。その結果1992年のアルベールビルと94年のリレハンメルでは複合団体で金メダルを獲得しております。

ちなみにV字の開祖であるボークレブがW杯の総合優勝(複合ではなくスキージャンプ)をしたのが1989年、荻原選手の最初のW杯個人総合優勝が1992年です。

荻原選手を狙った露骨なルール変更

ここまでの説明を聞いてみなさんはどう思いますか?そうですよね「じゃあジャンプとクロカンの割合を50:50に戻すためにジャンプのタイム差を適切に修正しよう」という話になりますよね。恐らく複合の日本人選手もいずれタイム差が修正されること、つまりルール変更が起きることは分かっていたと思います。

そういったわけで1994年のリレハンメル五輪では1ptが6.5秒に、長野では6.0秒と徐々にジャンプが不利になるようにルールが変更されていきます。この影響で荻原選手は勝ち星から遠ざかるようになり日本国内では「日本人狙いのルール変更だ」と言われるようになったのです。ちなみに被害を一番被るのは荻原選手なのが一目瞭然なので日本だけでなく海外でも「オギワラ潰しルール」と普通に言われていました。

ルール変更のその後は・・・・

この荻原選手を狙い撃ちにしたルール改正が行われた後、複合の日本代表は2014年のソチ五輪で銀メダルを獲得する渡部暁斗選手が登場するまで15年以上に渡り冬の時代を迎えることになります。その後の渡部選手が登場するまでの話を書いておきます。

荻原選手を含めた日本人選手が好成績を残せなくなった後も複合の世界ではジャンプの有利な選手を抑えるという流れが続きます。日本人選手が活躍していないにも関わらずです。

長野五輪で6秒であったタイム差が続く2002年のソルトレイクシティーでは5秒、そして2006年のトリノでは4秒まで短縮されます。更に2010年のバンクーバーでは従来2回飛んで成績が良い方を採用していたジャンプの回数が一発勝負の1回に減らされます。ジャンプが得意な選手へのルール変更が凄まじいです。

こうやって一連の流れをみると気が付きますがこれ明らかに日本人潰しではなくジャンプが得意な選手潰しなんですよね。そしてその中に圧倒的に強かった日本人の荻原選手も含まれていたわけです。もし荻原潰しであれば日本勢が活躍できなくなった後も続けてルール改正をする理由が全く説明ができないですよね。

そんなわけで日本代表はスキージャンプに続き複合でも冬の時代が続くのですが、ジャンプで葛西選手がソチ五輪で銀メダルを獲得して復活するのと同じ様にソチ五輪で渡部暁斗選手が登場して銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げます。

渡部選手はその後に平昌で銀、北京で銅と3大会連続でメダルを獲得します。また北京では団体戦でも銅メダルを獲得して渡部選手個人だけでなく日本代表全体で高いレベルにあることをみせつけました。

むすび

以上がノルディック複合における日本人差別とルール改正の話になります。この話で一番重要なのはやはり「日本代表が勝てなくなった後もルール改正がされ続けた」ということだと思います。

惜しむらくは一連のルール改正の最初の犠牲者が荻原選手であったことですね。殆どの方は荻原選手が勝てなくなった時点で見るのをやめてしまったことで、その後もルール変更が行われ続けられたことを知らないことですね。それを知ってさえいればまた違った反応もあったかと思います。

まあ荻原選手からしたら「ルールを変更するのはいいけどもう少し時間的な猶予が欲しい」という感じであったと思います。新ルールの導入が数年後であれば選手として活躍する時間をもう少し伸ばせたと思いますのでその辺が悔しいですよね。

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